バーテンダーとおにぎりと、「シゴトの時間だ」
「…谷ケ崎さん、前振りって知ってます?いえ、確かに陣頭指揮頼んだのは僕ですが…」
「すぐ要件に入ったほうが効率いいだろうが。続き、早く」
「私も同意見ですねぇ、仲良しこよしで雑談する意味もないでしょう」
普段の薄汚れたアジトとは違い、薄暗くも雰囲気のいい間接照明や調度品、そしてバーカウンターが設置されている地下の屋内へ4人は集まっていた。バーとして普段営業しているそこは、今にも来客があってもおかしくないほど整然と整えられていた。それもそのはず、つい先ほど来客として迎えられたのは我が物顔で居座る4人の方だったからだ。
素知らぬ顔で訪れた4人は、店を一人で切り盛りしている店主をあっという間に捕縛し、バックヤードへ押し込んだ。しかしながら今回のターゲットはこの店主ではなく、これから訪れる予約客であった。
「…にしても、谷ケ崎よォ。は、その恰好似合ってンな」
一人だけバーカウンターの内側、店主が立っていた位置へ居る谷ケ崎を顎でしゃくり指し示す。客側のスツールに腰掛けた3人は、普段と出で立ちの違う谷ケ崎へ目を向ける。有馬に限っては馬子にも衣裳だな、と楽しげに口角を上げていた。
「そんなに気に入ったならお前が着るか?サイズ合わなくてぶかぶかだろうがな」
「あ?喧嘩売ってンのかテメェ、いいぜ表出ろや」
「ちょっと、そんなことでいちいち喧嘩しないでくださいよ!有馬さんは拳銃しまう!谷ケ崎さんも拳握らない!時空院さんは……珍しく大人しいですね」
「私のことをなんだと思ってるんですか~?オシゴトの時くらいイイコにしてますよ。多少はね」
「そうじゃなかった、もう!話を進めますね!?」
仲のいい悪友がそろってバーに酒を嗜みに来たかのような会話に、一向に本題に入れないと気付いた阿久根は声を荒げてカウンターを叩く。ようやく黙った男どもの目線が集まったのを確認し、口を開く。
「今回のターゲットはアジトで話した通り、数分後にやってくる男です。ここら一帯の半グレをまとめており、」
「燐童くん、そのお話は要らないのでは?素性なんてどうでもいいでしょう。それで、こちらへやってきた後は?伊吹の変装も何か意味がありますよね」
「…まぁ、そうですね。このバーは彼らの商談場所にもなっているようです。つまり、クスリの横流しですね」
「クスリ?ンなもんの統制はヤクザどもの仕事だろうが。任せておけよ」
「そうはいかないから僕たちに依頼が回ってきたんですよ。それで、谷ケ崎さんの変装。どうやらバーのマスターも一枚噛んでいるようで、彼の提供する商品がクスリの在りかを示す指標になっているとのことです」
「で、その恰好ってわけか」
カウンターの中で手持無沙汰に立ち尽くす谷ケ崎は、普段の緩めの私服ではなく、きっちりとしたシャツを纏っている。シャツだけでなく、上まで締めたネクタイに、ネクタイピン。下は細めのスラックスにタブリエエプロン。見るからにバーのマスターといった装いだ。今でこそ着こなして澄ましている谷ケ崎だが、ネクタイを締めたことがなかったらしく、男3人が寄ってたかってあーでもないこーでもないとようやく今の姿に仕立て上げることができたのはまた別の話。
「商品って、カクテルか何かです?オシャレですねぇ、回りくどくて私は好きませんが」
「いえ、それが…あの」
「なんだよ、はっきり言え」
「おにぎりだ」
「あ?」
「え?」
「おにぎりだ」
おにぎりだった。
谷ケ崎の力強い『おにぎり』の声に呆気にとられる有馬と時空院は、静かに顔を見合わせ、再び自信満々で立つ谷ケ崎を見てさらに揃って首を傾げる。阿久根は事前調査の段階で知り得ていたらしく、肩を竦めて両手を持ち上げてひらつかせるお得意のポーズを取っていた。
「オイオイ谷ケ崎ィ、お前でも冗談言うんだな?バーテンダーとおにぎりに、なんの関係があるって言うんだよ」
「糖分のほうがまだ関係がありますよ。要りますか?3週間熟成メープルプディングシロップ」
「要らねぇ、それはあとで捨てる。マスターの趣味らしい。気分で昼時に握り飯屋をやっているんだが、それが人気で夜にも出すんだと。酔狂なもんだな」
「酔狂にもほどがある。ま、深く考えるのはよしましょう!ということで谷ケ崎さん、おにぎり。お願いします♪」
「握るところからかよ。オイ、これもしかして谷ケ崎じゃなくてもよくねぇか」
「じゃあ有馬さんやります?おにぎり握るの」
「は、パス。だるい」
「時空院さんは?」
「ナイフと糖分以外は握れませんので」
仲間がバーカウンターで、バーテン服に身を包み、炊飯器から取り出した熱々の白米を握っている。なぜカウンター内に炊飯器があるのか、なぜおにぎりなのか、おにぎりからなんの情報がわかるというのか。高熱の時に見る悪夢のような光景を、もはやどうしたらいいかわからない3人はただただ見守るしかなかった。
当の本人は真顔でおにぎりを作成している。具は明太子のようであった。しかし手元を眺めていると、炊飯器の中の白米がどんどん手の中に消えていく。一生懸命というのだろうか、真面目な顔でおにぎりを作る男にどう声をかけるか悩んでいるうち、手のサイズに合わせて大きく、米粒が圧縮されたおにぎりが完成していた。
「できた」
どこか達成感に満ちた声とともに、海苔に巻かれたおにぎりが皿に乗って出される。
「………おい燐童、おまえが何か言え。つうかターゲットが来る前に作ってよかったのか、そもそも圧縮率どうなってんだ…」
「ツッコミが追い付いてませんねぇ、有馬くん」
「そのおにぎりの圧縮率が暗号になっていてぇ…、なわけないんですよ!普通に形と具です。それで誤誘導してクライアントのもとへ誘い出す予定です」
達成感に満ちた男と、ツッコミが追い付かず呆れ果てる男と、興味をなくしナイフを研ぎ始める男、そして統率を諦めた男が沈黙を生む。その瞬間、階段を下りる僅かな足音に気付いた男たちは椅子から立ち上がり物陰に息を潜めて隠れる。無論、谷ケ崎はカウンター内で立ったまま。
「ハァ、訳わかんねー…。もういい、考えるのはヤメだ。とにかくやりきるぞ。ンなシゴトで足つくなんて御免だからな」
「それは私も賛成です。でもまぁ、伊吹の格好良い姿を見られたから良いとしましょう」
「えぇ、似合っています。サイズが違ったら、僕たちの誰かがおにぎりを握ることになっていましたが」
「いやだから握るのは誰でもいいだろ。ツッコませんな、クソが」
「…おにぎりが冷めるな」
バーテンダーとおにぎり。おにぎりと暗号。脱獄犯とおにぎり。どの組み合わせを考えても悪夢でしかなかったが、大金が入る以上深く考えるだけ無駄だと3人は顔を見合わせて頷く。渦中の人物であるはずの谷ケ崎自身がやる気なのだから、水を差すのをやめよう、と。
扉が開く音と共におにぎりを片手にした我らがリーダー様から掛け声が発せられる。
「――シゴトの時間だ」