散兵様の情景寄せては返す波の音。
晴天の下、私は少し滲んできた汗を拭いながら海辺を歩いていた。
名椎の浜。ここへ来るのは久しぶりだ。前に訪れた時と違い、静かでとても落ち着く。
(うーん、懐かしい)
幕府軍と戦ってからそこまで日は経っていないというのに、早くも思い出と化してきている。
あんなに酷い目に遭っておいて。自分で呆れたが、過ぎたことはそこまで気にならない性分なのだ。
それに今の稲妻はとても平和で、雷電将軍に殺されかけた記憶すら風化しつつある。
(私って本当に肝が据わってるよね)
いや、人間自体が案外強くできているのではないか?
"貴女と戦った時の恐怖、もう忘れちゃいました"。
雷電将軍が聞いたらどんな顔をするだろう?想像して笑いかけて……止まった。
(似てる)
彼女の姿を思い出す度にスカラマシュが過ぎる。血の繋がりとか、そういう人間の常識に当てはめたレベルの話ですらないのだ。
同じモノを造る為に生み出されたのだから。
(試作品……)
考えて、心の中で彼に謝った。この呼び方は嫌いだ。
気持ちが暗くなり始めたところでブンブンと頭を横に振る。こんな表情で逢いたくない、だって凄く楽しみにしていたんだ。
今日、この人っ子ひとりいやしない場所へ来たのはもちろん。
「スカラマシュとデートだ!」
「もう帰る」
え?、私はバンザイした腕をそろそろと下ろして振り返った。
そこにはあからさまに不愉快そうな顔をした少年がいた。
「スカラマシュ!わぁ、スカラマシュだ!!」
「うるさい、僕以外の誰に見えるんだよ。当たり前の事実を連呼するな、間抜け」
トレードマークの帽子からぶら下がる飾りが首の動きに合わせて揺れた。本当にスカラマシュだ……っ!
酷い毒舌っぷりだがどうでもいい。あまりに嬉しくて抱きつきたくなったものの、まだこの世に留まっていたいので我慢した。消炭コース確定だ。
二日前、彼とデート(と、言い張る)の約束をした私はここを待ち合わせ場所に指定し走り去ったのである。今思えばなぜ、
「こんな所にしたんだ?」
「読まれてる!ごめん、適当」
「だろうね。……まあそこまで遠くはないか」
最短距離を考えている様子のスカラマシュ、薄い唇に指で触れる。何気ない仕草にも嬉しくなってしまう。
癖、なのかな?癖だといいな。
私しか知らないスカラマシュが……欲しい。
(わ、な、なに思って)
すとん、頭に軽い手刀を落とされ「あいたっ」と声が出た。
「僕が不快になることを考えただろ」
「ち、ちがうよ!」
「なら説明してくれ、僕で何の妄想をしたのか」
「変な言い方しないでよ!う、うう、嬉しいって思っただけ!」
スカラマシュがキョトンとした顔を見せる。珍しい表情だ。
「まち、ぼうけ…させられるかもって、実はちょっとだけ、思ったの。来てくれて、ありがとう」
頭を撫で、上目遣いにおずおずと言う。
すると彼が目を瞬かせ、咳払いをした。
「失礼な奴。人を疑っているんだ?」
「だってスカラマシュ、いじわるなんだもん」
「蝶よ花よと愛でればいいのかい?」
皮肉めいた口調に、はたと想像して恐ろしくなった。それはそれで嫌だ。怖過ぎる。
猫可愛がりしてくる脳内スカラマシュから全力で逃げていると、
「確かに、待たせるのも面白いとは思った」
「やっぱり!」
「……でも」
帽子が、下がる。
「約束……したから」
癖。
これは紛れもない癖だ。
(そうだよ。私、持ってたじゃない)
自分しか知らないスカラマシュ。
本音を言って照れる時の、スカラマシュ。
彼の口から"約束"という単語が出たことにも驚いたし、きちんと守ってくれたことにも驚いた。出会った当初の彼を思うと信じられない光景だ。
私が何も言えずにただ見ているからだろう、スカラマシュが一瞬目を泳がせ唇をきゅっと閉じた。そして、こちらに背を向けてしまう。
「行かないのか?……僕の時間、無駄にしないでほしいんだけど」
下がったままの被り物に心が弾む。私は彼の横に並んで明るく返した。
「行く!!」
大声に顔をしかめたスカラマシュが早歩きで進み始める。「待ってよ」、慌てて追う私の顔はだらしなく綻んでいて、暫く元通りにならないなと思った。
「わぁ……!」
市場に着いて早々、私は目を輝かせた。
「別に珍しくも何ともないだろ、こんなの」
冷め切ったスカラマシュをスルーして駆け出す。「おい!」、後ろから彼の制止する声がしたが気にしない。
穴場。掘り出し物。
一見至って普通の市場なのだが、並んでいる商品は興味を引く物で溢れていた。
古びた剣、見たこともない模様の服…あの店はなんだろう、珍味を売っているのか?
威勢良く値切る男の横を通り過ぎ、あれはこれはと目移りしてしまう。
こんな場所があったなんて知らなかった、面白い!
立ち止まって、また駆け出そうとすると。
「っ…蛍!」
「わ!?」
手を引っ張られた。スカラマシュだ。
「いい加減にしろ。見失うだろ」
「ご、ごめん」
少し余裕をなくした顔が間近にあって驚く。そんなにも暴走していたか。
いや、それよりも。
「あの」
「ああ呼んだよ、悪い?」
「まだ何も言ってない……」
「目が物語ってるんだよ、目が!鬱陶しいな」
眉間にシワを寄せたスカラマシュ。乱暴に手を離されてしまった。
若干ショックを受けていると、彼が盛大に溜息をついてこう言ってきた。
「…… 名前って、呼ぶ為にあるものだろ。毎回確認する気なのか?」
「え?」
「っ…だから、」
スカラマシュが苛立たしげに指差してきて、その手を二度振った。
「呼ばれたら返事をしろ。すぐにしろ。それ以上何も言うな」
「え、え?」
「分かった?」
「わ、わか、った……」
返すなり、プイッと顔を逸らす彼。とてつもなく不機嫌オーラ全開だ。それなのに私ときたら、
(え…、ええ〜〜っ!?)
とてつもなく幸せオーラ全開になってしまった。
両手で頬を覆い、今言われたばかりにも関わらず何十回も巻き戻す。ま、前は、前はっ…!
「呼んだこと認めなかったクセに」
「二度と呼ばれない身体になりたいの?」
絶命するのはまだ早い。「あれは本当に呼んでいない」と尚も否定するスカラマシュに取り敢えず首を縦に振った。
(……やっぱり)
以前の彼とは違う。
もしかして、もしかしなくとも……脈アリだったり、するのかな?いや、あったら何なのだ。
(つ、付き合う、とか)
だから相手はファデュイなんだって!
私とてそこまでお花畑ではない、組織がやってきたことを帳消しになんて…。
ちらりとスカラマシュを見る。やや口を尖らせていた。
(……くち)
付き合う=ス、ス、スカラマシュと、
「無理!無理だから!絶対無理!!」
「うわ!?いきなり叫ぶな!」
沸騰した脳で慌てふためく私にスカラマシュが怒鳴った。今こっち見ないで、本当に妄想してしまう!
…と、不意に周囲からの視線に気付いた。
(め、めっちゃ目立ってる!)
当たり前だ、こんなに騒ぎ立てて。
怪訝な顔で大勢に見られ、もちろんその中にはスカラマシュもいて。流石に恥ずかしくなった私は、大パニック状態から何とか平常心を取り戻すことができたのだった。
さて、買い物の続きに戻ろう。
ようやく落ち着いた私(顔は赤い)に今度は小さな溜息をもらす彼。未だ険しい表情だが黙って隣を歩いてくれている。嬉しくて手を繋ぎたくなったものの踏みとどまって自重した、握り潰される未来しか見えない。
「……あった」
「へ?」
スカラマシュが気怠そうに視線をやっているのは玩具を売っている店。あれは……!
陳列台に駆け寄った私は驚愕した。
「万華鏡!ほんとにある、うわ安い!」
「忙しい口だね、相変わらず。言っただろ、馬鹿高いの買わされて、って」
万葉に連れられ購入した物とは違いが分からないレベルなのに、値段は半額以下。穴場恐るべし。
「すごい、安い!」
「なんだその頭の悪そうな感想……呆れた」
何とでも言えばいい。だってこれ以外に何が浮かぶのか。
可愛らしい柄の物が多く、もう持っていると言うのに早くもどれを買おうか悩んできた。内部の模様も違うようだ、これならいくつあってもいいな。うん。
サクラ柄にするかツバキ柄にするか迷いスカラマシュに聞こうと横を見ると、
(……あ)
喧騒が遠のいた気がした。
彼が手に持った、万華鏡の色。
(雷電、将軍)
彼女の髪と同じ深い紫……。
スカラマシュが感傷に浸る所はあまり想像がつかない。私の考え過ぎかもしれない。
けれど無表情に万華鏡を見つめるその横顔。
(……装ってるの?)
敢えての、無表情なのか?
(分からない)
それを判断するには浅過ぎる。彼はもっと深い場所にいるのだ。私では到底探しあてられない奥底に。
(今、呼んでくれたらいいのに)
ぽつりと思った。
呼んでくれれば居場所が分かるのに。
私、あなたのこと拒絶したりしないよ。だから教えてほしい。そこがどれだけ怖くて暗い所でも構わない。
(たとえ一緒に堕ちたって…)
違う。この言葉じゃない。
私がスカラマシュに望む関係は…。
「何?」
「え!あっ…」
いつの間にか万華鏡を台に戻した彼が私の方へ向いていた。
「ジロジロ見るなって前にも言ったよね?」
「ごめんっ、な、なんでもない」
一瞬、また読心術でも使われたのかと思った。「買うなら早くして」、スカラマシュに急かされた私は慌ててサクラ柄を購入する。
一応買い終わったのを見届けてくれたらしい彼がスタスタと歩き始めたものなので、急ぎその後を追った。
(雷電将軍……)
彼女の色に後ろ髪を引かれる思いをして。
一通り店を見て回り、あれが良かったこれが良かったとはしゃぐ私。スカラマシュが生返事ながらも耳を傾けてくれる。
そうして、「さっきも聴いた」と言われ話がループしだしたことを知った辺りで、
「……君ってさ、お腹空かないのか?」
「え」
目を合わせる気のなさそうなスカラマシュに問いかけられた。微妙に唇を引き結んでいるように見える。
「えっと…スカラマシュ、お腹空いたの?」
「質問に質問を返すな、僕じゃなくて君の話」
「ご、ごめん。空いてる」
今日は謝ってばかりだ。
デートをすることにより親密度が下がっている気が……青ざめる私に彼が言った。
「悪くはない食事処を知ってるんだけど」
「お、美味しくもないの?」
「……そこそこの食事処を知ってるんだけど」
変わってないような。えーっと、要するに…。
「オススメのお店、教えてくれるんだ?」
「勝手に僕の言葉を改悪しないでくれる?教育だから。教育」
「ええ?」
本来言いたかったであろう台詞に笑顔で変えてみせたのになんたる仕打ち。
ぶすっとした様子のスカラマシュが苛つきを隠しもせず言う。
「あのパイ、酷い味だった。不味いどころの騒ぎじゃないね」
「うそ、美味しかったよ」
「君の感想は聞いていない。……この僕が、本当に美味しいものを教えてあげると言っているんだ」
「そこそこの店、って…」
雷元素の気配がしたので喋るのをやめた。
態度は最悪としか形容のしようがないけれど、スカラマシュの好きなものは知りたい。
(かなり知りたい!)
顔がニヤけだした私を無視して歩を進めるスカラマシュ。リアクションをするのも面倒なのか。
店までは遠くなく、五分ほど歩いて到着した。
「……古いね」
老舗の雰囲気を漂わせた長屋だ。立て看板のメニューを見た感じ、よくある小料理店だろう。
「文句ある?ごめんね君が如何にも好きそうな甘味処とかじゃなくて」
「なんで嘲笑してるの?」
シカト。今、確実に子供扱いされたと思う。
蔦の巻きついた屋根を見て、これはこれで雰囲気があっていいなと考えながら店内に入りかけ…スカラマシュが立ち止まったことに気付く。メニューに視線を移していた。
「……なんだ。あれ、なくなったのか」
たった、それだけ。
その一言に私の心は揺れ動いた。
(……見える)
昔の景色。
少しだけ古めかしい着物に身を包んだスカラマシュ。同じような服装をした稲妻人たち。
往来する。沢山の人間が。その中で彼だけが違う。
彼だけが、人間ではない。
(でも、誰も認識していない)
されていない。
独りで彼はそこに立っている。今と全く変わらない少年の姿で。
『これは……悪くなかったな』
誰にも聞いてもらえなかった声。
細い指が、かつて存在していた文字を……なぞった。
「っ、痛い!?」
動けないでいる私の意識は突如襲った痛みで戻ってきた。スカラマシュに頬をつねられたのだ。
「ひ、ひどい、いきなり!」
「返事をしないからだ。なんなの、急に黙り込んで。不気味」
「や、あの、ごめん」
また謝り、努めて明るく振る舞いつつ店内に入る。
中も想像通り古ぼけていて私たち以外のお客さんはいなかった。本当に美味しいのだろうか。
柔らかい雰囲気を纏ったおばあちゃんに案内され席につく。稲妻の料理には詳しくない為、私は店員さんオススメのものを頼んだ。スカラマシュもお目当てがなくなっていたせいか、「適当に持って来て」と投げやりに言った。
特に話題が見つからず気まずさにソワソワしてしまう。当然それは私の方だけでスカラマシュは気にした風もなく退屈そうに座っている。
面白い話、あったっけ?うーむと唸る私を他所に、スカラマシュが独り言のようにもらした。
「……人間ってすぐに歳を重ねる」
頬杖をついた彼の目線の先は。
(……そっか)
確かに、そうだろうな。
彼はいつまでも若いまま。時間の感覚なんて狂っていくのかもしれない。
スカラマシュにとっては人間の方が異質。なぜ老いる?なぜ衰える?なぜ。どうして。
どうして僕は止まっている?
自分の想像に自分で怖くなった。
スカラマシュを見ると、待ちくたびれたのか湯呑みに張られた水面をぼうっと眺めている。
(私が死んだ後、スカラマシュってどうなるんだろう)
彼にとって所詮私は一人の人間。
膨大な時の中で刹那、触れたのみ。
(すぐに忘れられる)
彼の目にはきっと等しく映っている。
私が見る世界……飛ぶ鳥に見分けなどつかない。あまりに速くて、どの子も似ていて。
風に揺れる葉の見分けなどつかない。数え切れないほど多くて、どの子も似ていて。
道端に転がる、石ころの見分けなど、
彼の目にはきっと等しく映っている。
(ただ自分の横を虚しく通り過ぎる人間の、見分け──)
「遅い。いつまで待たせるんだよ」
「ごめんねぇ、僕」
スカラマシュの悪態で、目の前に置かれた皿に気が付いた。
天ぷらと白米と、味噌汁に漬け物。稲妻で何度も口にした料理だった。
「幼児みたいに扱わないでくれる?」
食べたい物がなかったことと待たされたイライラとで不機嫌になっている彼。まあ遅かったと言えば遅かったが……仕方なく間に入ろうとすると、
「いつもは娘が手伝ってくれていてね。今日は私だけなものだから……お詫びにとっておきを持って来たの。ごめんね、お会計には入れていないよ」
そう言っておばあちゃんが何かを置いた。
これは……茶碗蒸しだ。トーマに教えてもらった記憶がある。
手鞠模様の麩と、香りの良い植物で編んだ飾りが乗っている。とても手間が掛かっていそうだ。
「昔は出していたんだけどね、時間が取れなくて……。常連様用に毎日五つほどこっそり作っているのよ」
「そうなんですか?ありがとうございます!スカラマシュ、良かっ…」
窓から陽が差し込んだ。
静かな店内があたたかみを帯びる。
彼が匙ですくう音……ひとくち、飲み込んだ。
太陽に反射する。目深に被った帽子が。
私だけが見ていた。
スカラマシュの口元が、そっと緩むのを。
「……許してあげる」
これはきっと、当時と同じ…。
おばあちゃんは言葉通りの意味に受け取ったのだと思う。安心したように笑い、一礼して厨房に戻って行った。
「何してるの。冷めるよ」
「っあ、うん」
彼に促され、私も茶碗蒸しを食べる。手の感覚がやけに鈍い。
「すごく……すごく、美味しいね」
自然に出た声。
スカラマシュが僅かに匙を動かすのを止め、
「……当たり前」
どこか嬉しそうに返してくれた。
「あ〜、お腹いっぱい!」
「食べ過ぎ。まさかお替わりすると思わなかった」
呆れ果てた風に私を見るスカラマシュ。
結局あの後、ご飯が進みまくってもう一杯いただいてしまったのだ。彼の倍も白米を食してしまった……。
市場に戻ると見せかけて次の目的地は神社。
店から十五分くらい歩いた所にあるとおばあちゃんに教えてもらい、私が「行きたい」と言ったのだ。凄く綺麗なのだそう。スカラマシュは腐るほど見たことがあるらしく心の底からどうでもいい様子。
「稲妻、ちっとも探索できてなかったなー。知らなかったよ、この辺り」
「まあ用事なんかないだろうね」
「そんなことない!知ってたら来た、絶対来た!」
「はいはい分かった」
慣れた足どりの彼、本当に何度も行ったのだろう。興味がなさそうに黙って道案内をしてくれる。
辺りは田園が広がるばかりで落ち着きはするが、これと言って珍しいものは目に入らない。
「のどかだねー」
「相変わらずつまらない所だ」
「それは言い過ぎ」
無反応。懐かしむでもなく。
しかし不思議な気分だ。過去、スカラマシュが歩いた道を自分も歩いている。隣には本人がいて。
万葉の言う、"縁"ってものなのか。彼曰く、遠く離れたとしてもそれは繋がっている。いつまでも切れることはない。
(……スカラマシュとも、そうであってほしいな)
人間の考えた戯言だと一蹴されるだろう。
ふとした瞬間に彼との違いを感じることはある。けれど違わないと思うこともある。少なくとも心は、
「着いたよ」
「あ、う、うん」
いけない、どうも考え事をしてしまう。
スカラマシュを不快にさせていないか焦ったが真顔で立っているのを確認し胸を撫で下ろした。
良かった、そもそも気にも留められていない。……ん?良かったのか?
「変わらないな、ここは。きちんと整備が行き届いている」
淡白なスカラマシュの反応を聞きつつ、小さくも厳かな神社を眺めた。苔むしてなどおらず、木の葉も落ちていない。おばあちゃんの言った通りとっても綺麗だ。
早速お参りをする私を冷めた表情で見てくる彼。
「い、一緒にする?」
「しない。神に祈るとか馬鹿みたい」
なんともスカラマシュらしい答えだ。
両手を合わせ目を閉じる。彼と仲良くなれますように。それから、えっと…。
(て、照れる)
見られていると思うと緊張してきた。
願い事すら考えられなくなった辺りで遂に片目を開けてみる。
(……え?)
視界には、鳥居をじっと見つめているスカラマシュがいた。
何かあるのか?そこに……。
(至って普通の鳥居だけど)
物凄く真剣じゃないか?も、もしや、この世のものではない…。
ゾ〜ッとして彼を呼ぼうとした時。
「あれ?キミ、帰って来たんだね」
見知らぬ男性が現れた。箒を持っている、神社の管理に携わっている方だろうか。
スカラマシュの知り合いだと思い彼の方を見るが、私と同じく困惑していた。え?だ、誰?
「ああ、ごめんごめん。分からないよねそりゃ。かなり昔の話だが、よく鳥居の下でボーッとしてたろ?綺麗な顔だから印象に残っててさ」
スカラマシュは何も言わない。
男性が近寄って来る。少し馴れ馴れしいな…思ったものの黙っておく。
「心配してる内にここに来なくなったからずっと気になっていて。いつも……虚ろだったろう?」
私はそれを見逃さなかった。
スカラマシュの足が、一歩退がったのだ。
「俺、これでも神仏に関わる立場だし……そうじゃなくともキミからは浮世離れした空気を感じた。……ねぇ、歳取ってないよね?キミってもしかして、」
「──やめて」
はっきりと声にした私は二人の間に立ち塞がった。スカラマシュを守るように。後ろで彼が一切の動きを止めたのが気配で分かった。
男性が戸惑った風に言う。
「な、なんだ?俺は喋ってるだけ…」
「嫌がってるのが分からないの?」
怒りを滲ませて言い放ち睨みつける。誰かにここまで敵意を抱いたのは初めてかもしれない。
初対面の相手に失礼だとかそういう常識はどうでもいい。
過去の自分を知る人間に、スカラマシュが怯えている。その確信があったから。
「彼はあなたの知ってる人じゃない。……もうやめて」
私の静かな拒絶の言葉に男性が怯み、目を泳がせた後そそくさと立ち去っていく。
慣れないことをした。ふーっ、と息を吐き、私はスカラマシュの方へと振り向く。
同時に、強く手を握られた。
「え?スカラ…」
「どうして、分かったんだ」
身体が近付く。引き寄せられて。
「どうして……僕が動揺していると、分かったんだ」
熱を感じた、その眼差しに。浅い。まだ足りない。
だけど今、触れようとしている。あの日の彼が蘇る。
「僕に理解できないものなんてないと思っていた。力の使い方も、難解な文献も、君たち人間の思考だって。簡単に騙されてくれる……」
あと、もう少しで。
「……でも」
スカラマシュの両手が私の頬を包んだ。この熱さは錯覚だ。彼の手はいつも冷たくて、
「──蛍。掴めないんだよ、君だけは」
衝撃が走った。
(私と……同じなの?)
スカラマシュも私を探してくれているの?だから名前を呼んでくれるの?
「教えて?」
「、あ」
熱い。そんなはずはない。私の頬がどれだけ熱かろうと彼の手は熱を奪う。
しかし、下がらない。境界が分からなくなる。溶け合っていく。
「早く。教えて……知りたい、君を」
触れ合いそう。今にも、
「ねぇ……早くしてよ」
唇が、触れ合う──
「おにいちゃんたち、なにしてるの?」
緊張感の欠片もない声がした。
すーっと…下の方を向く私とスカラマシュ。見上げて来ていたのはちょっぴり鼻水の垂れた男の子。
「ふりん?」
「ちがう!!だめだよ、そんな言葉軽々しくっ!」
秒速で身体を離し、邪気のない子供から発せられた単語に叫んで返した。スカラマシュを見ると、
(やばい!)
殺気が半端ではない。幼な子だろうと容赦しないという鋼の意志を感じる。
どうにか男の子に去ってもらい、黒い炎を揺らめかせたスカラマシュにそろーりと話しかけた。
「こ、恋人に見えるんだね、私たち」
「死にたいの?」
私だろうと容赦しないという鋼の意志を感じる。
スカラマシュから距離をおき、吹っ飛んでいったムードにがっくり肩を落とす。
(や、でも待てよ?)
あのまま進んだら進んだでどうなったのか?想像し赤面してしまった。やっぱり無理!!
一人で発狂する私を見て彼が引いていたのは言うまでもないだろう。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「ふーん。良かったね」
神社不倫事件からずっと不貞腐れていたスカラマシュ、別れの時までこうなるか。
私は嘆息して夕空を眺めた。
(うん。楽しかった)
こんなに長時間共に過ごしたのは監禁以来だ。いや、これはノーカウントにしておこう。初めてだ。
スカラマシュの癖、過去、表情。
沢山見ることができた。また大きく近付けたに違いない。
「スカラマシュって道いっぱい覚えてるんだね。すごい」
「馬鹿にしているのか?君と一緒にするな」
褒めてもダメ、貶してもダメ。
まあ、こんな状態の彼には何を言ってもトゲのある返ししかされないだろうな。
やれやれと苦笑して何となしに田んぼを見やる。
(スカラマシュ、頭良さそうだしね)
考えて……不意にドキッとしてしまう。それだけが理由ではない気がしたのだ。
(忘れたくても、忘れられない……?)
人間は忘れることで前に進める生き物だ。
スカラマシュはどうなんだろう?
道を迷いなく歩くのは覚えているから。
どこから、どこまでを?
本当の名は、覚えているのだろうか?
(……聞けない)
彼が自分の全てを余すところなく語れるとしたら。
(……もし言えなかったら、それは)
呼ばれたことがない証拠になってしまう。
「……スカラマシュ」
「何?」
「あの、さ」
声が強張らないようにグッと一呼吸入れて、私は精一杯の笑顔をつくった。
「また遊ぼうね。絶対だよ」
夕日が燃える。同じ太陽を彼は遥か昔から見ていたのだと想いを巡らせた。
思い出が風化しないのはひどく辛いことなのではないか。
苦しさも、悲しさも、虚しさも。
永遠に鮮明なまま刻みつけられているのだから。
人間の感覚でしか語れない私は、強く願った。
人形も忘れる生き物であってほしいと。
ここで終わってくれれば、良かったのに。
スカラマシュとのデートから一週間が経過した。
璃月を訪れていた私は明る過ぎる声に呼び止められた。
「相棒、おはよう!」
「タルタリヤ……おはよ、朝から元気だね」
相変わらずの人懐っこさで駆け寄って来る青年、ちょっと今眠いんだけどな……。
ペチャクチャペチャクチャと喋り始めた彼の話を右から左に流していく。デートの余韻が木っ端微塵になってしまう。
「…っていうオチ!先生ってば面白いよねー」
「あー、うん。面白い」
「聴いてなかったでしょ!酷いなぁ……」
「だって眠いんだもん。タルタリヤって、寝起きのスカラマシュにも構わず話しかけてそう」
「もちろん気にしないよ。最近は会えてないからお預けだけどね」
「またろくでもない計画のせいでしょー」
適当に返すと、タルタリヤが首を横に振った。
「帰って来ないんだよ、散兵」
「え?」
思わず硬直した。
だが、全く心配した様子のないタルタリヤを見て珍しくもないことなのか?とすぐに安心する。
「稲妻で暗躍した疲れとか?なにせ神の心だよ、どうしてくれようか、なーんて…」
「なんの話?」
「……え」
目を丸くしているタルタリヤ。
心臓がバクバクと早鐘を打ち始める。
「会議すっぽかしてさー、俺が呼びに行かされたんだよ?完全に雑用だよね」
タルタリヤの軽口に何も返せない。
待て、仲間に言っていないのか?なぜだ?
(どこに、持って行ったの……?)
意味が分からない。思考が回らない。
「……スカラマシュ」
茫然と呟く私。タルタリヤが心配そうな表情で話しかけてくる。何を言っているのか理解ができない。
(遠くに、行っちゃう?)
駄目だ。
まだどこにいるのか分かっていないのだ。
(遠くに……行かれたら)
呼んでくれても、聞こえないではないか。
彼の帽子が彼方で揺れる。
鈴の音は既に、耳をすまさなければ捉えられないほど微かになっていた。