どんぐりひろいやさん かんたろお3 布団の中の夏太郎を抱き寄せる。もふもふとした感触に思わず頬が緩んだ。寝る前は人間の姿でも、寝ている間にタヌキに戻ることはよくある。
よくあるが、ここ三日ほど夏太郎はずっとタヌキのままだ。これは今までになかった。何故? とは思うが、夏太郎の様子はいたって普通だ。どんぐり拾いに出ることはなかったが、食事は今まで通り食べるし、どこか痛がっているわけでもない。
ただタヌキのままなだけだ。人間にしろタヌキにしろ夏太郎は暖かくて抱き心地がいい。尾形は夏太郎の後頭部に頬ずりをした。
「かーん?」
「きゅぅー」
くすぐったそうに夏太郎が笑う。フーッとわざと息を吹きかけると、きゅうきゅう抗議の声を上げながら夏太郎が手足をばたつかせる。抱きしめる力を弱めると、くるりと体を回して尾形を見上げた。
「くゆ、わう!」
「んー?」
首を傾げながら鼻先同士を合わせる。頬をもちゃもちゃ揉んでいると、夏太郎が短い手を伸ばして尾形の手を叩いてきた。
「嫌か」
「うー、きゅぅ」
「どっちなんだか」
ふ、と尾形が笑う。夏太郎は尾形の頬に顔を擦り寄せた。その背中を優しく撫でる。うとうとし始めた夏太郎が二度寝をしようと目をつぶったとき、スマホからアラーム音がけたたましく鳴った。夏太郎の体が大きく跳ねる。
「ぴ!」
「あー、悪い。起きるか」
アラームを止めて、心臓がドクドク鳴っている夏太郎を抱きしめる。尾形が体を起こすと、夏太郎は布団から抜け出した。尾形はゆっくりとその後を追う。てってってってっと四つ足で歩く夏太郎の後ろ姿を見ながら、尾形は大きなあくびをした。
「ただいま」
買い物から帰ってきた尾形は、靴を脱ぎながらおかしいな、と思った。人間の姿だろうと、タヌキの姿だろうと、お見送りとお出迎えをしていた夏太郎が玄関にいない。
「夏太郎?」
名前を呼びながら廊下を歩く。たまにどこかで寝ていて、ドアの開閉音で起きた夏太郎がぱたぱたと走ってくることもあったが、今日はそれもない。
リビングダイニングに入っても夏太郎の姿はなく、視聴者のいないテレビから芸人の笑い声だけが聞こえてくる。
「かーん?」
電気の点いていない寝室のドアを開けると、ベッドの上が丸く盛り上がっているのが見えた。その大きさから、夏太郎が久しぶりに人間に化けたことに気づく。タヌキのボリュームではない。
「夏太郎? どうした?」
布団越しに夏太郎の背中を撫でる。できる限り優しい声で尋ねると、布団の中身がわずかに動いた。
「今日の夕飯は生姜焼きにするつもりなんだが、夏太郎も食べるか?」
「…………」
「ジャガイモも買ってきたから、そっちでもいいぞ」
「……ひゃく」
のそり、と夏太郎が布団の中から顔を出す。久しぶりに見た人間の夏太郎は、三日前より少し大きくなったように感じた。今までが幼稚園児ぐらいの大きさだとしたら、今目の前にいる夏太郎は小学生ぐらいの大きさに見える。
子どもの成長は早いって言うが、こういうことか? と尾形は考えたが、すぐに違うな、とそれを否定した。タヌキと人間の寿命の違いだろう。
猫は一年ほどで成猫になると聞く。猫とタヌキだとどちらが長生きかは分からないが、どうしたって人間よりは寿命が短い。
それはつまり成長のスピードが人間より早いということだ。
「ひゃくのすけさん」
「ん?」
布団ごと夏太郎を抱き寄せる。背中を撫でると、夏太郎が体を伸ばして尾形の頬に頬ずりをした。タヌキ姿ももちろん可愛らしいが、どうしたって人間の姿の方が安心する。夏太郎の柔らかい頬を感じられるのは人間の姿のときだけだ。
「おれ、その」
「うん」
「ひゃく」
「うん」
夏太郎が布団の中から腕を出して尾形のセーターを掴む。よしよしと頭を撫でると、夏太郎は尾形の胸に顔を押し付けた。こわばった体を緩めるように、尾形は夏太郎の頭や背中をさすり続ける。
大丈夫大丈夫、怖くない怖くない。手のひらからその気持ちが伝わればいいと、尾形は何度も何度も夏太郎の体を撫でた。
しばらくすると、夏太郎が顔を上げる。
大きな目はうるんでいて、尾形は可愛いな、と思いながら親指で頬に触れた。尾形のセーターを掴みなおした夏太郎はきゅ、と結んでいた口をわずかに開ける。
何かを口にしようとして、やめて、また唇を開いては閉じてを繰り返した。ぎゅうと手に力が込められる。尾形は夏太郎の言葉を急かすことなく待った。
「おれはひゃくのすけさんとずっといっしょにいたいんです!」
「うん? うん、俺もだぞ」
「だから、あの、……え?」
「ん?」
目を丸くする夏太郎に、尾形は首を傾げた。こわばっていた夏太郎の体から一気に力が抜けるのを感じる。夏太郎の頬を揉むと、あうあうと口を動かして抵抗してくる。それがやっぱり可愛くて、尾形は自身の口元が緩むのが分かった。
夏太郎の頭を撫でても、大きく開かれた瞳は元に戻る気配がない。
「ひゃ、ひゃくのすけさんは、おれとずっといっしょにいたいんですか?」
「ずっと一緒にいたいから、うちに連れてきた」
きゅ、と口が一文字に結ばれる。
ぱちぱちと瞬きの回数が増えて、目には喜びの色が満ちていく。
「ひゃくのすけさん、おれ」
「うん」
「おれ、ひゃくのすけさんとずっといっしょにいたいです!」
「俺も夏太郎とずっと一緒にいたい」
まるでプロポーズだな、と尾形は笑う。
尾形の胸に顔を埋めた夏太郎は、大きく深呼吸を繰り返してから顔を上げた。
真っ直ぐに尾形を見上げる瞳に迷いはない。
「かみさまにあいにいきます」
「んん? かみさま?」
突然ポップアップした登場人物に、今度は尾形が目を丸くする。
しかし夏太郎はそれを気にせずに早口で説明を始めた。
「タヌキのかみさまにおねがいするとにんげんになれるんです。みんないってます。ほんとうににんげんになったタヌキもいて、でもにんげんになるにはずっといっしょにいたいにんげんがいないとだめで、おれ、タヌキのままでもよかったんですけど、やっぱりひゃくのすけさんとずっといっしょにいたいから、にんげんになります! かみさまにおねがいしてきます!」
興奮した様子の夏太郎に、尾形は頭を抱えたくなった。神様? 人間になる? 俺はタヌキのままの夏太郎でも構わないんだが……そう口にしようと思ったのを、寸でのところで堪える。
タヌキのままということは、せいぜい長くてあと十年ぐらいしか生きられないだろう。先ほど尾形が考えたことだ。たった三日見ていないだけで、夏太郎の人間の姿は成長した。ずっと一緒にいたい、という願いとしては十年は短いかもしれない。永遠を生きるわけではないが、せめてあと五十年は一緒にいたい。
尾形のセーターから手を離した夏太郎は、ベッドの上で立ち上がる。
「かみさまのところにいかなくちゃ」
「どこにいるのか分かっているのか?」
それは純粋な疑問として口にした。嫌味でも意地悪でも何でもない。あまりにも自信満々な夏太郎を見て不思議に思ったのだ。
夏太郎は拳を握ったまま尾形を見おろす。
「わかんないです!」
にっこり笑う夏太郎に、尾形も笑った。
「それじゃあまずは腹ごしらえだな」
「はい! おてつだいします!」
ラップに包んで作ったおにぎりの具は鮭と昆布だ。上からアルミホイルを重ね、それを手ぬぐいでくるみ、タヌキ姿の夏太郎の首に括りつける。タヌキの神様に会うのにどれぐらいかかるか分からない、と夏太郎が言うものだから、尾形が慌てておにぎりを作った。
朝になってからでもいいんじゃないか、と確認したが、こういうのはすこしでもはやいほうがいいんです! と夏太郎が聞かなかったので、せめて夜食か朝飯か好きにしていいから、ということでおにぎりを持たせた。
考えてみればタヌキは夜行性だ。つまりタヌキの神様も夜の方が会えるのかもしれないが、あまりにも夏太郎が尾形と同じ生活リズムで動くものだからすっかり忘れていた。尾形は夏太郎が食べやすいようにと小さめのおにぎりを握りながらそのことを思い出した。
「くゅ!」
「気をつけろよ」
お見送りをしようとする尾形を制したのは外でもない夏太郎だった。せめてマンショの敷地から出るところまで、と粘ったが、夏太郎が首を横に振り続けたので、尾形は諦めて玄関までにした。
タヌキの夏太郎の頭をひと撫でして、我慢ができなくて強く抱きしめる。きゅうきゅう鳴いてはいるが、尾形の腕を振りほどかない。
「夏太郎、ちゃんと帰ってこいよ?」
「きゅわ!」
片手を上げた夏太郎の頭や頬を両手で撫で回して、尾形は体を離した。
「いってらっしゃい」
「きゅーん」
パタン、と玄関のドアが閉まる。
尾形はその場に座り込んだまま動けなくなった。
今すぐドアを開けたいが、それは夏太郎の決心を蔑ろにすることだ。立てた膝の間に顔を挟み、大きく息を吐く。吸い込んだ空気は冷たくて、体が中からも外からもどんどん冷えていくのが分かる。
神様って何だよ。ほんとにいるのかよ。
夏太郎が言うことを信じていないわけではないが、どうしたって疑いたくもなる。特定の宗教を信仰しているわけでも、否定しているわけでもない。幼い頃はお盆に墓参りをしたし、クリスマスもささやかながら祝っていた。初詣では近所の寺で母親に倣って手を合わせていたが、それだけだ。
どの神様も願いを必ず叶えてくれるわけではない。
永遠を願ったところで終わりはくるし、会いたい人に会えたこともない。
目頭を押さえて鼻をすする。鼻腔を通る空気の冷たさに、尾形は鼻を押さえた。
立ち上がり、部屋に戻る。どれぐらいで夏太郎がタヌキの神様に会えるかは分からないが、もしかしたら明日の朝にはひょっこり帰ってくるかもしれない。
さすがにそれはないか、と尾形は笑いながら布団に入った。
健康第一。いつまでも夏太郎を待てるように、帰ってきた夏太郎に喜んでもらえるように。今まで意識していなかった健康を、まさかここで考えることになるとは。
少し広く感じるベッドに違和感を覚えながら目を瞑った。抱き枕を買ったら夏太郎に怒られるだろうか。ここ最近はずっと温かい夏太郎を抱いて寝ていたので、腕の中に何もないのは少し寂しいし、少し寒い気がする。
眉間に皺を寄せて考えた尾形は、仕方なく掛け布団の端を抱きしめた。