美しい世界(仮)「あ!七海ー、久しぶりだね」
目の前に現れた彼は、屈託なく笑っていた。その顔が昔と変わらず幼いままで、私は白昼夢でも見ているかのような、現実との区別が追いつかず、目眩を起こしそうだった。
「…灰原」
手が震えるのを必死で隠し、背中にある鉈をいつでも出せるように腕を回す。
そしてひと呼吸し、頭を落ち着かせながら、辺りを注意深く観察する。
駅前のこの場所は金曜日の夜という事もあり、多くの人々で賑わっている。夏油さんや他の呪詛師の気配も感じない。
周りの声が雑音に聞こえはじめ、灰原が口を動かすのを待つしかなかった。
そんな私の様子を気にすら留めず、灰原は明るい笑顔のままはっきりと応えた。
「今日はたまたま買い物に来てたんだけど?…そんな怖い顔しないでよ」
「…なんの、用ですか」
「え?別に七海に会いに来たんじゃないって。寒くなってきたから、冬物のコート買ってきたんだよ?あ、見る?」
そう言って灰原は、持っていたブランドのロゴの付いた紙袋からコートを取り出そうとしている。
まるで普通の友人のように話し掛けてくる彼の姿を見ながら思考を巡らす。
この光景が異常な事に気付いていないのか、気付いていて、話し掛けてくるのか。
「ほら!格好いいでしょー。…あ、お腹空いて何か食べようと思っててさ。近くにファミレスあるから、そこ一緒に行かない?」
秋のフェアと書かれた旗がゆらゆらと風に揺られている、よくあるチェーン店の看板を指差した灰原の表情は、酷く穏やかだった。
お互いスーツを着ていなかったら、まるで学生時代に戻ったような感覚に陥ってしまう。
「私、は、…」
✳✳✳
「あ!ナナミンじゃーん」
「…こんにちは」
「こんばんは七海さん」
今日は何故だか知り合いに多く会う。
虎杖君、伏黒君、釘崎さんの3人は店に入ったばかりで、ドリンクバーを取りに行く途中であったらしい。
聞くと今日は任務もなく、学校帰りに夕食を食べにここに来たという。
術師としては想像以上に頼もしい彼らだが、こうして改めて見ると、まだ学生で、子どもなのだと分かる。
「あの、そちらの方は?」
「初めまして、七海と同級生の、灰原です!!高専出身、27歳、独身!よろしくね〜」
顔の前でピースサインまで作る灰原は、花でも散らさんばかりの、好青年そのものといった笑顔を振りまいている。
「へー!同い年には見えないですね!」
「おい虎杖…」
「ホントに」
虎杖君の言葉は少し尺に触ったが、もう慣れている。
灰原は学生の頃より背丈が伸びたとはいえ、顔はまったく出会った時のままで、変わったことは、頬の傷が一つ増えたぐらいだ。
「僕の後輩かー。なんか嬉しいな」
伏黒君から小突かれても気にしない虎杖君は、灰原に負けないくらいの笑みで灰原に声を掛ける。
「という事は、呪術師なんですか?」
「ううんと、違うなぁ!…僕は呪詛師だよ」
「…え」
「っ…」
「は?」
虎杖以外の2人は、異様な雰囲気を察し即座に戦闘態勢に入る。
伏黒君、釘崎さんはすぐに術式を展開できるよう構えている。
その判断は術師としては正しい。
と、自分でも随分と呑気な事を思えるものだと内心笑ってしまう。
「あれ?…嫌われちゃったかな?」
「…灰原」
そんな様子をまったく気にしていない灰原は、ずっと乾いた笑みを絶やさないまま、言葉を続ける。
「でも、君はまったく動かないね?どうして?」
視線の先にいる虎杖君は、灰原と同じようにこの異様さにまったく動じず、表情も挨拶を交わした時と変わらない。
「いやでも、ナナミン普通に飯食ってるからさ」
「はぁ?脅されてるとかでしょ?」
「………」
「こんなに空いた皿あるし、自然な感じで向かい合わせに座って、る、し?」
「ふふ、ナナミンって呼ばれてるんだね!なんか良いなー」
その後、どうしてか灰原と虎杖君は意気投合し、映画の話などで盛り上がっている。
取り残された私はというと、虎杖君の代わりに3人の席に移動し、困惑している(当然だ)伏黒君と釘崎さんの前に座っていた。
「邪魔をしてしまい、すみません。謝罪の意味を込めて、奢ります。好きなだけ頼んで下さい」
「え?…あ、はい、ありがとうございます」
「ありがとうございます…あの、七海さん」
「はい、なんでしょう」
「呪詛師と、知り合いなんですか?」
「………同級生なのは本当です。五条さんも彼の事は知っています。…たまたま久しぶりに会ったので、こうして共に食事をしているだけです」
「…そうですか」
「は?え?そうですかじゃないでしょ伏黒!あんたといい、虎杖といい、なんでそんな冷静なのよ!!」
釘崎さんが仰ることは最もである。しかしもう説明も面倒になってきて、財布から万札を一枚取り出し、伏黒君に渡しさっさと席を立った。
「灰原、帰りますよ」
「えええ!もっと虎杖君と話したい〜」
「灰原さん!ライン交換しましょうよ!…ナナミン、それぐらいなら良いかな?」
「…え、あ、まあ良いんじゃないですか?」
術師の学生と、呪詛師がライン交換などして良いはずがないが。
灰原の楽しそうな笑い声を聞いたのは本当に久しぶりだったので、私の頭も相当、可笑しくなっていたのだろう。
✳✳✳
店を出て、駅まで送ると言う灰原と歩く。
駅までの道程はとても短く、すぐにこの空間が終わってしまう寂しさに何故だか泣きたくなった。
「灰原、また、会えますか?」
「えー?どうだろね…」
「次に会ったら、私を…殺しますか?」
「別に呪術師だからって誰でも殺すわけじゃあないよ………七海は、殺さない。…ねぇ、七海は上からの命令なら、僕の事殺す?」
「…それ、は」
「あはは!ごめんね、変な事言って!」
「………」
「僕さ、殺されるなら七海が良いってずっと思ってて」
「ずいぶんと重い告白ですね」
「…ふふ。じゃあね!」
駅と反対の方向へと走る灰原の足取りは軽やかだ。これからどこへ向かうのか、どこに住んでいるのかも、分からない。
ただ、彼ともう一度会う時は、血生臭く醜い場所なんだろうと予想できてしまう。
「私は、灰原と共に死にたい。…そう言ったら貴方は、…笑いますか?」
見えなくなった後ろ姿に語りかけるよう、呟く。
狂っているのは、私も同じだから。
灰原と共に生きられないのなら、
せめて、死ぬ時は同じでなければ割に合わない。