キッチン狂詩曲「あのさぁ」
ひどく大きなため息を吐いた暁人が、音を立てて包丁をまな板の上に置いた。左手を伸ばしてコンロの火を消すと、ゆっくりと身体ごとこちらに向きなおる。
その白く冷たい眼差しを目にした瞬間、オレは己の非を悟っていた。彼の腰にまわしていた左手をそろそろと引き戻し、そのまま両手でホールドアップの体勢をとる。
つとめて殊勝な態度を心がけたつもりだったが、オレを見る暁人の両目はますます鋭く尖ってしまった。
目は口ほどに物を言う。言葉にするなら「僕が怒っている理由が分かるなら、何故やらかした? ああん?」といったところだろう。
が、しかし。オレが考えるより、暁人は何倍も品が良く、また嫌味たらしかった。
「キッチンにはコンロや包丁があるから、すごく危ないんだよ。消防庁が公開している発火の再現動画とか、消費者庁の注意喚起とか、どこかで見たことないかな?」
ちくちくと突き刺さるような言葉にプライドを削りとられながらも、オレは必死に頭を巡らせた。
幼児に向けるような口の利き方をするんじゃねえとはぐらかすか、見たことがないと嘘をついて動画視聴する方向に持っていくか、ちゃんと正直に答えてこのまま怒られるか。
逡巡は一瞬だった。話を逸らすのも嘘をつくのも、氷に塩をかけるようなもの。今この状況では、正直こそがなによりの美徳に違いない。
「……ある」
そっか、と暁人が口角をつりあげた。これ以上ないほど綺麗に三日月を描く唇を、絶対零度の眼差しが美しく彩っている。
「分かっててもやっちゃうなら、もう物理的にガードするしかないよね。ほら、赤ちゃんが部屋に入ってこれないようにするアレ、何て言うんだっけ?」
目顔で促され、反射的に答える。
「ベビーゲート?」
「そうそれ、ベビーゲート」
暁人が我が意を得たりとばかりに大きくうなずいた。
「さすがにKKには低すぎるけど、『今はダメですよ』っていう分かりやすい目印にはなるだろうし。今度のデートで買いに行ってみる?」
冗談かと思ったが、まるで笑っていない両の目を見るに、彼はどこまでも本気のようだ。
いくらなんでも、そんなデートは嫌だ。絶対に嫌だ。オレはとうとう覚悟を決め、おずおずと話しかけた。
「なあ、暁人?」
「なあに?」
氷の微笑がじっとオレを見つめている。それを真正面から見返しながら、ぱんと両手を打ちあわせ、拝むように頭をさげた。
「料理の邪魔して悪かった! 怪我やボヤに繋がるかもしれないのに軽率だった。すまん!」
「だから! そのひと言が遅いんだよ!」
「悪かった!」
ようやく表情を崩してぷりぷり怒りだす暁人に秘かに安堵しながら、オレは何度も何度も、それこそ暁人がもういいと言うまで謝罪を繰り返した。