幕間このところずっと眠りが浅く、夜中に何度も目覚めてしまう。その原因を自分なりに痛いほど理解していた。
つい先日、呪詛師となった灰原と会ったからだ。
共に食事をし、大きな口を開けて笑う灰原は昔の面影とまったく変わらない、それがただ悲しかった。
ふと枕元のスマートフォンがチカチカと光り、何気なく触ると、知らない番号からショートメールが届いており、指が止まる。
『七海、虎杖くん動かないんだけど、どうしよ?
とりあえず、ここに来て』
「……………は?」
メッセージにはその文書と、東京駅近くのホテルの住所だけが記述されていた。
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「七海ごめんねー、こんな夜中に来てもらって」
「灰原っ、…虎杖くんは…どこです?貴方まさか…」
「まさか、………何?言ってみなよ」
冷たく言い放つ灰原の近くから、何やら物音がし、ふとその浴室に視線を向けると、勢いよくドアが開かれた。
「灰原さーん!!いや〜服まで借りてしまって、ありがとうございます!…ってナナミン!?」
驚いている虎杖くんの姿を目の端で捉え、安堵していた私に、隣から酷く不快な笑い声が入ってくる。
「あっははは!七海ったら、どうせ僕が虎杖くんに何かしたと思ったんでしょ?」
「え?そうなのナナミン、つかこんな時間によく来たね…」
「虎杖くんが心配なんだよ!…まぁ僕のせいでもあるけど」
「ナナミン、灰原さんは悪くないんだ。俺が…倒れちゃってさ。呪霊は祓ったんだけど、なんか急に力入らなくて、…助けてくれたんだ」
虎杖くんが補助監督と合流する前に気を失い倒れ、このホテルまで運んでくれたのが灰原だと言う。
「僕は近くで、虎杖くんが倒した呪霊を呼んだ呪詛師の動き探ってたんだよね…。まぁ、呪詛師にも色んな人間がいてさ、全員が夏油さんの配下にいるわけじゃないし」
悪戯が成功した子どものように無邪気に笑う灰原の声が、嫌に頭に響く。
寝不足のせいだろうか、目の奥もだんだんと痛みが増してくる。
「…えーと、じゃ、俺そろそろ補助監督さんとこに戻らないと」
「うん、下にタクシー呼んでるから。あ、服は返さなくて良いよ!安物だしね」
「良いんですか!でもこれ絶対安物じゃなさそう…あ、ナナミンも一緒に帰る?」
「いえ、私は灰原と話があるので、残ります」
「そっか、ナナミンじゃあまた!灰原さんも」
「うん、気をつけてねー」
私達の異質な空気を読んだのか、賢い彼は深くお辞儀をし、あっさりと帰って行った。
ドアが完全に閉まると、部屋がしんと静まり返る。ひとつ溜息をつくと私は改めて、真正面から灰原と向き合う。
「…呪霊は、本当に貴方の差し金ではないんですね?」
「信用ないなぁ、僕が後輩貶めるわけないじゃん」
「それなら…良いのですが」
灰原は、ずっと笑って私を見ている。
妹を失ったあの日から、不自然な程の笑顔を湛え、暗い瞳に光が入ることはない。
「隈が酷いね、ちゃんと寝てる?」
「………」
ことんと首を傾げ、灰原が私に近寄ってくる。
足音ひとつ、気配すらしない彼は、まるで幻でも見ているかのようだった。
「僕のせいかな?」
「分かっているなら、何とかして下さい」
「えー?そんな事言われてもなぁ」
「昔の…よう、に」
急に目が霞み、頭かグラグラとしてくる。
灰原を前に完全に油断してしまった私は、もう何も考える余裕はなく、自分で何を発しているのかさえも把握できていない。
「うん?」
「…いえ、何でも、ありません」
「………それっ」
「っ!?」
咄嗟のことに受け身が取れず、ベットに勢いよく倒れ込んでしまった。
「灰原っ?」
一瞬何が起こったか理解出来ず、気付いた時には目の前に灰原の顔があった。
ベットに投げ飛ばされたのだ。
灰原は私のそんな様子を楽しそうに眺めると、すぐ隣に灰原も音を立て寝転ぶ。
「よくさ、任務後で眠れない時に…こうやって隣で寝たよね?」
「…はい…」
「ふふ、七海ってホント。横も縦も、デッカくなったよねー」
そう言い、私のじっとりと濡れた前髪を払いながら、頭を優しく撫でる灰原の暗い瞳と目が合う。
「貴方も…です、狭い」
「ええーそう?」
意識がだんだんと遠のいていく。
危険だと分かっていても、この状況が灰原の呪術なのか、自身の寝不足のせいなのか分からないまま、逆らえずに目を閉じる。
「は、…い」
「おやすみ七海、……僕の…ことは…………」
まぶたの裏に、今にも泣き出しそうな彼の顔が浮かび上がるもそれはすぐに消えてしまい、私は深い眠りへと落ちた。
✳✳✳
『さようなら』
「…ここは?………灰原?」
目覚めた時は既に、部屋の中に置かれてた荷物は忽然と消え、当然灰原の姿はなかった。
私はまだ温もりのあるシーツにただ顔を埋め、灰原との曖昧なこの関係が終わりへと近付いているのだろうと、静かに悟った。