「疲れたから休む」
なんて格好つけて見知らぬ生贄から相棒に出世した青年が生還するのを見届けたはずだった。
気がつくとオレはいつも通り起床していた。
どういうことだ?オレの肉体は自分で消滅させたし、確かに黄泉の国に残ったはずだ。
違和感はそれだけではない。自分がいる部屋も置いてある物も自分の身体でさえも何か違う。
手元にあったスマホを見てすぐにオレは理解した。
2018年8月22日。
今オレがいるのはオレが死んだ四年前だった。
状況を理解した後のオレの行動は我ながら早かったと思う。
仕事を理由に逃げていた妻と話をして、まだやり直せる余地はあったが離婚を選んだ。今後を考えるとやはりアイツらの安全は確保したいし、オレが死ぬ可能性は大いにある。何よりも二人への情は変わらずあるが、それよりも大きなモンができちまった。
それから凛子とエドたちを探した。誰も未来のことを覚えてはいなかったが自主練したエーテル能力を見せると仲間として受け入れられた。
この時のオレはまだ刑事をやっていて般若の野郎の実験体にされていなかったが元々の素質と四年後の魂や経験のお陰であの夜ほどではないが力を使うことができた。
そしてエドや凛子の力を借りて般若の計画を未然に防ぎ、絵梨佳を保護した。
これで渋谷の事件は起きず誰も死なないと思ったがエド曰くそうでもないらしい。因果律とか何とか。めんどくせえから理論はいいとして、それより先にやるべきはそう、伊月家の火事を未然に防ぐことだ。これは骨が折れた。何しろ火事の日時も場所も知らなかったので、結局今は高校生の暁人を探すというストーカーじみた方法を取る羽目になった。
そう、今の暁人は未成年でオレは四十路だ。元々倍の年の差は感じていたが更に溝が深まった心地がする。それでも暁人があの夜を覚えてくれていたら。
淡い期待を抱いて接触すると記憶よりも幼い学ラン姿の青年は眉をひそめて
「すみません……どこかでお会いしましたか?」
とオレを絶望の縁に叩き落とした。
絶句するオレを暁人は不思議そうにというよりは不審そうに見上げる。
このままだと通報されかねないのでオレは通報が来る方だと身分を提示した。
「刑事さん?」
「ああ……今とある事件を追ってこの辺の高校生から話を聞いている」
嘘ではない。凛子から最近高校生の間で流行している怪談について調べてほしいと言われている。
「でも何で僕……?」
まあそりゃそうだ。前から暁人は社会経験のなさはあったが頭の回転は悪くなかった。察しもいい方で、だから二心同体でもそうストレスがなかった。
そうだ、コイツに適当な嘘をついても意味がない。
「校門で立ち話もなんだ。 奢るから喫茶店でも行かないか」
断られる可能性もあったが暁人は頷いた。ちょうど近くに喫煙可で飯が上手い店がある。奥のテーブル席を選んでコーヒーを頼み、吸ってもいいかと聞くと眉根が寄った。そういえばタバコ嫌がってたな。
「最近の若いヤツは嫌煙家が多いな」
「臭いがつくから……でも真上に換気扇があるからいいですよ」
「そりゃどうも。 オマエも遠慮せず食えよ」
暁人は痩せているが健啖家だ。あの晩は特にエーテル能力の行使による心身の疲労を回復させるためでもあったが元々それなりに食べるとも言っていた。
生姜焼き定食ご飯大盛りとジンジャーエールを頼むのを見て、今のコイツとは酒が飲めないことに気づく。オマエとなら飲んでもいいっつったのに。
「飯が来る前に話しちまうか。 オマエ、幽霊や妖怪を見たことがあるか?」
「ええ……!?」
暁人の困惑も当然なのでオレは丁寧に説明してやる。
「オレは表の顔は刑事だが、裏では幽霊や妖怪といった現代科学では解決できない怪異を解決する仕事をしている。 所謂ゴーストバスターってヤツだな」
「そんな創作みたい……な?!」
ここでオレはようやく安堵することができた。
暁人にはオレの指先に集まるエーテルが視えている。
配膳に来たヤツは何も気づかず一式を置いて「ごゆっくりどうぞ」と離れていった。
「これは風のエーテルってヤツだ」
「風?」
「ああ、他にも火や水や土がある。 室内では止めたほうがいいけどな」
想像できたのか暁人は小さく頷く。
「これが使えるヤツをオレたちは適合者と呼んでる」
「僕もそうで、だから刑事さんに声をかけられたってことですか?」
察しの良さに感心すると暁人は何故か頬を赤らめた。
特殊能力なんてガキなら喜ぶかと思ったがそうでもないのか?
「あまりにもテンプレ過ぎてドッキリじゃないかなって思ってますよ」
「声に出てたか?」
「いえ……でもなんか……顔を見てたらそんな気がして」
そうかいとオレは嬉しさを隠すためにぶっきらぼうに返す。
やはりこの青年は言わずともオレを理解できるのだ。独り善がりな願望だ。わかっていて止められない。
「刑事さんは……ああ、名前で呼んでも」
「KK」
「えっ?」
「愛称だ。 裏稼業の方の。 そっちで呼んでくれないか?」
「けえ、けえ?」
久しぶりに呼ばれる衝撃は般若の野郎にやられた時よりもデカく、絶対共鳴した時よりも心地よく、世界を救ったと実感した時よりも感動的だ。
「……ああ、クソッ」
「な、何か違いました?」
「いや、何でもない……良ければそれで頼む…………暁人」
自覚したくなかった。相手は20以上年下で未成年で同性でオレなんかと違って未来がある若人だ。
だがとっくに気付いていた。四年後の二心同体だった時からずっと。
だから妻子とやり直す道を選ばなかったのだ。
「最低ね」
凛子の言葉にぐうの音も出ない。オレはタバコの煙を理由に顔を背けた。
「未成年には手を出せないから二年間キープしておくために弟子にするの?」
「待て。 アイツはマジで才能がある。 経験を積めばオレより強くなるし、だからこそ保護しておかねえとヤバい」
第二の般若が現れるとは思いたくないが、怪異には確実に狙われる。それに祟り屋みたいなヤツらに引き込まれる可能性だってある。
「アイツはお人好しだから困ってるヤツを放っておけねえ。 巻き込まれてもいいように……力をつけさせる」
もうオレが中から手助けすることはできない。いつも傍にいることさえしたくてもできない。
「絵梨佳に過保護にしすぎるなってあたしに言ったのはどこの誰かしらね」
凛子の苛立ちは当然のもので、やはりオレは何も反論できない。
そんなオレのどうしようもない姿に凛子は溜め息を吐いて
「アルバイトとしてウチに通わせるのね」
と助け船を出してくれたのでオレは頷いた。
「保護者には『インターネット関連の事務バイト』とか言うらしいから頼む」
「わかった」
既に両親が他界している伊月兄妹の身元引受人である親族は仕事の都合で海外だと聞いた。どちらかの実家が比較的太いらしく家事をある程度外部委託できる程度には金には困ってないらしい。
ただオレがアジトのある部屋を無償で凛子に貸しているだけで業務には関わっていないことにしているように辻褄合わせは必要で、そういうことは凛子の専売特許だ。
「妹さんは今はいいのね」
「ああ、素質はあるがまだ目覚めてないはずだ。 暁人にもエーテルを見せないよう言ってある」
「じゃあ何で彼には見せたの」
「だから! 火事を防ぐ方法が他に浮かばなかったんだっての!」
ある程度距離が近く、普段から忠告をして、いざというとき駆けつける。今のところこれしか方法がないのだ。
麻里の様子から火事はあの夜の少し前だろう。少なくともアイツの家はわかったし、連絡先も入手した。放火魔や火に関する怪異の情報は身分を利用して積極的に集めていく。
「オレは絶対にアイツをこれ以上不幸にしないと決めたんだ」
そのためなら凛子たちも利用する。
「せめてオレが幸せにするくらい言いなさいよ」
「……言えるわけねえだろ」
あの時アイツを置いて逝ったオレに。何も覚えていないアイツに。
どんなにより良い未来を掴んでも、あの暁人はもういないのだ。
短くなったタバコを灰皿に押し潰してオレは凛子に背を向けた。