真実って必要ですか いいか、暁人。
オレはもうアラフィフだ。つまり、オマエの倍は生きている。だが、家事の腕は、オマエどころか今時の小学生男児にも劣る自信がある。こんだけ物価が上がってるってのに、外食と惣菜とカップ麺頼りの生活がやめられねえし、ゴミ出しはすぐにサボっちまう。掃除にしても、乳幼児がいるわけでもなし、死にゃあしねえだろと後回しにしたあげく、結局やらずじまい。貴重な休日は、ひたすら寝溜めするだけにあるようなもんだ。
こんな自堕落な生活だからな。今はなんとか持ちこたえちゃいるが、でっぷり腹が出てくるのも時間の問題だろう。それに、この部屋の壁の黄ばみを見りゃ、オレの肺がニコチンでどうなってるか、簡単に想像がつくだろ?
いつ病気になるかしれたもんじゃない。とはいえ、退職金は息子に全部渡しちまったし、コツコツとかけてた保険もあのクソ野郎を追うために解約して活動資金にあてちまったから、何かあったときの備えも貯金もまったくねえ状態だ。
警察官をやめたのも保険を解約したのも、なにがなんでもあの野郎を止めるため、退路を断って背水の陣を敷くため……、と言えば聞こえはいいが、要するに、バケモノじみた力を植えつけられて、年甲斐もなく自暴自棄になっちまってたってことだ。
まあ、こんな状況になっているのは、ひとえにこれまでのオレの行いが原因だ。仕事にかまけて家族ともきちんと関係を作らずに、ひたすら自己本位に突っ走ってきたオレの自業自得。
要するに、一匹狼気取りのこれまでのツケが、今になって回ってきているってだけなんだよ。
なあ暁人。賢いオマエなら、オレがどれだけしち面倒な不良物件か、よーく分かるだろ?
***
立て板に水のごとく怒濤の勢いで喋りたおしたKKが、ひと仕事終えたと言わんばかりに、天井へ向かって細く長く息を吐きだした。
すぼまった口から漏れた白い煙は、ゆらゆらとその身をくゆらせながら、やがて薄暗い室内の空気へと溶けこんでゆく。
大股開きでソファの背もたれに深く上半身を預け、暁人にはチラリとも視線を寄こさず天井を仰ぎ見るKKの姿は、一見して『横柄』のひと言に尽きた。とてもではないが、「大事な話がある」とわざわざスマホで人を呼びつけた人間のとる態度ではない。
が、呼びつけられた当の本人である暁人は、また始まったよと小さく苦笑するだけだった。KKのアルコールで潤んだ両目の下、くっきりと刻まれている隈を見れば、身体を起こしているのもしんどくてたまらないのだろうと、容易に想像がついたからだ。
徹夜続きで疲れきった身体の空きっ腹にアルコールを流し込めばどうなるかなど、火を見るより明らかだ。暁人はローテーブルの上の空き缶を片づける手は止めないまま、「はいはい」とおざなりに返事をした。
とたんに、KKが目尻をつり上げる。酔っぱらいとは思えない素早い動作で身を起こし、じとっとした眼差しで暁人を睨みつけた。
「なんだその態度は! オレがせっかく恥を忍んで真実の姿を晒してるってのに、オマエはそんないい加減な態度で……」
KKは長々とくだを巻きながら、暁人のむきだしの腕をガシリと掴んだ。ヘビースモーカーに相応しい冷たさを持つはずの彼の指は、健康優良児そのものな暁人の体温より格段に熱い。そのまま遠慮のない力で腕を引かれ、暁人はKKの隣にすとんと腰を下ろすはめになった。
「ちょっとKK、僕まだ片付けの途中なんだけど」
家飲みは嫌いどころか好きなほうだが、時間が経ったアルコールの臭いだけはどうにも許せない。ここで邪魔をされてはかなわないと、暁人は優しく、しかし有無を言わさぬ手つきでKKの指をもぎ離し、ふたたび立ち上がった。そのついでに、彼のもう片方の手から吸いかけの煙草を取りあげる。文句を言われる前にと、早々に灰皿へ火先を押しつけ、完全に消してしまった。
「もう寝たら? さすがにこの状態でお風呂には入れないだろ。朝ご飯にできそうなもの作って冷蔵庫に入れておくから、起きたら食べなよ」
KKは奪われた煙草に見向きもしなかった。座った目をぐっと細め、眉を大きくひそめて、大げさな身振りで嘆く。
「だから! オマエみたいな若くて良い男が、オレみてえなやさぐれたおっさんの世話なんか焼くんじゃねえよ」
あのさ、と暁人は腰に両手をあててKKの前に仁王立ちした。呆れを隠しもせず、半目で白髪交じりのつむじを見下ろして言う。
「僕を呼んだのはKKだよ? 覚えてないの?」
「覚えてるよ。だが、こんなどうしようもねえおっさんに呼ばれたからって、ホイホイやってくる物好きな奴がどこにいるってんだ」
「いま、ここに。KKの恋人の、伊月暁人が」
拗ねたような低い嘆きを遮って、暁人は噛んで含めるように一字一句はっきり発音した。それから、KKがなにかを言うより先に、彼の眉間に人差し指を突きつけた。
「さっきあんたが長々と語ったこと、ほとんど全部あの夜に分かってたことなんだけど……。今さら『真実』なんて大げさな言葉を使うほど新しいことなんて、どこかにあった?」
あんまり僕を舐めないでよね。じゃないとほんとに見限るよ?
とたんに息を呑んで固まった、一匹狼気取りのしち面倒でやさぐれたどうしようもない恋人には目もくれず、今度こそ暁人は悠々と後片付けを再開させた。