雨承け「有馬さん、風邪引きますよ」
「……ン」
梅雨入りが発表された空は、それに相応しく月明かりを厚い雨雲で隠し、大粒の雨を降らせている。大雨の中、わざわざアジトから出て屋上の些細な軒下で紫煙を燻らす有馬に、阿久根は声をかける。目線もくれず、言葉の意味を理解してるのかも曖昧な言葉が返される。
この男、時折こういう時がある。普段はアジトで人目も憚らず煙草を吸うのに、ふらりと消えて夜に融けるようにひとりで佇んでいる時が。
「雨の中で湿気りません?煙草」
「まぁ。美味い不味いじゃねぇからどうでもいい」
「ヘビースモーカーのそれじゃないですか…」
阿久根は隣へ並び立ち綺麗とは言えない壁へ背を預ける。その瞬間視線を向けられた気配がしたが、それに合わせることはなく雨空を見上げる。月の所在も分からない程の雨雲。雨は絶え間なく振り続ける。
有馬は短くなった煙草を足元へ投げ、スニーカーの底ですり潰す。足下にはいくつもの吸殻が雨を吸収してふやけている。今吸い終わったにも関わらず、ポケットから新たな煙草を取りだし、親指と人差し指に摘む。それを口許へ持ち上げた刹那。
「オイ。燐童…テメェ」
「吸いすぎです。…これ吸ったら戻りますよ」
煙草は阿久根の指先によって呆気なく奪われた。その煙草は捨てられることはなく、持ち主を替えて唇へと挟まれ、火を強請るべくライターを持つ有馬へ向けられる。まるで当たり前と言わんばかりに首を傾げる姿に大袈裟に首を竦めてみせる。
「…ハイハイ」
ライターに灯された火がほのかに辺りを照らす。月明かりはなくとも朧気に輪郭を照らす炎は、嗅ぎ慣れた煙草の煙とともに消えていく。しかし一度照らされた輪郭は、今は一人ではないことを示していた。煙草の火が消されるその瞬間まで、雨音だけがその場を支配していた。