お題『無駄な抵抗』「ああいうの、KKもやったことあるの?」
明かりを最小限に絞ったリビングで、暁人がぽつりと呟いた。
彼の視線の先には24型液晶テレビ。映っているのは、大量のパトカーと重装備の機動隊に包囲された古いビルディングだ。
カメラはそこからビルの上階へとズームされ、ブラインドの隙間から外の様子をうかがう、猟銃を携えた男の目元にフォーカスされる。すぐに場面は転換し、今度は、拡声器を持った一人の私服警官が大写しになった。くたびれた瑠璃色のロングコートに、ルーズに結ばれた藍色のネクタイ。驚くほど無防備なその私服警官は、防護盾に身を隠す機動隊を尻目にビルの真ん前で仁王立ちすると、覚悟を決めた男の顔つきで、拡声器を口元に添えた。
『君たちはすでに包囲されている。無駄な抵抗は止めて、人質を解放しなさい』
KKは呆れてものも言えなかった。粉末スープを入れ忘れたカップ麺でも啜ったかのような心地で、口元だけの生温い笑みを浮かべる。
ちらりとだけ視線を寄越した暁人は、それですべてを悟ったらしい。無言のままテレビに向き直ると、あとはもうKKには見向きもせず、真剣な眼差しで映画に見入っていた。
緊迫したBGMが流れるテレビでは、なおも私服警官による熱い説得が繰り広げられている。荒唐無稽なフィクションを全力で楽しんでいる恋人を邪魔しないよう、KKは密やかにため息を吐いた。呼吸に合わせて上下した肩が、密着する暁人の全身をも揺らす。が、もちろん暁人は無反応だった。
ともすると粗探しにばかり躍起になりそうな映画を意識から追い出そうと、KKは間近にある暁人の顔だけを見つめた。
映画館にならって常夜灯だけがともされたリビングは、テレビ画面の明滅に合わせて忙しなく色を変えてゆく。画面へ釘付けになっている暁人の白い横顔もまた、その表情をくるくると鮮やかに変えていた。
馥郁とした珈琲の香り、かたわらにある確かな体温、耳に届くささやかな呼吸音。そしてなにより、光を反射して輝く鳶色の瞳の鮮やかさ。
これ以上なくロマンチックな雰囲気だった。……部屋に響き渡るのが、立てこもり犯の、警察批判とは名ばかりの罵詈雑言でさえなければの話だったが。
あげかけた唸り声をかろうじて呑みこむと、KKはそっと左腕を伸ばして暁人の肩を抱いた。やはりなんの反応も返さない彼にかまうことなく、肘をくの字に曲げて、くしゃくしゃと後頭部を掻きまわす。
てのひらの動きに合わせて揺れる黒髪は、これ以上ないほどKKのてのひらに馴染んでいた。まるで、互いにしつらえられたかのように、しっくりと。
こんなときでもなければ、きっと「子ども扱いするな」と叩き落とされていただろう。なんだかんだ言って、悪くはない気分だった。元刑事のKKが苦い顔をすると分かっていて、あえて警察映画を選んだ暁人に、口元がゆるむ程度には。
「まあ、守秘義務に反しない世間話の範囲で、追々な」
口にするのも腹立たしいと嘯き、突っぱねるのは、それこそ今更すぎる無駄な抵抗だろうから。
ぼそりとこぼした呟きに、てのひらの中の熱がずしりと重みを増したような気がした。