夏休み初日「……はあ?」
早馬で届いた書簡を読んだディオンは、その内容に唖然とした。
意味が分からない。そんなはずはない。間違いなのでは。あるいは、罠か。何か奸計が──そう、あの魔女めが──為されているのではないか。そういった考えがぐるぐると頭を回り、打ち消すために数度書簡を読み返す。だが、書かれてある文字列は最初に読んだものと何一つ変わらなかった。……当たり前といえば、当たり前なのだが。
思わず出してしまった声が珍妙だったのだろう、控えていたテランスが「ディオン様?」と声をかける。
「猊下からは何と?」
「ウォールードとダルメキアからの申し出を受諾したらしい。……酷暑その他諸々の事情により夏季休暇停戦、だそうだ」
「……え?」
読み上げた書簡の内容を聞いたテランスもまた固まってしまったのを見て、ディオンは自棄気味に「初めての夏休みだな」と笑った。
§
夏季休暇停戦の期間は約一月あまり。書簡に記された「夏休みの開始日」からは既に三日が経過していた。さらに言えば、聖竜騎士団を含めたザンブレクの兵力をすべて「夏休み」にするわけには当然いかない。従って、残りの日数を交代制で休暇に割り振ることとした。
例外はある。騎士団のトップであるディオン・ルサージュその人だ。起こり得る有事を考えると、神皇猊下とその「家族」、さらに諸賢人達のように避暑地へ赴くなどといった振る舞いをすることはできない。もっとも、騎士団本部に詰めているだけで、特段することは何もないのだが。
「私が……余が「何か起こす」とはお考えにはなられないのだろうか」
自嘲するディオンに、テランスは胡乱な目を向けた。一瞬でも、「それも「あり」かもしれない」と思ってしまった自分を封じ、「どのようにお過ごしになられますか?」と問うた。
「悩ましいな。軍備の再編を考える時間に充てるのもよいし、最近疎かになっていた鍛錬に充てるのもよい」
「この酷暑にそれはお止めください」
ザンブレクは北の国だ。短い夏を待ち遠しく多くの民は思っているのだが、この暑さには流石に辟易とするしかない。ましてや、過酷な鍛錬などもってのほかだ。
「というか、「夏休み」にすることですか?」
「宿題は早く片付けたほうがよかろう。……それより、其方はどうするのだ?」
頬杖をついた姿勢で上目遣いでディオンが訊ねる。この人は何を言っているのだろうと思いつつ、テランスは今度は正直な思いを告げた。
「ディオン様がよろしければ、いつも通りお傍に在りたいと考えておりますが」
「実家に帰省するという考えもあるぞ? 私に気を遣わずとも」
「気を遣っていたならば帰省しています」
素直にならないディオンの言葉を遮り、テランスは言い切った。
自分がずっと一緒にいたいと思っているのを、ディオンは知っているはずだ。そして、ディオン自身もそれを望んでいることを。
「……「夏休み」か」
ぽつりとディオンが呟き、窓の外を見やった。開け放った窓から吹き込む風は熱を帯びている。コントラストがくっきりとした青の空と白い雲。
「夜更かしがしたい」
視線を外に置いたままそう言ったディオンをテランスは愛しく思った。
「それと、寝坊がしたい。テランス、其方が付き合ってくれるならばの話だが」
「勿論」
言外に含まれた意味を察し、テランスは笑う。どうせ誰も来ないのだから、と彼の頬に手を伸ばした。
「ありがとう、ディオン」
頬を撫で、口づける。二人だけのときの言葉遣いでテランスが言うと、何故かディオンは頬を染めて怒ったような顔つきになった。
「執務中だぞ!」
「夏休みですよ?」
すぐさま返したテランスに、ディオンが唸る。その様子も愛らしくて、テランスは頬を緩めたのだった。