大倶利伽羅くんの苦労性な日常②「伽羅坊、ちょっと付き合ってくれないか」
鶴丸国永にはノックという習慣がない。引き戸であるから仕方がないのだが、それにしたって声を掛けるのと同時に戸を引くのはどうかと思う。見られて困ることでもしていたらどうするつもりなのだろう。残念ながら鶴丸にはその発想もないのだ。
「なんだ」
部屋の掃除をしていた大倶利伽羅は、作業をしていた手を止めて顔を上げた。
大倶利伽羅の部屋には物が多い。困ったことに、私物というわけではなかった。鶴丸が好き勝手に物を持ち込んでは置いていくのである。捨てるわけにもいかず、かといって鶴丸の部屋には入りにくい。鶴丸の部屋は大倶利伽羅の部屋のとなりであったが、鶴丸がこの本丸唯一の女士ということもあり、そこに立ち入る気は起きなかった。こうして鶴丸が毎日のように大倶利伽羅の部屋へ入り浸っているので今更他人から受ける誤解を気にする段階はとうに過ぎ去ってしまったが、大倶利伽羅なりに気を遣ってのことである。また、鶴丸は自分が女士であることにあまり頓着をしていないので、自分が着替えをしている最中であっても訪ねる者がいたら入室を許可してきそうな光景が容易に想像できたから、というのもあった。
鶴丸がこうやって私物を置いていくのを、なんとなく鶴丸の巣作りのようだと思うことがある。
「いや、なに。私物を買いに行こうと思ったらついでにと買い出しを頼まれてな。荷物が多くなりそうだったから、運び手が欲しいんだ」
「わかった」
女士であろうと人の身ではない鶴丸は決して非力なわけではないが、腕は二本しか存在しない。一度に持てる荷物など当然限界がある。大倶利伽羅は持っていた本をひとまず部屋の隅に寄せることにした。これも、鶴丸の私物である。
「頼まれた買い出しとあんたの買い物、どっちを先にする」
ふたりで並んで歩きながら大倶利伽羅は問う。荷物が重い方を後回しにするべきだろう。
「俺の、かな。頼まれた買い出しの物は調味料が多かったから。俺の買い物はすぐに終わるさ」
「なにを買いに来たんだ」
暇潰しとしてではなく明確に買う物を決めているようだった。深く考えず聞いた大倶利伽羅に、鶴丸はあっさりと、下着だと答えた。
「は」
「この間の出陣で破けてしまってなあ。面倒だったからサラシを巻いていたんだが、ここ数日は酷い雨だったろう。乾きにくくて困る。諦めて新しいのを買おうと思ったんだ」
嫌な予感がした大倶利伽羅は歩みを止めて鶴丸へ向き直る。きょとんとした顔の鶴丸はどうしたんだと首を傾げた。
「あんた、今下着を着けているか」
思わず小声になった。この鶴丸のことだ。下着を着けていない可能性は十分考えられた。
「言っただろ。乾かないって。下はちゃんと乾いたの履いてるから安心しろ」
なにひとつとして安心できるはずもないのだが、こいつは大丈夫なのだろうかと本当に不安になる。大倶利伽羅が着いてこなかったらどうするつもりだったのだろう。平然と、ほかの刀にも今の話をしたのかもしれない。
鶴丸の下着はなんの変哲もない真っ白なスポーツブラである。当初は普通のサラシだったが、スポーツブラの方が管理が楽だということでそちらを着用している。なぜ大倶利伽羅がそのことを知っているかといえば、鶴丸が重傷を負うときは大抵大倶利伽羅が担いで帰還するからだ。もちろん、大倶利伽羅が重傷を負ったときには鶴丸が大倶利伽羅を担ぐ。同じ日、数時間の差をもって顕現した二振りは、そんなふうに戦での日々を過ごしてきたのだった。
鶴丸が着用しているスポーツブラは誰かに見られることなど想定もしていないような色気ない下着だったが、それでもあるとないとでは大きく違う。
大倶利伽羅は自分のジャージを脱ぎ、鶴丸に押しつけた。
「着ろ」
「なんで」
「いいから、着ろ」
透けるとは思えないし下着の有無がわかるような服ではなかったが、なにかがあっても困る。大倶利伽羅が引かないことを察した鶴丸は、大人しくジャージの袖に腕を通した。
「伽羅坊の匂いがする」
「……やめろ」
しっかりとジャージのファスナーを上まで閉めてやると慣れずに落ち着かなそうな仕草をする。和装の上にジャージを羽織るというアンバランスな格好をした鶴丸の腕を大倶利伽羅は引いて歩き出した。早いところ買い物を済ませてしまいたい。街を歩く人々の視線に気づかないふりをして足を速める。
「なあ、伽羅坊。せっかくだ。俺の下着、どれがいいのか選んでくれないか。俺が試着したやつで、似合いそうなものを教えて――」
鶴丸の言葉の先は、立ち止まった大倶利伽羅にぶつかったために途切れてしまった。早足だった分、勢いよくぶつかってしまったのだ。
「なんで俺が」
「いいだろ。この間俺の服を選ぶの、付き合ってくれただろうが。いっつも似たような下着ばかりだから、非番の日くらいちょっと趣向を変えてみようと思ってな。俺も多少はおしゃれに気を遣うようになったんだぜ」
ふふん、と得意げな顔で鶴丸は笑うが、そのおしゃれとやらのために大倶利伽羅を巻き込むのだけは勘弁してもらいところである。
「俺だって分別くらいあるさ。きみは俺の下着を見慣れているからな。ほかのやつらには頼まないさ。光坊に頼んだら卒倒しそうだし」
光忠は顕現して何年経っても「女士」である鶴丸には慣れないらしい。女性である主には普通に接しているが、光忠にいわせれば鶴丸は女性としての慎みとやらがないらしい。前時代的な物言いのような気もするが、こうして下着を見られようが裸を見られようが頓着しない鶴丸を前にすれば、言いたいこともなんとなくわかる。
「来週、主が会議とやらで本丸の外へ出るだろ。今回は泊まりだから付き添いが俺なんだ。俺がおしゃれしたらきっと主は驚いて喜んでくれるぞ」
その姿は容易に想像できる。主は普段から本丸唯一の女士である鶴丸を可愛がっており、自分と違い服にもメイクにも興味を示さない鶴丸に不満そうな顔をしていたのだ。
「な、主を喜ばせると思ってさ。俺に付き合ってくれよ」
鶴丸は大倶利伽羅が断るとは思ってはいないのだろう。きらきらとした瞳で大倶利伽羅を見上げている。女士として顕現した鶴丸は、大倶利伽羅よりも僅かではあるが背は低い。
分別があると主張した鶴丸であるが、ここで大倶利伽羅が断りその代わりとして誰かを連れて来られても困る。大倶利伽羅はたっぷり十秒は悩み、仕方がなく、わかったと頷いた。
「主に、伽羅坊に選んでもらったんだって自慢してやろう」
「絶対にやめろ」
ご機嫌な様子の鶴丸に大倶利伽羅はしっかりと釘を刺したが、翌週会議から帰ってきた主に「鶴丸の下着って大倶利伽羅が選んだって本当?」とにやにやした顔で聞かれてしまったので意味がないことだった。
ひとまず、大倶利伽羅が選んだ下着がどんなものであったのかは、今のところ大倶利伽羅と鶴丸、そして主だけの秘密である。