どんぐりひろいやさん かんたろお くあぁ、と大きく口を開けてあくびをする。朝まで飲むもんじゃねぇな、と尾形は昨晩より少し伸びた顎鬚を撫でた。
駅から家までの最短ルートである公園の中を突っきる。まだ土曜の七時だというのに、公園の中には人がまばらにいた。ジョギングをしている人や犬の散歩をしている人はまだ分かる。ベンチで話し込んでいる人までいるのに尾形は驚いた。一体何時から集まっているんだ。さすがに一晩中語り明かしているわけではないだろう。
「い、いらっしゃいませぇ……」
か細い声が足元から聞こえたとき、尾形は自分の幻聴だと思った。寝不足の頭と飲み過ぎの体に、朝の爽やかさは少々毒だ。早く帰って横になりたい。
「ぃいらっしゃいませぇ!」
さっきよりも勢いのついた大きい声でそう言われて、思わず足元を見た。そこにいたのはまだ小さな子どもで、レジャーシートを広げて座っている。端に置かれた画用紙にはギリギリ読める字で「どんぐりひろいやさん かんたろお」と書かれている。
「どんぐり……?」
まだ酒が残っているのだろうか。目を細めても文字の並びは変わらない。どんぐり拾い? 尾形の頭の中がはてなで埋まる。
「あの、あの、どんぐりです」
かんたろおがシートに置いていたどんぐりを手にとって尾形に差し出してくる。このまま無視するのも気分が悪い気がした尾形はその場にしゃがみこんだ。子どものままごとに付き合う趣味はなかったが、あまりにも必死そうな声に釣られてしまった。
「どんぐり……」
「おれ、どんぐりひろいやさんです」
「なる、ほど?」
「きょうはこれとこれ、ひろってきました」
渡されたどんぐりは二粒で、どちらもよく似た形をしていた。その違いは分からないが、何となくもっと綺麗なものがあったんじゃないかと尾形は考える。擦り傷のようなものが入っているどんぐりは、お世辞にも見た目がいいとは言えない。
それともこういう傷が味になっていていいのだろうか。
「どんぐり、いりませんか?」
「あー……」
そう言われても、どんぐりをもらったところでどうしていいのか分からない。鑑賞目的で買えばいいのか、それとも何か実用的な使い方があるのか。
尾形がどんぐりを見て固まっていると、かんたろおは俯きながら呟いた。
「やっぱりだめですよね」
見れば、かんたろおは大きな目を潤ませて今にも泣きそうな顔をしている。
「おれ、まだどんぐりひろいやさんのみならいなんです」
「見習い」
「おとなりさんは、ずっとどんぐりひろいやさんのおうちで、すごいんですけど」
少し間を置いたところにも同じようにレジャーシートが敷かれており、頭から毛布をかぶっている何かが店番をしているようだ。大きさ的にはかんたろおと大差ないので、毛布の下には子どもが入っているのだろう。
そして隣の方は人だかりができている。隙間から見えるシートの上に並べられたどんぐりの量も多い。どんぐり拾いをずっとやっている家って何だよとツッコミたくなったが、子どもの言うことをまともに受け取るのはよろしくない。手のひらの上のどんぐりをかんたろおに返す。
「まだひとつもどんぐりうれたことなくて」
「売れる」
「はい。おれはまだみならいなので」
「ほーん……」
返されたどんぐりを並べ直したかんたろおは手の甲で目を拭うと、にぱっと笑顔を作った。
「りっぱなどんぐりひろいやさんになるために、がんばります!」
立派などんぐり拾い屋がどんなものなのか尾形は分からなかったが、どうせ釣られたのだ、最後まで付き合ってやるか、と思った。
コートのポケットの中に手を入れると小銭同士がぶつかってじゃらじゃらと音を立てる。いくらあったかな……と小銭を掴んでポケットから出すと、七七七円入っていた。縁起がいいな、なんて考える。
「じゃあこっちのどんぐり、いくらだ」
「え!」
かんたろおが飛び跳ねる。立ち上がるとさすがに尾形よりも大きい。
「い、いくらかっていうと、ええと、その」
「売ってるんだろ?」
「うううううってます! でも、その、くださいっていわれたことなくて、ええと、どんぐり、ど、どんぐりです!」
混乱するかんたろおはその場をぐるぐると回り出した。その様子を黙って見ていても、すぐに答えは出てこなさそうだった。
空気は少しだけ冷えているが、柔らかな日差しを背中に受け続けていると暖かくもなる。尾形は口を目一杯広げてあくびをした。
「じゃあ金額決めるまで後ろで寝てていいか?」
レジャーシートの半分ぐらいは使われていないスペースだった。隣のどんぐり拾い屋はストックなのか何なのか、カゴがいくつか置かれているがここには何もない。体を丸めていれば大きくはみ出すこともないだろう。
目をぱちくりさせているかんたろおは自分の後ろを振り返る。尾形を見直して、もう一度振り返って、もう一度尾形を見た。
何度目か分からないあくびをしていると、かんたろおがおずおずと口を開いた。
「まってて、くれるんですか?」
「まぁ、どんぐり、欲しいからな」
「おれのところでいいんです?」
「あー、かんたろおのどんぐりがいい」
あと何でもいいから横になりたい。目尻にたまった涙を指で拭うと、かんたろおが恥ずかしそうに笑いながら少し前にずれて後ろのスペースを広げた。
「えへへ、あの、じゃあ、どうぞ」
「ん」
靴を脱いでシートに上がる。ごろりと寝転べば、かんたろおが嬉しそうに座布団を差し出してきた。
「まくらにしますか?」
「ん? いや、いい……お前の尻が痛くなるだろ……」
自分の腕を枕にして尾形は目をつぶった。かんたろおはそれ以上何か言うことはなく、座布団に座り直したようだった。
全身に降り注ぐ陽の光が気持ちいい。今日は風もないし、十一月にしては気温が高い日になるようだ。そんなことを昨晩飲んでいた店のテレビで言っていたような気がする。
半日前の記憶だから曖昧になっているが、一緒に飲んでいた友人と「明日は家から出ないだろうから関係ないな」と笑っていたはずだ。それがまさかひなたぼっこをしながら仮眠をとることになるとは。
そういえばかんたろおはどんぐりの値段も決めたら起こしてくれるのか。それとも、なんて考えていると意識がずぶずぶと深いところに沈んでいった。
腕がしびれて痛い。
尾形は眉間に皺を寄せた。少し肌寒いような気がする。布団はどこだと手をばたつかせていると、何者かに掴まれた。恐る恐る目を開けると、すぐ横で自分の顔を覗き込むかんたろおと目が合う。
「おきた!」
「んん……」
そうだ、忘れていた。ここは家のベッドの上ではなく、公園のレジャーシートの上だった。かんたろおの小さい手が尾形の手をしっかりとこねる。どういうつもりか分からないが、特に害はないのでそのままにしてみた。
「おきゃくさんはもうかえりますか?」
「んー?」
「そろそろ、みせじまいなんです」
「店じまい」
言われてみれば辺りは薄暗くなっている。何時間寝てたんだ……? と尾形はのそりと体を起こした。かんたろおの両手は尾形の右手を離さない。このままずっとこねられ続けたら、もちもちのやわやわな手のひらになるかもしれないな、と少し笑った。
「店じまいしたら家に帰るのか?」
「はい」
「家は近いのか?」
「はい、すぐそこです!」
そう言ってかんたろおが指差したのは公園の奥にある雑木林だった。その奥に家があるのか? と考えるが、確かその裏は駐車場になっていたし、そもそも林がそれなりに広いので「すぐそこ」とは言わないだろう。
とはいえ子どもの言うことだからな……と尾形はまた両手でこね出した夏太郎の小さな頭を見る。頭の上に何やら丸いものが見えた気がしたが、まばたきを繰り返しているとなくなってしまった。気のせいか?
「でもまだどんぐりのねだんがきまらなくて」
「ああ……」
かんたろおの後ろにはまだどんぐりが二つ並んでいる。片方は尾形が買うことにしたものだが、もう片方もまだ売れていなかった。隣のどんぐり拾い屋は一足先に片付けをしていたようで、あとはレジャーシートを畳むだけになっている。
小さい体を器用に動かしてシートを畳む姿を見ながら、ずっと被ってる毛布が落ちないのはすごいな、と感心した。
「あの、だから、その」
「ん。決まるまで待つ。あともう一個の方も俺が買う」
空いてる手でかんたろおの頭をひと撫ですると、目を大きく開かれた。嫌だったか? と思い手を離すと、もっともっとと頭を差し出してきた。
「えへへ。きょうおきゃくさんきてくれてよかったです」
「そうか」
「えへ、なでなでうれしいですねぇ」
「……そりゃよかったな」
小さい子どもにそう言われると、胸にくるものがある。本人は気にしていないようだが、親は何をしているんだ。そう思う尾形も、親に頭を撫でられた記憶はあまりなかった。
「店じまい、手伝うぞ。家までも送る」
「ありがとうございます! いえはすぐそこなので、だいじょうぶですよ!」
「すぐそこってなぁ」
「そこの、おおきなきがあるでしょう? あれのねっこのところなんです」
「根っこ?」
「はい。ねっこのところにあながあって、そこがいえなんです。そろそろさむくなるから、もっとあったかいところをさがしたいんですけど」
にこにこと尾形の手を揉むかんたろおは嘘を言っている雰囲気はない。
交番か? それとも自動相談所? 尾形はかんたろおに合わせて笑顔を作る。親は何をしているんだ?
「親は?」
「おれはかぞくいないんです。ええと、きづいたらおれだけだったので」
「いない……」
「おきゃくさんはかぞくいますか?」
そう聞かれて尾形はドキッとした。シングルマザーだった母親も、同居していた祖父母もとっくの昔に亡くなった。親戚の家をたらい回しにされたときに知った父親と義弟の存在を無いものとすれば、尾形にも家族はいない。気がついたら一人だった。
「俺、は……」
尾形を見上げるかんたろおが首を傾げる。
「ふふ、おきゃくさんもなでなでしますね」
膝立ちになったかんたろおに頭をぐしゃぐしゃにされて、尾形は気がついたら目の前の細い体を抱きしめていた。
寂しいとか、悲しいという感情ではない。ただどうしようもなく愛おしい気持ちになった。
まだ酒が残ってるのかもな、と自嘲気味に笑ったが、かんたろおの胸に顔を押し付けていたのでその表情は誰にも見られなかった。
「かんたろお、うち来るか?」
「ええ? おきゃくさんちですか?」
「暖かいところ探すって」
「はい、そうです、でも……」
尾形が顔を上げる。目を丸くしているかんたろおと目があった。おろおろとした声を出しているが、その目には期待の色が浮かんでいる。
「俺も一人だから、家に誰かいてくれるのは嬉しい」
「おれ、まだどんぐりひろいやさんのみならいで、だから、その、どんぐりもちゃんと、ひろえないのに、そんな」
「お前が一人前になったらうちから出て行ってもいいし」
「あう……」
「どんぐりの値段決まるまででもいい」
「それ、はぁ……」
抱きしめる腕の力を少しだけ抜いて背中を軽く叩くと、かんたろおはその場に正座した。尾形は広げていた足を曲げて緩い胡座をかく。かんたろおを囲うように足を組んだ。
「これから寒くなるのに、木の根っこじゃ寒いだろ」
「はい……」
「うちに来たらご飯は出るし、暖かい布団もある」
「うぅ……」
「嫌だと思ったら出て行けばいい。一回見るだけ見てみるか?」
「みるだけ……なら……」
もう一度夏太郎の胸に顔を埋める。お日様のにおいと若干の獣臭を肺一杯に吸い込んでから、尾形はパッと体を離した。何かもふもふとしたものが足の上を通っていった感覚があったが、かんたろおが目の前にいるので確認ができない。
まあいいか、かんたろおの気が変わらないうちに家に帰ろう。
翌朝、尾形はかんたろおではなくタヌキを抱きかかえていたことに驚くのは、また別の話。