まぐれ、気まぐれ のし、と頭に重さがかかる。確認しなくても分かる。尾形さんが俺の頭の上に手を置いたのだ。しゃがんだ姿勢のまま、俺は木の陰から一匹の鹿を見る。
遡ること一時間前。
俺はもっと土方さんの役に立ちたいと思い、茨戸からずっと持っているピストルの腕を上げようと考えた。せっかくなら誰かに教えてもらいたいな、と思ったのでまず最初に有古さんと都丹さんに声をかけた。普段からピストルを使ってる都丹さんや、従軍経験から有古さんなら! と考えたのだ。ところが二人は用事があったようで断られてしまった。
そうなるととても困る。残っているのは永倉さんと牛山さんと門倉さんとキラウシさんと尾形さんだ。その中で可能性があるとしたら……尾形さんだよなぁ。もちろん尾形さんだって従軍していたし、そうでなくても狙撃の名手だ。射程距離がちょっと変わったくらいで下手くそになるとは思えない。とはいえ、尾形さんにお願いしたところで聞いてくれるとは思えない。
聞くだけ無駄かな、と思いつつも背に腹はかえられない。もしかしたら……があるかもしれない。気まぐれで教えてくれるからもしれない。尾形さんから教わりたいかと聞かれると、答えに詰まるんだけど。
俺は火鉢を独り占めする尾形さんの横に黙って座る。縁側では土方さんがカウチに座って新聞を読んでいる。尾形さんは俺にちらっと視線を投げたが、それは「火鉢の前は譲らないぞ」という目だった。別にそこを取るつもりはないけど、場合によってはそこを離れてもらうことになる。場合によっては。そう、尾形さん次第ではあるんだけど。
「あのぅ、尾形さん……」
反応はない。目すらこっちを向かない。俺は一回天を仰いでから、尾形さんを見た。
「ちょっとお願いがありましてぇ……」
尾形さんの左目が俺を見る。どうしても慣れないな、この人の視線は。奥の奥まで見透かされそうで、ちょっと怖い。隠したいようなものがあるわけではないんだけど、どうも後ずさりしたくなる。
「俺に、その、ピストルの使い方教えてくれませんか?」
さっきより目が開かれる。意外だったのかな。
「何でだ」
「俺も役に立ちたいからです!」
「鉄砲玉としてか」
「ええ? まぁ、はい……戦えないと、何もできないじゃないですか」
「せいぜい犬死になるからなァ」
「だからピストルの使い方を教えてほしくって」
「引き金引けば撃てるぞ」
それは知ってる! と言いたかったが、俺はぐっと堪えた。
「狙撃が上手い尾形さんなら、ピストルも上手く使えるでしょうし」
「……ほう?」
「どうせ教わるなら上手い人から教わりたいですし」
「ふむ」
尾形さんの顔が俺の方を向く。その顔はもっと褒めろと言っているように見えて、俺は手応えを感じた。もうひと押しのような気がする。
「師匠選びは大事だって言うけど、俺のそばには狙撃の名手がいるわけですし」
「まあな」
「だから尾形さんに教えてもらいたいんです!」
ふすー、と鼻を鳴らして尾形さんが笑う。前髪を撫でつけて、
「そこまで言うなら仕方ねぇな」
と俺のお願いを聞いてくれた。
外に出たものの、何をどうすればいいのか分からない俺は尾形さんを見る。大きくため息を吐いた尾形さんは「こっちだ」と慣れた足取りで裏山に入っていく。俺はその後ろを慌ててついていった。
しばらく歩いていると、尾形さんが動きを止める。辺りを見回してから身をかがめたので、俺も黙ってそれに倣った。尾形さんの後ろから視線の先を見ると川があり、そこで一匹の鹿が水を飲んでいた。あれが今回の獲物になるんだろうか。
振り返った尾形さんは姿勢を低くしたまま俺と立ち位置を交換するよう顎で指示を出してきた。確かに水を飲むのに動きが止まっているなら……。
のし、と頭に重さがかかる。確認しなくても分かる。尾形さんが俺の頭の上に手を置いたのだ。しゃがんだ姿勢のまま、俺は木の陰から一匹の鹿を見る。
「よく狙え」
「は、はい……」
ぼそぼそとした声が頭上から降ってくる。尾形さんの声は低いから、音量を下げると途端に聞き取りづらくなるので、俺はそれにも気を張らないといけない。
それと頭に乗せられた手も気になる。たまにすりすりと小指が動くのだ。
「一発で当てろ。あんなデケェ的、はずす方が難しい」
「はいぃ……」
緊張感がすごいはずなのに、どうしてかな。頭に乗せられた手が気になりすぎて集中しきれない自分がいる。
とはいえ俺、あの鹿を仕留め損ねたらここで死ぬんじゃないのかな。大丈夫かな? 尾形さんは尾形さんで自分の銃を背負ってるわけだし、俺からこのピストルを奪って撃つことも可能なわけだし。
大体、本当にしっかり当てて欲しいなら俺の頭の上の手をどかしてもらえないだろうか。今度は親指が動いてるし。だけど俺は何も言えず、ピストルを構えて、狙いを定める。
「呼吸を合わせて、ここにはお前とアイツしかいないと思え」
「はひ」
だったら! なおさら! その手! どけて欲しいな!
耳元で喋る尾形さんの声もどうにかしてほしいけど、それよりも手だと思う。耳を触るなんてわざとでしょ!
俺はどうにか頑張って鹿に集中する。なんかちょっと動く重ための帽子をかぶってることにして、頭の上の尾形さんの手を意識の外に置くことにした。
言われた通りに息を潜めて、俺の存在が鹿に知られないようにして、お願いだから動かないでくれー! と念を込めながら引き金を引いた。
パァン! と乾いた音がして、鹿の太ももから血が噴き出す。鹿はばたりと倒れて動かなくなった。
「や!」
「やるじゃねぇか」
喜びから拳を握り、声を上げようとした俺より先に、尾形さんが俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。え? 尾形さんが誉めてくれて、頭を撫でた? 確かにさっきまでさわさわされてたけど、はっきりと撫でたね? そんな人間みたいなことを尾形さんってするの?
目を丸くした俺が尾形さんを見上げるも、パッと離れて鹿に向かって歩き出してしまった。
「あの、尾形さんっ!」
「何だ」
尾形さんは振り返らない。
「また教えてくださいね!」
「何でだよ」
「俺もっと上手くなりたいんです!」
俺は尾形さんの背中を追いかける。はためく外套の端を掴むと、尾形さんは嫌そうな顔をしながら首を回してくれた。
「知らん」
「俺がちゃんと戦力になるのはいいことでしょう?」
横に並んで尾形さんを見上げる。にこりと笑えば、眉間に皺を寄せられた。尾形さんの右目ほどの働きはできないかもしれないけど、その半分ぐらいになれば土方さんはもちろん尾形さんだって嬉しいはずだ。
「気が向いたらな」
「はーい、よろしくお願いします!」