共犯「よっ、七海。お疲れさん」
「ああ、お疲れ様です、五条さん」
この日の授業を全て終え、五条は報告の為に訪れていた七海の元に顔を出した。
彼は京都に出張に出ていたので、戻るのは実に五日ぶりだ。
「どう、歌姫元気だった?」
「ええ、お元気そうでしたよ。それより五条さん、コレなんですが」
「ん?何?」
七海が自分に相談なんて珍しい。
そう思いつつ、彼の隣に腰を下ろしてその手元を覗き込む。
「えーと、何々…あれ?コレ、もう処理済の案件じゃない?」
「やはりそうですよね…一級以上の確認が必要な書類の中に混ざっていたんですが、」
「多分間違えたんじゃない?持ってきたの、誰?伊地知?」
「いえ、違いますけど」
緩く首を横に振る七海に、五条はテーブルの上に広げられていた茶菓子を手に取って頬張りながら笑う。
「それじゃ間違いだと思うよ、恐らくね。後で伊地知に確認しとくから、それは僕が預かっとくよ」
「…ではお願いします。そうだ五条さん、何か飲みますか?」
「へ?あ、そうね、それじゃココアが飲みたいかな」
急な七海の申し出に目を白黒させながらも素直に五条が希望を述べると、立ち上がった七海が「そこの自販機で買ってきます」と部屋を出て行った。
「…どうしちゃったんだろ、アイツ。ヤケに殊勝なんだけど…」
一頻り首を捻る五条だったが、ポイポイポイと茶菓子を口に放り込みながら能天気に破顔する。
「ま、あれか。アイツも僕に会えなくて寂しかったって事かな。何だよ、可愛いトコあるじゃん」
普段から塩対応の多い恋人の可愛い一面に、五条の口元が益々だらしなく緩む。
と、紙コップをふたつ持った七海が部屋に戻ってきた。
「お帰り七海ぃ。待ちくたびれちゃったよー」
「そんなに待ってないでしょう……あ、」
五条の前にココアを置いた七海が、戸惑ったような声を上げた。
「……ソレ。食べてしまったんですね、全部」
「え?あ、ゴメン、美味かったからつい…あ、まさかオマエ、まだ食べてなかった?」
「いえ、ひとついただきましたけど…食べたんですね、全部?」
「あーうん、ゴメンって。今度、オマエの好きなの買ってくるからさ、」
両手をパチンと合わせて謝罪する五条に、七海は何故か困ったような表情を浮かべて言った。
「違うんですよ、五条さん。そういう事ではなくて、「おい七海、いるか?」」
七海の言葉を遮るようにズカズカと入室してきたのは家入で。
「なんだ、五条もいたのか。まぁ良い、七海、歌姫センパイから預かってきたブツ、受け取りにきたんだけど」
言い切り様に手を差し出してきた家入は、傍目から判る程に上機嫌だ。
「なーに硝子、随分ご機嫌じゃん。歌姫から何貰ったのさ?」
「ああ、酒の肴だよ」
珍しく満面の笑みで話す家入によると、以前庵から美味い酒を送ってもらい、更に今回、その酒に良く合うツマミを見つけたので七海に持たせたという話らしい。
「センパイの見立ては間違いないからな。だから私も、その酒を飲むのは今日まで我慢してたんだ。さ、早くよこせ、七海」
菩薩のような美しい微笑みを浮かべつつ、差し出した手をヒラヒラさせる家入。
余程楽しみにしていたという事が手に取るように判り、滅多に見ない同期の微笑ましい姿に五条も思わず緩んだ表情で七海を見た。
見た、のだが。
「………」
「はちょ、どしたの七海、そんな顔して」
ご機嫌の家入とは裏腹に、七海は棒立ちで虚無の表情を浮かべていた。
心なしか、その顔色は青い。
「な、七海?ちょっと七海、どうしたんだって、なぁ硝子、七海がおかしいんだけど!」
慌てふためく五条を余所に、ようやく七海に動きがあった。
緩慢な動作で彼が指差す先、そこには食べ尽くされた後の茶菓子の残骸が残されている。
「………です、」
「ん?七海、聞こえないなぁ。もう少し大きな声で言ってくれ」
恐らくは、既に七海の言わんとしたい事を理解しているのだろう家入は、しかし妖艶な笑みを絶やさぬままに彼を促した。
それに観念したのか、七海はフゥと深く嘆息すると、はっきりとした声で言った。
「申し訳ありません。五条さんと、私が、食べてしまいました」
「え、あ、まさかコレ」
驚く五条を尻目に、どこから取り出したのかメスを構えた硝子がニッコリと笑う。
「よぅし判った。覚悟しろよ、お前等」
「ちょ、ちょっと待って硝子、僕濡れ衣…!」
室内に五条の情けない叫び声が長々と響き渡った。
「……で?ご丁寧にも僕を巻き込んでくれた理由、ちゃーんと訊かせてくれるよな?」
ね、七海?
と念を押せば、七海はひどく居心地悪げに項垂れた。
滅多に見られないその悄気た表情に思わずニヤケかけた五条は、うぅんと態とらしい咳払いで緩んだ口元を引き締める。
「なーなーみ?ちゃんと話してくれないと、流石に僕も怒るぞ?」
「っ、……済みません、でした」
「謝れとか言ってない。理由を話せ、っつってんの」
本当に怒っている時にしか出さない低い声で凄んでやれば、七海の肩がビクリと跳ねた。
あーもうホント可愛いなコイツ!と騒ぐ脳内五条を宥めていると、ようやく七海がポツポツと口を開く。
「…庵さんに、家入さん宛に渡して欲しいと頼まれた土産が美味しそうでしたので、自分でも買って帰ろうと思ったのですが…生憎売り切れてしまっていて」
「それでつい、食べちゃったワケ?」
「アナタじゃあるまいし、流石にそんな非常識な真似はしません」
「おいコラ、喧嘩売るなら買うよ?つか、結局オマエも食べてたんだから一緒じゃん」
ぐ、と言葉に詰まったらしい七海は、それでも事の顛末を話し続ける。
「それで結局、別の土産を自分用に買って帰ったんですが…その、包装が良く似ていて、」
「あーうん、確かに似てたねぇ」
先程、代わりにと家入に献上していた土産の包装を思い出し頷くと、更に七海の話は続いた。
「高専で休憩しながら、その土産を食べようと開封したんですが…書類に気を取られていて、」
「オーケー、判った。要するに間違えたのね、包装が似てたから」
「…面目ありません」
ガックリと項垂れてしまった七海に、そういやコイツ三徹だったっけなと思い返す。
高専に戻ってきた事で気が緩み、注意力も散漫になったのだろう。
そうでなければこんな凡ミスなぞやらかす男ではない。
「それにしたってオマエ、僕が最初に食べようとした時、止めれば良かったじゃん。気づいてたよな?」
「それは、…そうなんですが、」
七海はチラと五条を窺うと、殊更言い難そうに眉を寄せる。
が、それでも意を決したように口を開いた。
「…とても、アナタ好みの味だと思ったので…どうしても、アナタにも食べてもらいたかったんです」
「……は、」
「勝手に食べてしまった事は反省しかありませんが…でも、」
美味しかったでしょう?と。
そう控えめに微笑みかけられて、五条は思わず両手で顔を覆って天を仰いだ。
何だよ僕の恋人可愛すぎかよと血涙を流す勢いで五条は一人身悶える。
「……ありがと、七海。その言葉だけで僕、すっごく嬉しい。だから今回のお菓子の件は、喜んで七海の共犯になったげる」
「っ、ですが、それでは私の気が済まないので…あの、今夜は私が五条さんに…その、サービスします、沢山」
「へっマ、マジで」
「二言はありません。ですので五条さん、今夜は早く来て下さいね」
待ってますから
そんな甘い低音を五条の耳に吹き込んで、七海は足早に退室していった。
恐らくは羞恥に堪えられなくなったのだろう。
そして、残された五条はと言えば。
「くっ…はははっ、ホーント可愛いよなぁ、アイツ!ね、そう思わない?硝子」
「…やれやれ。ホントお前は意地が悪いな、五条」
まるで呼ばれる事が判っていたかのように入ってきた家入は、やれやれといった様子で肩を竦めた。
「七海のヤツ、可哀想に。最初から最後まで、ぜーんぶ五条の掌で転がされてるとも知らないで」
「何言ってんのさ。こーんなに僕に愛されてるんだよ?これ以上の幸せなんかないでしょ」
「自分で言うか、それを」
無下限に守られていると知りつつ、家入は白い髪が輝く頭をペシリと叩く。
勿論当たらないが。
「それにしても、もし七海が土産を間違えなかったらどうするつもりだったんだ?」
「ああ、それはない。七海が『ついうっかり間違えるように』僕が念を籠めた土産物の菓子折りを渡すよう、事前に僕が手を打っておいたからね。お陰で可愛い七海が見られたよ」
「なんだ五条、お前、いつもの七海じゃ不満なのか?」
「まっさか!勿論、普段の塩対応な七海だって可愛くて可愛くて愛してるよ。だからこそ、」
たまに見せる殊勝な態度が、ホント堪らないんだよねぇ
そう恍惚と呟く五条に、家入は呆れたように深い溜息を吐いた。
「…お前なんかに捕まった七海に心底同情するね。ま、それはともかく、約束の酒は忘れるなよ」
「勿論。ありがと硝子、歌姫にも宜しく言っといて。また頼むね」
「…まぁ、礼にもよるが…だがな五条、コレだけは言っとく。可愛い後輩を泣かせるなよ」
そうとだけ言い置いて、家入はヒラリと白衣を翻して退室していった。
その背を見送った五条の口から、地を這うような低い声が洩れる。
「…泣かせる?そんなワケないだろ、だって僕は七海を愛してるんだから」
可愛い七海、愛しい七海。
気高く誇り高く情け深いあの男を我がモノにする為に、一体どれだけの時間と労力をかけたか判らない。
その甲斐あってか、念願叶ってこの手に堕ちてきた愛しい男の愛情は、しかし五条が彼に対して抱く愛情に較べて随分と控えめで細やかだった。
まだ足りない、もっともっとオマエからの愛が欲しい
七海からの愛をより一層深く重いモノにする為、これまで五条は実に様々な手段をとってきた。
考え得るありとあらゆる方法を実行し、周囲の全ての自分に近しい人間を共犯として巻き込んで。
そして今回、家入と庵に協力を仰いでの作戦は、大成功だったと言えるだろう。
元々五条が考えていたシナリオは、【庵に頼まれた家入への土産を『うっかり』食べてしまった七海が、たまたま通りかかった五条に救いを求めるだろうから、そこを助けてやる】といったものだった。
ところが蓋を開けてみれば、七海は助けを求めるどころか、なんと五条を自ら共犯に巻き込んできたのだ。
それはつまり七海が五条に遠慮をしなくなってきた、早い話がそれだけ五条に気を許し、甘えてきているという事で。
「…七海、僕の七海。もっともっと、早く僕のところまで堕ちておいで。僕が一生、幸せにしてあげるから」
うっそりと微笑みながら呟く五条の青い六眼は、昏く鈍く不気味に輝いている。
これからも五条は、七海を囲い込む為に尽力を惜しまないし、手段は選ばない。
七海を我が手に繋ぎ止めておく為ならば、悪魔や呪いとさえ手を結ぶ事だろう。
全ては───七海への愛、故に。
「さーてと、さっさと残りの仕事片付けちゃおっかな」
なんと言っても今宵は七海が大サービスしてくれるのだ、遅れる訳にはいかない。
夜の楽しみに思いを馳せて、五条は足取り軽く部屋を出て行った。
彼の念を籠めたという菓子折りの残骸を、一片の灰すら残さず燃やし尽くす事も忘れずに。
◆ 了 ◆