現パロ鯉月SS たまたま起きていた。たまたまスマホの通知に気が付いた。
『起きていますか?』
たった一言送られてきたラインに鯉登は即座に返事をした。
『起きている』
その返事にパッと既読が付く。画面の向こう側にいる月島はスマホの文字入力が遅いので、ここからが長い。『どうした?』とか『明日は早くないから大丈夫』とか追加のメッセージを送りたくなるが、それをグッと抑える。返事を書いている間に追加でメッセージを受けるとそれに対する返事でまた時間がかかるのだと、知っているから。窘める口調で鯉登を見上げた月島の顔を思い出す。両手に収めたくなる、苦い表情の顔。鯉登はトーク画面を開いたまま、吐きそうな気持ちで待っていた。つい三日前に、思いの丈を告げて、まだ返事を聞いていないのだ。とはいえ、また十日後に会う約束を取り付けていた。だから、話をするのはその時だろうと少し気を抜いてたのだ。やっぱり会いたくもない、など言われたら? 知らずのうちに額を抑えていた鯉登の元へ、新しいメッセージが届く。
『会いたい。今から行ってもいいですか?』
会いたい、の四文字にいたくホッと安堵したのも束の間、鯉登は混乱の渦に飲み込まれた。どうしたというのだ? 何があった? 普段良識的な月島からぬ、不可解な言動だ。一体、何故……?
とはいえ、鯉登の答えは一択であった。
『構わない』
『20分後頃に着きます』
スマホを置いてからも鯉登は、全く落ち着くことができずにウロウロと部屋を動き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して飲んでみたり、トイレットペーパーの在庫を確認したり、読みかけの本の位置を少しだけズラしたりした。月島はちょうど二十分が経つ頃に現れた。
月島はパタゴニアの白いTシャツと薄いスウェット生地の灰色のパンツという軽装で、いつもの固い無表情をしていた。あまりにいつも通りなので、本当に遊びに来ただけなのかと一瞬思わされるが、この時間、このタイミングでやはりそれはあり得ない。先日の鯉登の気持ちに対する答えに違いない。
「ごめんなさい」
家に上がって早々月島からそう言われて鯉登の心臓が大きく跳ねた。月島は言葉を続ける。
「突然、こんな夜更けに」
「あ、ああ……」
喉元まで来ていた心臓を飲み下して、鯉登は月島に椅子を勧めた。二人はダイニングテーブルを挟み向かい合って腰掛ける。しかし──鯉登は思った──月島が鯉登を拒むのであれば、この状況事態起こりえないのではないだろうか? そう思った矢先に「もう一つ謝ることがあります」と告げられて、鯉登は信じてもいない神に祈りを捧げ始めた。
「その…………」
月島は珍しく歯切れ悪く、膝を短い爪で引っ掻く。困ったような目線を鯉登に寄越すが、どうしたって一番困惑しているのは鯉登であるし、月島もそれを重々理解しているようで、益々申し訳なさそうに眉を寄せた。
「……ゆっくりでいい。さぞかしワケがあって来たんだろう?」
「いや、それがないんです」
「は?」
思ってもいなかった答えに、鯉登は素っ頓狂な声をあげてしまった。月島はもう一度「ないんです」と申し訳なさそうに言う。
「何かがあったワケではなくて……加えては此処に来て何を伝えたいのか、全くまとまらないまま、来てしまいました。貴方の語られた想いについて考えました。でも、私が決めていいことのように思えなかったんです。貴方は私と共に生きたいと……恋人でいたいと、言う。でもそれは、私が決めれることでも、貴方が決めれることでもないと、思っているんです。許されたことではないと。誰が、とか、世間が、とかでもないんです。貴方には分からないと思います。でも、年下の貴方がここまで考えてくれて、私が自分で判断をせずに逃げるのはあまりも情けない。十日後までに、あるいはそれ以上先延ばしにして自分の中で答えを出せるのか……それはそもそも分かりません。私の意思は? 貴方が真っ直ぐに伝えてくれたように、私も私の意思を貴方に伝えてみたかった。考えました。私は、貴方に会いたいと思いました。無性に、鯉登さんに会いたかった」
そう一気に言ってから月島は、軽く唇を噛んで斜め下を見た。そろりと目線だけ鯉登に向けて、話しを続ける。淡々とした、自分を責めるような口調だ。
「もしも、まだ鯉登さんが起きていたら。もしも、すぐに来ていいって言われたら……そう思って、その通りになって、私はむしろどんどん混乱していくようでした。そして、ここに来て、やっぱり何もまとまらないし、何も解決していないのに、貴方に会えて安心している自分がいます」
「月島……」
鯉登が絞り出すように名を呼んだ。体内で熱い血が指先までドクドクと巡るのが分かるようだった。初めて聞く月島の剥き出しの心の声が、鯉登の中の獣を呼び起こす。愛でたくて、手に入れたくて、分かりあいたくて、護りたくて、傷付けたくて、狂おしいほどに目の前の男を求めていた。
「お前の厳格過ぎる思考を打ち破ったその感情を、まさか押し殺すつもりではないよな?」
鋭い眼光で月島を刺し制しながら、鯉登は唸るように言う。そんな鯉登の獰猛さを吸収するかのように月島は静かな眼差しで鯉登を見つめている。寂しさの満ちた瞳だった。
「私を切に求めるお前が目の前にいるのに、まさか触れるなだなんて言わないよな?」
月島は鯉登の声音を、表情を、それが示す意思を咀嚼しているようだった。そして、ゆっくりと瞬きをして再度目を開いたときは、先程まで滲ませていた不安げな雰囲気は全て拭い去られていた。
「私は、迷惑ではありませんか?」
「迷惑なわけがあるか!」
そう鋭く返してから鯉登は一つ呼吸をして言った。
「会いたかっただけ、か?」
「え?」
そっと机の上の月島の手を撫でた。月島は目を細めてそれを流し見している。
「あとは……?」
じわじわと重ねた手の指を絡ませると、やがて月島はキュウとその手を握り返して言った。
「お風呂、借りても?」
シャワーじゃなくて? と鯉登は面を食らったが、ぎこちなく頷いた。同時に予期せぬマイペースさに少し和んで軽く吹き出した。月島は立ち上がって通りすがりに鯉登の肩を指先だけで丸く撫ぜた。脱衣場に踏み入れ扉を閉める手前で、月島は鯉登に声を掛けた。
「一緒に入りませんか?」
バッと鯉登が振り返ると、月島は背を向けたまま流し目でこちらを見ていた。控えめに悪戯っぽい光を瞬かせ、少し待ってから来てください、先に体だけ洗いますから、と言い残して扉を閉めた。やがて、風呂の蛇口が捻られて湯船に湯が落ちる音がし、その一拍後には扉は乱雑に開かれていた。
「もう、たまらん」
吐き出すように言った鯉登は月島を掻き抱いた。驚きから身を固めた月島だったが、顎を掬われるとすぐに寄せられた唇を貪った。