友人が既婚者だつた。
上鳴は、飲んでいたカシオレに静かに噎せた。
常闇と上鳴は、旧A組の中では特に仲が良かった方ではない。好む話題もベースのテンションも、とかく色々ズレている。
だが仲の良かった「方」ではないといっても、それは、全員が全員親友だといって過言でないA組基準の話である。二人は一般的には十分以上に仲が良く、こうして上鳴が、飲みの席でも隅を好む常闇の隣に「よう!」と話しに来たりする。加えて言うなら、彼にとって常闇は、個人的に印象深い人間だった。
彼らにとって超常解放戦線との戦いは今なお忘れがたい傷痕だ。その強個性から学生の身空で「戦争」の最前線に引っ張り出されたとき、上鳴は正直半泣きだった。仲間想いの彼は最後には背後の級友のために奮起したのだが、そういう上鳴だからこそ、ホークスのピンチを叫んで上官の制止を振り切ってしまった常闇に顎を外したものだ。常闇自身の語彙を借りるなら、正しく漆黒の流星のような吶喊だった。
だからその数年後、彼ら師弟が同居すると聞いたときには「まぁそんなこともあるかな」と思ったのだ。正直、それがどういう種類の「同居」なのかよく分からなかったというのもある。なにしろ常闇は学生の頃から硬派というか奥手というか、浮いた話の一つもなく、師弟が並んでいても「それらしい」雰囲気は皆無だったので。
それがいきなり「このあいだ籍を入れたんだが」である。びっくりする。
「…………えーと、夜はどっちがどっちとか、下世話なこと聞いていい?」
「答えるわけがなかろう」
「ですよねー」
驚きすぎて、うっかりとあらぬことを口走った。上鳴はパンっと手を合わせて非礼への謝意を示す。こういう素直さが、彼が人に好かれる由縁の一つだ。常闇側にも、本気で気分を害した様子はない。
「俺だけの話ならともかく、あの人のプライベートでもあるんだ。勝手に口にできるか」
あ、理由そこなんだ。友人の変わらぬ美点に、上鳴は思わず笑顔になった。
「……おっ前、相変わらずかっこいーよなー」
「なんだそれは」
首を傾げる常闇に、そーいうとこだよ、と上鳴は笑みを深める。
「んじゃさ、プロポーズはどっちからーみたいのは聞いていい?」
「特にないんだが……」
「いやいやいや、ないってこたないでしょ」
「本当なんだ。この間、眠ったとばかり思っていたあの人がふと目を開いてな」
ふつうに話がベッドから始まったな、と思いながら、上鳴は口には出さずにうんうんと頷いた。旧A組の潤滑剤のコミュ力、面目躍如である。
「『まぁ順当に俺の方がお迎えが先だったとして』などと言い出して」
「……突然?」
「そんなことを気にしていたらあの人とは付き合えん」
常闇はなんでもなさそうに話を進める。さらりとしすぎていて、逆に苦労が忍ばれた。
「『その場合、俺に関することは全部君の権利で、君の気が済むのだけが大事なんだけど』、と」
「…………そうなの?」
「俺もそう聞き返したんだが、逆に『当たり前でしょ』と呆れ顔をされた」
常闇は淡々と続ける。
「『君の権利に口出しされるより腹立つことって、俺、そうそうないんだけど、今のうちに手ぇ打っとけないかな』と聞かれたから、『一般的には籍を入れるのが手っ取り早いのでは』と答えた」
「……で?」
「翌日籍をいれた」
「速ぇよ」
実際こういう経緯なんだから仕方あるまい、と常闇は林檎酒のソーダ割りをストローで吸い上げている。
「……だがそうだな……俺は去年、ヒーロー活動中に死にかけたろう」
「忘れるわけないでしょ。ほんとやめてね? こういう仕事だけどさぁ……」
「努力はする。まぁそのとき、……あれは走馬燈だと思うんだが……俺を抱き枕代わりにしているときの、あの人の実に幸せそうな寝顔が脳裏に大写しになってな」
「……おぅ」
唐突に始まったノロケに、上鳴はなんとか振り落とされずに返事をする。
「このまま俺が死ぬと、ああいう時間があの人から奪われるのか、と思ったら」
「…………おぅ」
「怒りで目の前が真っ赤になった」
上鳴はグラスに口をつけたまま動きを止め、ひたすらに瞬いた。いま、非常に不可解な結論が出なかっただろうか。
「オチオチ気絶していられなくなったんだが、結果的にそれで命が助かったらしい。あのまま意識をなくしていたら死んでいた、と医者に言われた」
「そ、……そっか……」
「覚えていないんだが、麻酔から一度覚めたときに、この話をホークスにしたそうでな。……その場に面会にきていた俺の両親もいたらしい。後になって『お前の気持ちは分かったが、自分たちのことが視界にも入らないのはどうかと思う』となじられた」
「親御さんに何て答えたんだよそれ……」
「申し訳ないが諦めてくれ、と」
上鳴の気管が、先ほどよりも盛大なダメージを受けた。落ち着きたくて飲み物を口に入れてしまったのが敗因だった。
常闇側は、意識がないも同然だったのだから取り繕いようがあるまい、と平然としている。
「そういうわけで、身内からも『いまさらか』という扱いでな。劇的な出来事は何もない。期待に沿えずすまんな」
「……や、インパクトしかなかったんだわ。全体的に」
真顔で断言する(流されるばかりでヒーローは務まらないのだ)上鳴に、常闇は苦笑した。
「まぁ、結婚に至るやりとりとしては、些か風変わりだったかもしれないが」
常闇はひょいとポケットに手を伸ばす。携帯が何かを受信したらしい。ロック画面にポップした表示に、彼は目元を和ませた。
「……俺はあの人を愛しているが、恋をしたことがあるかは分からないんだ」
◇
懐かしい面々に別れを告げて、常闇は非常階段で夜風に吹かれている。程なくして、隣にパサリと赤い翼が降り立った。
既にコスチュームは着替え済みで、その手には空のスポーツバックと羽根穴のないジャケットがある。空を往くのはここまで。酔っ払いとのそぞろ歩きはプライベート、ということだ。
「楽しかったみたいだね?」
「あなたの惚気を随分聞いてもらってしまった」
常闇の差し伸べた腕にジャケットを渡して、ホークスは解いた背の赤をバッグに滑り込ませる。
「俺の話を誰かとするなら、たまには愚痴でも聞いて貰やいいのに」
冗談めかして片目をつむってみせるホークスに、常闇は笑って、羽根入りのバッグと預かったジャケットの交換を促した。
「作り話は苦手なんだ。ご存じだろう」
彼らがそんな話をしているころ、地上では、「常闇、結婚してたわ」という上鳴の発言に、級友達の盛大な驚愕の声が唱和していた。