エンドロールの後は「ねぇ、これからどこに行こうか?」
場違いな程の、明るく凛とした声。
灰原の声だけが響き渡り、私と彼以外、この場所には誰もいなかった。
「灰原?…何を言って」
「ここってさ、まあ空港だから遊ぶ場所はないんだけどね!」
あはは、と乾いた笑顔を浮かべる灰原の顔を、私は直視出来ずに、唾を飲み込んで自分の感情を誤魔化した。
彼の後ろには、大きな白い扉がただ一つ立っているだけ。その頭上には電光掲示板が不自然に掲げられ、彼の名が映し出され、チカチカと光っている。
灰原はその扉のドアノブに触れる事はなく、こちらに腕をぐっと伸ばし、掌を上に向けていた。
まるで、手を繋いでほしいとでも言うような仕草で。
「私は…」
貴方と、同じ場所へは行けない。
その温かい手を、私は握り返す資格がない。
私達2人が過ごしたこの空港は、あの世への入口か、ゲートのようなものだと彼は言っていた。
会いたい人を此処で待つも良し、未練がなければさっさと此処から出て行っても良いそうだ。
何と適当なのだろうと、灰原と数分前に笑ったばかりだというのに。
私の握り締めた右手が、開くことはない。
「僕はね…ずっと七海を待ってたんだ。だから未練はもうない」
怖いくらい冷静な灰原は、ゆっくりとこちらに向かってくる。私は彼に反する様に、一歩、後ろへと後退った。
そして恐る恐る、後ろへ振り返る。
私の目線の先は扉などなく、光もなく、ただ黒い闇だけが無限に広がっている。何もない場所だ。
この先は、所詮地獄という場所だろうか。
「私もっ」
私だって、灰原に会えてもう何も未練など何もない。もう、それだけで充分だと分かっている。
それ以上の事を、彼に求めてしまっている自分自身に、嫌気が差してしまう。
本当に、これは、ただの我儘だ。
「私も、本当に未練はないんです。辛い事を彼らに託してしまった自覚はあります、でもそれは彼らなら大丈夫だと思ったから…だから、もうそれは良いんです…」
「うん、…知ってるよ」
「だから、本当に、もう充分なんです…灰原」
「うん、七海」
「だから、灰原」
ここで、お別れです。
「さようなら」
勢いよく、後ろへと飛んだ。
彼と一刻も早く距離を取り、黒い底へと身を落とそうとした。
だが、それは叶わなかった。
「それは駄目だよ?七海」
灰原の声をすぐ傍で感じ、目を開ける。
「は、灰原っ?」
「七海の事はさ、僕が一番よく知ってるんだ?ふふ、知ってるでしょ?」
「………」
「七海、僕ずっと待ってたって言ったんだけど?」
「はいばらっ」
「ね、だから七海」
「離せ、離して下さいッ!!」
「あはは、嫌でーす」
「灰原!」
「やっと会えたんだよ?これからはさ、ね?」
「っ、…貴方は、…は…、い、ばら」
込み上げてくる涙と、嗚咽が止まらない。
彼の顔が霞んで見えない、灰原がどんな表情をしているか分かない。だだ頭上から聞こえる低い声だけが、私を支えている。
「ずっと一緒なんだから、七海」
泣き崩れる私の手を取り、灰原は力強く応える。
その笑顔は、十年前の出会った時と変わらないぐらい、見惚れてしまうような、明るい笑みで。
私も、ずっと貴方と一緒に居たい。
でも善人な彼と、一度でも現実から逃げた私では、迎える場所は違う。
欲深い私を見透かすような、振り払うような彼の瞳が、同じく揺らいでいて、声が出なかった。
「僕達はさ、たった二人の同級生で…、」
「…は、い…」
「二人で一つ!なんだから!…あはは、なんてね」
「はいばら、」
「僕のことほんと、そりゃ寂しい思いさせたのは悪かったって言うか…なんていうか。…七海さ、僕のこと神様みたいに思ってないよね?」
「…」
「僕はさ、七海のたった一人の同級生。それだけ」
「灰原」
「あとは、…七海の大好きな人ってことかな?あ、もちろん僕も、ってうわっ!!」
歯を見せて笑う灰原の背中めがけ、勢いよく腕を伸ばした。
そして彼が無様に尻餅をつこうが、私達がいる場所が、一筋の光さえ入らない暗闇だとしても、もうどうでも良い。
力いっぱい握りしめた彼の左手を、同じように灰原が私の右手を優しく撫でたかと思うと、ギジリと嫌な音が聞こえる程に、強く握り返される。
その灰原の黒い瞳に見詰められ、私は醜い声を上げながら、子どものように泣いた。
「七海ってこんな泣き虫だっけ?」
「黙って…下、さい」
「ふふ、やっぱりエンドロールの後は、こうでなくちゃね!」
「何っ、意味不明な事…言ってるんですか」
「あはは!なんだって良いじゃーん!」
「…灰原」
「ん?」
「好きです、ずっと」
「うん、知ってる!僕も大好きだよ七海」
この硬く優しい温もりさえあれば、
この光さえあれば、それだけで、
それだけで、私は――――――――。
終