たくさんのおまえ:司レオ ふと霊感が湧いた時。どうぞ、とコピー用紙を差し出された。自前のせっかちから思考の袋小路に陥った時。噛んで含めるように丁寧な説明がなされた。作曲に夢中になって周りが見えなくなった時。『霊感』の収束を待って叱責を受けた。
同じESビルで活動する、アイドルであったり、プロデューサー、はたまた社員であったり――顔を覚えていたりいなかったりする、たくさんの人たちとの、そんな触れ合いの中で。
折々、ふわりと香るように、思考の端を過ぎる姿があった。
鮮やかな赤い髪の青年。我らが王さま。
(ああ、スオ〜みたいだ)
♪
「ふふ、月ぴ〜ってば、最近そればっか」
膝の上の黒いかたまりが動いて、揶揄うような響きでもって言葉を紡いだ。
さらりとした黒髪が脛を掠めてくすぐったい。遠慮なく体重を預けてくる彼は、本当に猫のようだと思う。
「なにが?」
問えば、殊更に愉快な様子でリッツは瞳を細めてみせる。
「誰それがぷんぷん怒っててス〜ちゃんみたいだった〜とか、誰それが白い紙をくれてス〜ちゃんみたいだと思った〜とか」
「えっ、だってスオ〜みたいだろ?」
ふとした世間話のつもりだった。共感して盛り上がる類の。だから、同意してくれるわけではない物言いが、少し意外だった。
「んふふ、多分ね、俺がその人たちに同じことをされても、ス〜ちゃんみたい〜っては思わないんじゃないかな」
そもそも俺は五線譜もらったりしてないしねぇ、と彼は膝にすり寄ってきた時と同じくらい気まぐれに、すくと起き上がって髪を整えている。
「え〜〜〜つまり、どういうこと?」
「うーん関係性の話かなぁ? まあ、月ぴ〜の中でス〜ちゃんが占める割合って結構大きいんだなって」
♪
「何故」と、一度思ってしまえば、疑問は頭に残り続ける。
考えてみれば不思議だ。鮮烈なあの髪を。意志の強い瞳を。決して引くことのない強情さを。折に触れてこちらを気遣う律儀さを。丁寧に言葉を繰る誠実さを。いろいろな人の中から、ふと見つけてしまう。
リッツと別れてぶらぶらとビル内を散策している今も、この議題は頭の中で展開されたままだ。
(どうしていろんな人をスオ〜に似てるって思ってしまうんだろうな?)
ビルですれ違う人たちは、アイドルだとか、ESの社員だとか、はたまた取引先、商業施設の利用者……とにかく、いろいろな立場のいろいろな人。性別も瞳の色も髪の長さも物の考え方まできっと様々で、つまるところ、おれがスオ〜に似てると思った人たちは、性別も瞳の色も髪の長さも物の考え方まで様々な人のはずなのだ。
それなのに、確かに「似ている」と思った。その人たち同士が、というわけでもなくて、他でもない、スオ〜に。
(むむむ、これは難問だ)
――その時。
何とはなしに向けた視界の先で、見間違うはずもない、今まさに思考を席巻している赤い頭が目に留まった。
フロアの吹き抜けから見える、一層下の階のガラス越し。周りにはスーツを着た男女が数人見て取れるから、朱桜家の当主としての仕事なのかもしれない。少し張り詰めたような表情で、それでも、いつものように意志が強く宿った瞳が静かに輝いていた。
こちらには気づかないだろうな、というぼんやりとした予想を覆すように、ふと目が合う。時間が止まったような感覚の中で、彼がどんな顔をしてみせるのか、強く興味を惹かれた。
そして同時に、いくつもの表情がスライド・ショーのように、脳裏に浮かんでは消えて行く。怒り……何をやっているのですか! と唇を尖らせるスオ〜。呆れ……邪魔をしないでくださいね? と嗜めるように釘を刺すスオ〜。喜び……帰っていらしたのですね! と時折素直に笑いかけてくるスオ〜。
これは妄想か? ――否。紛れもなく全部、今まで過ごしてきた記憶の中の。
「あ」
ああ、なんだ、スオ〜みたいな人がいっぱい居るんじゃなくて、おれの中がスオ〜でいっぱいなんだな。
唐突に開けたような視界の中で、果たして現実のスオ〜はというと、視線の強さはそのままに、ふわりと口元を緩めてみせた。そして、悪戯っぽく、こっそりとこちらに手を振るのだ。
「……あはは!」
アイドルではない仕事の最中だからだろうか、今までに見たことのない表情が、瞳に焼き付いて離れない。ああ、きっと、この瞬間におれが「スオ〜みたい」だと思ってしまう範囲はまた広がったのだ。
このままだと、老若男女、誰を見てもスオ〜みたいだって感じる日が来るのかもしれないな。そんなことを思うと何だかおかしくて、ぶんぶんと勢いよく手を振り返した。
ふとした折に現れる、たくさんのおまえ。言葉を、表情を、感情を、他ならぬおまえがくれたから、だから、重なるのか。
それは心が浮き足立つような大発見だった。ぞわりと背中が疼いて、戦慄くようにペンを握る。
こんな感覚に、感情に、名前をつけるとしたら、例えば――。
「あーーーーー、『霊感』‼」
【終】
あ、愛……
特にはちゃめちゃ関係してるわけではないんですが、Nemuki+コミックス「チキタ☆GUGU」(新装版 全6巻)を宜しくお願いします、参考書籍です。