冬の夜の会話:司レオさむいな
ええ、さむいですね
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「『凍えそう』だなんて、それだけをメッセージで送ってくるのはやめて下さい」
弓道場の射場に正座をして、そんなことをじとりと唱えてみたところで、あまり手応えもなく、彼の後頭部に当たって跳ね返ってくる。
「ごめんごめん! メッセージ入れてたの忘れててさ!」
しんと冷えた空気の中で、レオの明るい声がうわんと反響し、その響きはゆっくりと時間をかけて収束した。
「寒いなぁって思ったら、何だか会いたくなっちゃって!」
そんな風にあっけらかんと笑う、能天気な調子のレオは、寒波の注意報が出ている今日のような日であっても普段と変わらない。この人は、こと作曲において、自身の身体を顧みるということをしない人だ。だからこそ、司は常々彼を心配していて、その動向を気にかけている。
少し前に得た「レオの恋人」という立場は、司のそうした態度へ、ある種の正当性を与えてくれたように思う。かと言って、レオの何が変わると言うでもなく、やはり事あるごとに、身体を大事にしてほしいというもどかしさをぶつけずにはいられないのだけれど。
もやもやと渦巻く感情を抱えながらも、「会いたくなった」だなんて言葉に毒気を抜かれてしまうので、自分も大概単純だ。ただ、そんなことを言うわりに、司からの着信には応えてくれないのだからタチが悪いと思う。せめて場所を教えてくれさえすれば、学院中をばたばた探し回らずに、すぐに向かえたのに。
そんな苦情もどこ吹く風で、レオは、正座した司の膝をクッションのように抱き込んで、そのまま器用に五線譜へ音符を書き込んでいる。
「私はあなたのカイロでも湯たんぽでも無いんですけれど」
毅然と言い放ったはずの言葉がどこか形無しなのは、きっとこの体勢のせいだ、と司は小さく嘆息した。
冬の日暮れは早く、そして弓道場の射場は吹きさらしだ。すでに矢道には濃い闇が満ちていて、時折こちらまで届く風は冷たい。だというのに、先程から「書き終わるまで待って!」の一点張り。これでは、こちらの肝が冷えるというものだ。
持参したカイロを彼の背中に貼り付けたのち、寒さを少しでも何とか出来ないかと身体のあちこちを撫でるように摩る。次からはブランケットか……もしくはいっそ寝袋なんかを用意しておこうと心に決めた。
膝の上のレオは、司がぺたぺたと触れることを気にする様子もなく、作曲作業に勤しんでいる。彼の身体はどこもかしこも、何なら纏う衣服まで芯から冷たかったが、ここまで走ってきて火照っている司の身体には、丁度良いくらいだった。
「ほんとに寒くってさ、動けなくなってたというか、これが冬眠か⁇ みたいなっ」
「そんな訳ないでしょう、人間は冬眠しません。とはいえ、体温が低下しているのは間違いないので、防寒をしっかりしてください」
レオは豪快に、わはは気を付ける、だなんて笑って見せたが、本気で思っているのかは怪しいところだ。
「でも、実際冬眠ってどんな感じなんだろうなっ! じっと動かずに土やら何やらの中で眠り続けるだなんて、ちょっと死んでるみたいだ! それなのに、春の息吹によって目を覚ます! わはは、なんだか王子様の目覚めのキスみたい! 生命の停滞! 仮初めの死! 死から生への流転! あああ『霊感』っ! が……っ」
捲し立てていた勢いは急に失速し、ゆらゆらと動いていた彼の頭は、司の膝の上へと着地する。
「駄目だ……『霊感』は湧いてるのに……」
そうしてレオは、膝を枕のようにして顔を横たえながら、「ちょっとあったかくなったから眠くなってきたのかも」なんて呟きを、低いトーンのままで零した。
「もうっ、ほら帰りますよ」
どうせ眠るなら、自宅の布団の上できちんと寝るべきだ。どうにか肩を揺さぶってみたものの、膝へ乗られていては、司も満足に動けずにされるがままになってしまう。
もぞもぞと動きながら鼻先を擦り付ける動きは、どことなく小動物を連想させた。つい最近まで、ここで匿っていたネコの親子のような。
「ううう、今なら安らかに眠れそう……」
「それ、dramaの雪山とかで『寝ちゃ駄目だ』って言うやつでしょう」
「だいじょうぶ、これは冬眠だから……」
「大丈夫じゃないですよ、全く」
この人は、発言の意味を分かっているのだろうか。
先ほどレオも言っていたように、冬眠とは、動物が体温を下げて一種の仮死状態になり、そうして冬を越すことだと聞く。「仮初めの死」だなんて言ってみせたことをしようだなんて、どういう了見なのか。
レオは時折、「満足して死ねる」だとか、こちらがゾッとしてしまうようなことを、事もなげに言ってみせる。彼が経験した悲しみや苦しさについて理解するには、まだ司には知らないことが多く、そうした言葉をどのように受け取るべきかについて、日々考えることしかできない。それでも、例え話の発言だとして、死なんてものに寄り添う物言いはやめてほしいと思う。
この人のことを理解したいと思うようになってから、そんな歯痒さと切なさの底から、ちいさな灯火のような願望がゆらりと顔を出すようになった。
いつかきっと、絶対に。隣に並び立ち、言ってやるのだ。
(――ともに生きていきましょう)
レオを起こそうと苦心しているうちに体勢は変わり、彼はいつの間にか、司の膝の上で仰向けに頭を横たえている。力の抜けた手がペンを手放したので、ゆるく開かれた冷たい指へ、己の指をそっと絡ませた。
安らかな微睡みの中にいるときの、どうしようもなく幸せな気持ちなら、司だってよく知っている。彼が享受しているだろう心地よさの邪魔をしたくはない。邪魔をしたくはないけれど、こんなところで冬眠なんてされては、堪ったものではない。
体温の違いを均すように、冷たい頬を撫でさする。呼吸は深く、それでも、擽ったそうに口角が上がるのが見てとれた。冷たく、白い相貌を瞳におさめて。
そうして、そのまま屈み込んだ――さながら息を吹き込むように。
ピクリ、と握っていた手のひらが反応したことを感じながら、とても近い距離で、その眦が大きく見開かれる瞬間を目にする。
「……春の息吹ですよ、目が覚めましたか?」
「……ああ、たしかに、スオ〜ってなんかすごく春っぽい、もん、な……?」
明後日の方向に納得をしながら、「あれ、今……?」と目をぱちぱちとさせている彼は、どうやら眠気からは脱したようだった。
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……えーーーと、さむいな?
ええ、さむいですね
さむいから、おまえ、もうちょっとこっち
はいはい
【終】
月永レオの死と再生について定期的に考えてしまうなぁという短文だったんですが、アニメで突然のコンチェルトにびっくりしました。