クレオパトラも「有馬さんは、顔がいいですよね」
「…………はァ?」
昼下がりの廃屋、またの名をならず者たちのアジト。普段は互いに干渉せず、日中であれば尚更全員がそろっていることもさほどないのだが、なぜか気温の高い今日に限って男が4人、集結していた。
心もとない旧型の扇風機が生温い風を起こす中、ソファに体育座りをしながらタブレット端末をいじる阿久根から発せられた言葉。どうやら呼ばれたらしいと顔を上げた有馬も、言葉の意味が理解できず呆けた声を漏らす。
「有馬さんは顔がいいですよね」
「いやそれは聞こえてンだわ。暑さで頭やられたか?」
「この暑さでまだ6月ですからねぇ。冷え冷えの糖分でもないとやってられないです」
「丞武、控えろっつったよな」
「冷え冷えの糖分ならかき氷が良いですね。ないんですか?時空院さん」
「オイコラ無視してんじゃねぇ!」
暑さで頭がやられたのか、本意を話す気がないのか、雑談に加わる阿久根にしびれを切らして声を荒げる。窓際の近くで煙草を吸っていた有馬は、灰皿代わりになっている空き缶へ吸い止しを置いて苛立ちを隠さずにソファへと歩み寄り、タブレット端末を取り上げる。
「それです、それ。依頼リストの一番上。ほかのクライアントからの紹介で、ご新規サンの依頼ではあるんですけど。人員がひとりで済む割に美味しい仕事だなぁって谷ケ崎さんと話してたんです」
「あぁ、あれか。確かにそれなら有馬が適任…つうか、有馬しかできねぇからな」
「俺が?暗殺か何かか?」
「サイレンサーもつけない拳銃で暗殺も何もないと思いますがね」
「は?コロス」
口を開けば戯れのように喧嘩口調になるのはさておき、物騒な言葉を口にしながら有馬は手にしたタブレットの画面をタップして依頼へ目を通す。報酬、依頼日、希望実行日、ターゲット。報酬は高額ではないものの、確かにこれがひとりで済むのであれば美味い仕事であるには違いなかった。吸い止しの煙草を再び咥え、阿久根の隣へ腰掛けて読み進める。それを隣からのぞき込む阿久根、興味を持ったのか他二人も背後やひじ掛けへ腰掛けて4人そろってタブレットへと視線を送る。
「このオンナひとり殺すだけで一千万円?何か裏があるんじゃねぇだろうな」
「裏、というか。詳細のページを見たらわかりますよ」
「ア?」
前述のリストは一目見ただけで確認できたが、詳細だけは一度タップして表示しなければならない仕様のようだった。合わせて、普段は谷ケ崎や阿久根に依頼の選定を任せているのがばれた瞬間であった。
「ターゲット、上場企業現会長、前社長。現社長の母親で、現在も実権はその母親にある。独禁法すれすれの契約書作成で…小難しい。オイ、時空院」
「はぁい。えーっと、そうですね。……なるほど」
数十行にわたる詳細は読ませる気がないのかと思うほど堅苦しい言葉で記載されており、煙草を吸い終わるまでに読み終えることができなかった。というより、読む気が完全に失せた有馬は、タブレットを背後で覗き込んでいた時空院へと後ろも振り返らずに渡す。言葉なくとも、要約しろという意味はその場にいる全員が理解できた。
慣れた様子で画面をスクロールしていた時空院だったが、その表情は終わりに近づくにつれて満面の笑みへと移り変わった。背後にいる男の表情に気付くわけもなければ興味もない有馬は、新しい煙草へ火をつけようとライターへ指をかける。
「で、ナニ」
「嚙み砕いて説明しますと。こちらのご婦人にハニートラップを仕掛けてほしいとのことです♪」
「あぁ、ハニート…ハァ!?」
聞こえた言葉を何となしに反芻した途中、その言葉の違和感に気付き咥えていた煙草を落とす。火をつける寸前で大惨事には至らなかったが、そんなことはどうでもいいとばかりに有馬は怒りの矛先を阿久根へ向け、胸倉を掴む。
「なんで僕ですか…。もう、怒らないでくださいよ!ほら、僕たち指名手配写真は出回ってるじゃないですか。それで何か有馬さんにヒトメボレ?したらしく?それをクライアントが聞いてたんですよ」
「いや、ハ?なに、マジで言ってンのか。コロシだろ?」
「有馬、よく見ろ。ターゲットとはいえハニートラップを仕掛ける相手のことだ。…まぁ、多少高齢、ではあるが」
「フフフ、コロシでないならば私は興味ありませんねぇ。頑張ってください、有馬くん」
未だ状況を飲み込めず、詳細を聞けば聞くほど有馬の疑問符は増えるばかりであった。いや、理解してはいけない気すらすると本能が警鐘を鳴らしているのであろう。手八丁口八丁の詐欺は何度も繰り返している。その過程で猫をかぶり下手に出る話術も身に着けた。適当なスリでオンナに近づいたことも数多ある、が。ハニートラップは意味合いもだいぶ変わってくる。
「あ、見て見て有馬さん。このご婦人、若いころは大層な美人で、その身体と手腕で今の地位を築いたそうですよ。女帝って感じですね」
「ヤメロ、聞きたくねぇ。見せんな」
興味を失った時空院はいつの間にから部屋か消えており、その途中で阿久根へタブレットが返されていた。依頼リストとはまた別に、web上に掲載されているターゲットの情報を読み進め、必要もないのに要約して音読する。しかし声色を弾ませていた阿久根が不意に押し黙ると、思い切り顔を背けていた有馬は不機嫌さをあらわにそちらへ視線を向ける。
「何黙ってんだ」
「…ふふ、いえ。このご婦人、どうやら社内でのあだ名がクレオパトラ、らしく」
「ア?」
押し黙っていた阿久根は、わざとらしく口元へ綺麗な弧を描き笑みを作る。
「クレオパトラも見惚れちゃう、ってことですね♪」