甘える(仮):司レオ「何をやってるんですか、あなたは⁇」
「えーと……耳かき?」
弓道場の扉を開けた時、そこにいたのは、座って耳かきをするレオの姿だった。
「なんかさ、耳って急に痒くなるじゃん? うーーームズムズする‼︎ って思ってたら、そう言えば、弓道場のお泊まりセットの中に耳かきがあったような気がして……」
「まあ、衛生用品の一つとして常備していましたね……」
そもそも、主にレオが夜を徹することを想定して、弓道場には宿泊可能な設備が備え付けられている訳だが、レオが卒業した現在も撤去できないままでいる。そのことに、いつか向き合う必要性を感じてはいるものの、未だに活用されていることを思えば、暫くはそのままでも構わないだろうか。
「というか、来るなら来ると事前に言ってください! 」
レオはいつものように霊感に導かれたのか、特段司に連絡があった形跡はなく、学院内どころか日本に居ることすら寝耳に水だった。
今日の司は弓道着を持ってきていない。弓を射るためでなく、用具の補充をするためだけに立ち寄ったからだ。
事前にレオが来ることが分かっていたら、きちんと準備をして来たし、射形のアドバイスを求めることができたかもしれないのに。
「あ〜今日部活しにきた訳じゃないのか! 」
レオの方も想定していなかったのか、意外そうに目を瞬かせている。
そうして自身の耳から引き抜いた耳かきの先を、ふっ、と息をかけて吹き飛ばした。
「まあ、折角だし、ちょっと此処にいたらいいじゃん。おれも今日この後は何にも用事ないし。なんか懐かしいだろ? リトル・ジョン達はいないけど〜、あっ、何なら耳かきしてやろっか?」
「は⁇」
手元の耳かきをタクトのように振るうと、レオはそんな風に突拍子もないことを口にする。
「前になんかおもしろい反応してたし……ほら、プロデューサーにしてあげてた時」
「いえ、あれは今でも本当にどうかと思いますよ。耳かきなんて、近しい人にしかしないでしょう……」
「じゃあいいじゃん。おれら、付き合ってるんだしさ」
顔を顰める司に対して、レオはあっけらかんと告げる。二人は暫く前から紆余曲折の果てに交際を始めていた。
「……っ、少し、早い気がします、私達には」
「おまえの耳かき観、だいぶ謎解きなんだけど……」
おれと認識が違ってたりする⁇ とレオは不思議そうに首を傾げている。
「耳かきってやってもらったことない?」
「……昔。母に、やってもらったことはあります」
しかしそれは、記憶が朧げなほどに、司が小さな頃の話だ。
「ただ、父も母に耳かきをしてもらっていて、その空気感、といいますか……」
自身の耳かきの記憶よりも、司の記憶に残っているのは、むしろ父母のその光景だった。
「だって、年端もいかない子どもならともかく、自分でできることをわざわざ相手にやってもらうのって……甘えてるってことじゃないですか? 父が母に甘えてるのって、まあ、夫婦であれば当然かもしれませんが、普段厳格な面を見ていた分、子ども心に若干気まずくて……物心ついた分、今もちょっと思い出すと恥ずかしい気がしてしまう、と言いますか」
目を逸らしながら答える司を横目に、レオは何やら得心が行ったとばかりに手のひらをポンと打つ。
「はは〜ん、なんとなく分かった!」
そうしてずいと司の前に歩み寄った。
「リピートアフタミー!」
「発音がなってません」
「いいから! 『甘えるのは悪いことじゃない!』」
「『甘えるのは悪いことじゃない』……はい?」
しっかりと復唱した後、レオに対して若干怪訝な視線を向けてしまう。
「別に、子どもじゃなくても甘えていいんだ。おまえずっと頑張ってるしさ、おれももっと、なんというか……甘やかしたい! もし恥ずかしくても、ここにはおれしかいないし!」
胡座をかいて座ったレオが、片側の太ももをぽんぽんと叩く。
「ほらっ、おいで! 大っぴらに甘えさせてやるっ」
なおも逡巡する司を、レオは黙して待っている。
「…………失礼します」
「うん!」
そうして慎重に頭を横たえたそこは、内腿だからか想像していたより柔らかく、そして温かかった。
「……あの、Inspirationの予兆があった時点で耳かきをおいてくださいね?」
「む、信用ないな〜。ルカたんのをやってあげてたこともあるんだぞ」
「それは……信頼に値する情報ですが……」
問答に終止符を打つように、スッと耳かきが耳の中に入ってきて、司は一旦口を噤むことになる。ゆっくりと動き出す耳かきに、少しだけ心配したような痛みなどはなくて、徐々に肩の力を抜いていった。
「おお、綺麗なもんだな」
「それは、まあ、自分でも処理してますから」
普段人にまじまじと見られる場所では無いことも相まって、若干の羞恥を覚える。耳が赤くなってしまっているかもしれない。
「痛くない?」
「……心地良いです」
カリカリと絶妙な力加減で耳の中を刺激される。果たしてレオは本当に耳かきが上手だった。
そうして、とろとろと思考が緩慢になってきたところで、不意に「ふっ」と耳に息を吹きかけられた。
「ひゃっ⁈」
「あ、ごめんごめん! 仕上げって言うか、ほら、はんた〜い」
ごろりと頭を転がされて、仰向けになった瞬間にレオと目が合った。ん? と覗き込まれて、垂れる髪が影を作る中で、果実みたいな瞳が煮詰まるように綻ぶ。
人を甘やかす時の甘やかな微笑みを、視界に収めて享受する。そうして促されるままにレオの身体の側を向いて、反対側の耳を差し出した。
「なんかさ、あるらしいじゃん? 耳かきASMR? みたいなやつ。こんな感じなのかな? おれらも仕事でやったりしないかな」
耳の中でカリカリと響く音と感覚に混じって、普段より少しだけ密やかなレオの声が聞こえてくる。
「Idolが、というよりは配信者の方が行う Imageの方が強いかもしれませんね。まあ、Idolであれ、今後は配信などにも力を入れていくべきなのでしょうが……」
「ああいうのでよくある囁き声とかだと、スオ〜みたいな声質の方が合ってるのかもな〜」
くすくすと淑やかなレオの笑い声が頭上で響く。耳に添うように置かれた手のひらの体温が心地良かった。
「スオ〜? ……寝ちゃった?」
控えめに問うような、レオの優しげな声が遠くに聞こえた。
意識を手放した訳ではなく、それでも微睡の淵に立っているような感覚だった。
「起きています」と身体を起こすことは可能であるとは思う。けれど、まだこの体温に甘えていたい、と思ってしまったのだった。
無意識に近い感覚で、すりと太ももに頬擦りをすると、頭を優しくぽんぽんと撫でられる。その感覚を甘受しながら、ゆっくりと意識を溶かしていった。
【終】
「正射必中!」で書いたモブの子がその後ぎくしゃくと道場に入ってきてほしい