その理由外から聞こえる雨音はだんだんと激しさを増し、部屋の大きな窓も、カタカタと揺れはじめていた。
「すみません、これしか用意がなくて…」
「いえ、助かります」
「ありがとうございます!一晩だけだし、大丈夫ですよ」
補助監督が申し訳なさそうに、タオルと氷のうを七海に渡す。
任務後に台風が直撃し、更に補助監督の車が土砂に流され、乗っていた補助監督を庇い、灰原が右手を痛めるという重なり過ぎる不幸が襲った。
高専の迎えは早くても明朝だという連絡があり、辛うじて3人は近くにあった山小屋に避難したのだった。
ベットに座っている灰原は顔こそ平然としているが、破れた制服から覗く右手首は肘にかけて赤く腫れ上がっている。
見るからに痛々しい様子が伺えるが、若い補助監督に心配をかけまいと左手を上げ微笑みかけた。
「また明日、よろしくお願いします!」
「何かあればすぐに言って下さい。隣りの部屋で寝ていますので」
部屋の重いドアが完全に閉まるのを確認すると、七海は灰原の前に跪き、淡々と話し出した。
「まず、本当は傷口は洗ったほうが良いのですが、もう夜も遅いですし、シャワーは我慢して下さい。私がタオルで体を拭くので、それから氷のうで冷やしてから休んで下さい。…あと私のシャツで申し訳ないですが、これだけ濡れずに済んだので」
「七海、僕は良いよこのままで!冷やしてれば楽になるし、七海は無傷なんだからさ、シャワー入っちゃって」
「……それは、」
「このまま寝ちゃえば、すぐ明日になる」
「………」
「今日は散々だったね。まさかあの祓った呪霊、元々は雨の神様を祀ってた祠がもとだったらしいし」
「………」
「あの、七海さーん?」
「………」
無言で灰原の顔をじっと睨むように見詰める七海に、灰原は戸惑うばかりである。
「(僕、何かした?)」
「灰原」
「な、なに?」
黙ったままの七海が急に立ち上がり、灰原を見下ろす。
「(こわ…)」
下から見上げる七海の眼光は鋭く、おもわず灰原は身を縮こまらせてしまう。
「私の前で、痩せ我慢はしないで下さい」
「で、でも、」
「なんです?」
「自分で拭くから、タオルだけ用意してほしいなーなんて…」
「駄目です」
七海は灰原の前にもう一度跪き、目線を合わす。
「何で?」
「まず怪我人は大人しくしてほしいのと。利き手ではないのでやり辛いと思います、あと」
「あと?」
「…私が、貴方の世話をやきたいのです」
「えっ?」
七海は普段、人の世話をやくタイプではない。寧ろ面倒なものは避け、冷静に分析し、行動している男だった。
「駄目ですか?」
そんな彼が、目尻を下げ心配そうに灰原を見上げているのだ。
「……いいけど」
七海から向けられる温かい視線に、照れているのを悟られまいと顔を背け、灰原は小さく頷いた。
「では灰原、とりあえず全部脱いで下さい」
「えっ?ぜぜぜ全部??」
「はい」
「そんな真顔で言われても。…パンツも?」
「パンツは………まあいいです」
「そうだよね(良かった、って当たり前だよ!)」
破れた学ランを脱ぎながら、七海の視線が自身の右足におかれていることに気付き、ピタリと動きが止まる。
「灰原、貴方右足も、痛めましたね?」
「ええええと。少しだけだよ!歩いても、い、痛く…ないし」
本人は誤魔化しているつもりだが、分かりやすく目が泳いでいる灰原に、七海は深い溜息をついた。
「貴方って人は本当にっ」
「いたっっ!!」
灰原の右足首に、七海は自分の右手をそっと重ねた。ズボンの裾からのぞく足首は、手首同様、赤く腫れ熱を持っていた。
「いっ」
「やっぱり、…大丈夫ですか?」
「う、うん平気だよ」
「脱ぐの、手伝います」
「それはちょっとなんか、恥ずかしい」
「………」
「七海?」
「そ、うですね」
しかし七海は、素早く灰原のズボンに手を掛けると一気に足元まで降ろした。
「わわわわわっ」
大声を出し動揺する灰原をよそに、七海はカバンの奥からバスタオルを引っ張り出し、灰原に手渡した。
「冷えるので、これを」
「…あ、ありがとう」
腹部にはバスタオルが掛かっているとはいえ、上半身はほぼ裸である。
何故だか泣きたくなった灰原は、七海にされるがまま、ズボンが脱がせやすくなるよう、踵を軽く上げた。
✳✳✳
「痛っ…」
「すみません、もう少しで終わります」
腫れている部分は避けてはいるが、小さな傷はいくつもあり、軽くタオルで押し当てただけで、灰原の体が揺れた。
「七海、もう、大丈夫だから」
怪我の痛みだけではなく、灰原は七海に触れられた場所が熱くて仕方ない。
いくら普段、寮の浴場でお互いの裸は見慣れているとはいえ、灰原は出来るならこの場から一刻も早く逃げだしたかった。
ふと自身の日焼けした肌と、七海の掌の白さとの違いに驚き、肩をそっと撫でられただけで、声を漏らしてしまう。
「うっ…」
「まだです」
「もっ、いいからっ」
恥ずかしさが限界に達し、七海の体を押そうにも、力が抜けてびくともしなかった。
熱が顔まで上がり、つい大きな声を出してしまう。
「灰原?」
「ねぇ、七海。今日は、なんか積極的って言うか。…どうしたの?…いつも僕が後ろから抱きついたりしたら、怒るじゃん…」
「………」
今度は七海が顔を真っ赤にさせながら、目線を落とす。そして灰原の耳元で、低く囁いた。
「こうでもしないと、灰原に。…触れられないと、思ったからです」