子どもの頃に、それを見た。
じいちゃんに連れて行ってもらった、地元の神社で開催された夏祭り。ヨーヨーを持って、反対側の手を引かれながら夜の帰り道を歩いていると、朱い色の光が視界の右端の方にチラチラと映り込んだ。気になって、顔を向ける。どのくらい離れているのか分からないけれど、遠くの方で火を灯した灯籠が幾つも並んで闇の中に浮かんでいる。その合間を縫うようにぞろりぞろり、列を成している大きな影、小さな影。
じいちゃん、あっちでもお祭りやってんの?ひとがたくさんいる。
怪訝そうな表情で振り返ったじいちゃんは、俺が指さした方向と、俺の顔とを見比べた。そして一層手を強く握り直し、見るな、と言う。
見るな。向こう側に連れてかれちまうぞ。
その声がいつもより低くてちょっと怖かったから、ほんとに見たらダメなんだ、と思った。じいちゃんの言う「向こう側」って、なんだろう。連れて行かれては困るから、じいちゃんと離れたくないから、目をぎゅっと閉じて、じいちゃんの手にしがみついた。
きっと、あの影のひとたちに連れてかれちゃうんだ。見つからないようにしなきゃ。
生温い風が吹いた。辺り一面が真っ暗になる。しっかり繋いでいたはずのじいちゃんの手が、いつの間にか解けていた。
シャン、シャン、鈴が揺れるような音がする。つられて顔を上げると、さっきまで遠くにいたはずの行列が、すぐ隣にあった。怒った顔の真っ赤な生首だとか、ねずみのような姿だとか、火の玉だとか。明らかにこの世の住人ではない者たちが、一列になって歩いている。
不思議と恐ろしくはなかった。あまりにも非現実的だからだろうか。
その中で一際、目立つ存在があった。白の髪に、白と薄灰色の着物を纏い、目の周りを包帯で巻いている。目を離すことも出来ずにじっと見つめていると、包帯男がふと足を止めて、こちらに顔を向けた。次の瞬間には目の前にいて、透き通るように白い手が両頬を包む。
……ゆうじ。
冷気に身体がぶるりと震える。名前を呼ばれた気がしたのはきっと、間違いではないだろう。
「…どう、夏油さん。いる?」
「あぁ。いるね」
「やっぱり!」
夏油さんの返答を聞いた俺はその場に膝から崩れ落ちた。
「ヤダ、うそ…ど、どの辺りにいらっしゃるのでしょうか…?」
「そうだね。この辺かな」
頭上、右斜め上を指差し、夏油さんがニコリと微笑むが、こちらとしては笑っている場合ではない。いまこの瞬間も背筋にゾクゾクと悪寒が走り、己の身体を抱きしめた。
俺の住む部屋に幽霊がいる。と気がついたのは、つい最近の話。大学に進学したと同時にいまのアパートを借り、かれこれ半年以上が経過するが、最初のうちは異変などまったく起こらなかった。様子がおかしくなり始めたのは、先日、人生初の彼女をお招きした夜である。
食事をし、他愛ない会話をし、なんとなく良い雰囲気になってきて。お互いの顔が少しずつ近づいていこうとした瞬間、棚の皿が突然落っこちて割れた。地震で揺れたでもなく、何かがぶつかったでもない。ビビって硬直してしまった俺たちはしばらく様子を伺っていたが特に何事も起きなかったので、続きを再開しようとした矢先、今度はドンッ!と壁が叩かれたような大きな音がした。立て続けに何回も。おまけにまた皿が落ちた。まさしくポルターガイストのような現象に彼女は逃げ出し、俺はどうすることも出来ずに部屋の隅で膝を抱えて縮こまっていたが、それからは何も起こらなかった。
次の異変は、またしても女が遊びに来た時である。人生初の彼女とは別れたが、その子の友人が話を聞き、面白がって押しかけてきた。また、皿が割れた。
以降、虎杖の家に行くと怪奇現象が起こる、という傍迷惑な噂が広まった。これはさすがに引っ越さねばなるまい、と考えていたところ、友人である伏黒に夏油さんを紹介してもらったのだ。夏油さんは電車を幾つか乗った先のお寺の住職さんである。霊感があり、こうした不可思議な現象に悩む人たちを何人も助けてきたんだとか。そうして俺の部屋を見るなり夏油さんは、いるね、と言ったのだ。