俺は今、何に対して怒っているでしょうか 突然開催される夏太郎の「俺は今、何に対して怒っているでしょうか」クイズ大会に、尾形は内心ため息を吐いた。代わりに天を仰ぐ。シェードに積もった埃を見つけて、尾形はそれについてもため息を吐きたくなった。
「夏太郎」
名前を呼んでも返事はない。
怒らせるようなことをした記憶はない。しかしここで強制エントリーさせられたクイズ大会から降りることはできない。それはつまり夏太郎との別れを意味する。なので尾形は必死にない記憶を漁って微かな可能性をどうにか見つけようとする。
しかしないものはないのだ。ヒントをもらえないか夏太郎に声をかけたところで無視されるので、尾形はノーヒントでこのクイズ大会を走るしかない。
過去の傾向を思い出そうとしても、結局その後の仲直りセックスしか思い出せない。その時にはもうぐちゃぐちゃのどろどろに甘やかされて可愛がられて脳みそが溶けてしまい「気持ちいい♡」しか覚えていないので、クイズ大会中には全く役に立たない。しかしクイズに正解するとそれが味わえるのでモチベーションの維持には役立つ。
「かーん?」
そっぽを向いている夏太郎の隣に座る。
夏太郎の前髪を耳にかけると、綺麗な頬がよく見えた。親指の腹で撫でてみても反応はない。真っ直ぐ正面を向いた夏太郎は尾形のことをちらりとも見ない。
ソファの背もたれに肘をつき、まずは今日の自分の行動を振り返る。こういうのは一つずつ可能性を潰していくしかない。
夏太郎が怒るのは尾形の言動についての何かだ。例えば、異性愛者ではない者に向けた差別発言をした総理大臣秘書に対して感じた憤りを、尾形にぶつけるようなことはしない。だからこそ今日の、昨日の、ここ一週間の言動を振り返るのは大切なのである。
とはいえ今日の尾形はつい二〇分前に起きたばかりだ。言動も何も、例えば寝言で他の女や男の名前を呼んでいない限りは身に覚えがない。
「あ」
はずだったが、尾形は思い出した。壁に掛けた時計を見ると十一時三〇分を少し過ぎたところだった。カーテンが開けられた窓からは日差しが注がれている。
尾形は一度目を閉じて天を仰いだ。大きく息を吸って吐く。目を開けて最初に見えたのは夏太郎の形のいい耳で、しかし次の瞬間には眉間に皺を寄せた夏太郎の顔だった。
「尾形さん」
「悪かった」
「俺」
「悪かった。今から、は遅いよな」
「楽しみにしてたのに」
「そうだよな、悪かった」
謝罪の言葉を何度口にしても夏太郎の表情は変わらない上にどんどんと近づいてくる。元々距離があったわけではないので、もう鼻先同士がぶつかりそうになっていた。尾形は夏太郎のうなじを撫でる。
「夏太郎」
「モーニング」
「悪かった」
パジャマの裾から夏太郎の手が滑り込み、尾形の割れた腹筋の凹みをなぞる。大きく口を開けた夏太郎が尾形の唇をその中に仕舞った。尾形は無抵抗でそれらを受け入れる。
今日は話題のモーニングを食べに行こうと話していた。寝る前に布団の中で夏太郎からその確認が入ったし、尾形もしっかりアラームをかけていた。しかし朝を迎えたとき、尾形はもっと寝たいと思った。この一週間、仕事が忙しく睡眠不足だった。やっと迎えた週末ぐらい好きに寝かせろ、と思ってアラームを止めた。
起こしにきた夏太郎の言葉は半分以上聞き流した。何か返事をしたような気がするし、何も返事をしていない気もする。気持ちよく三度寝をした尾形が起きたときに開催された「俺は今、何に対して怒っているでしょうか」クイズ大会の答えはこれだ。やはり俺が間違っていた。
口内に入り込んできた夏太郎の舌が尾形のものをべしべし叩く。うなじから夏太郎の頭に沿って手を登らせる。髪を一つに結んでいたゴムを引っ張ると簡単に解けた。ぱさりと落ちた髪に指を絡ませていると、夏太郎がぱっと体を離した。
突然なくなった温もりに尾形が瞬きを繰り返す。夏太郎は黙ったまま尾形のパジャマを大きくめくった。
「支度、してください」
「え」
「ランチ行きますよ」
「え」
「モーニングは終わりましたけど、ランチはありますし。買い物も行かなきゃいけないんですからね」
ほらほら、と尾形の腕をパジャマから抜く。暖房がついている部屋とはいえ、上半身が裸になれば少し寒い。ぶるりと体を震わせて尾形は立ち上がった。見下ろした夏太郎は手櫛で髪を結び直している。
尾形からの視線に気づいて見上げてきた夏太郎と目が合った。
「かん」
「いいですよ。最近尾形さん忙しかったですし。寝顔可愛かったですし」
「……ん」
「今日も明日もずっと一緒ですし」
「そうだな」
「食べ物色々買ってきましょうね。月曜の朝まで家から出ないですからね」
「ん……」
夏太郎の目の奥がぎらりと光る。
尾形は期待を込めて頷いた。