心まで満たすぬくもりを「何だこれ、あったけぇ………」
いよいよ寒さが本格的になってきて杉下家では遂にこたつが出された。
こたつというものを知ってこそいるが実際にそれがどんなものなのか体感したことのなかった桜は、そこに両足を突っ込んで間もなくその暖かさの虜となり、今やふにゃんと蕩けるように天板にぺたりと頬をくっつけて断固として動かない、というような気迫すら見せ始めていた。
確かにこたつには一度入ってしまえば抜け出せないほどの心地よさがあるし、そんな桜の気持ちもわからなくはない。
しかしこたつで暖を取ることだけが今日桜が杉下の家を訪れている理由ではないのである。いつまでも溶けてもらっていては困る。
「おい、勉強するんだろうが」
「ゔ、」
ベシッと桜の頭を叩くと桜が嫌そうに顔を歪める。
相変わらず物が少なく伽藍堂な桜の家はその建物の古さも相まってシンと底冷えするような寒さを感じる空間と化している。
エアコンこそあるが他に有力な暖を取れる文明の利器は持ち合わせていない桜の家で、小さな折り畳み机一つに二人分の課題を広げて勉強会をするのは些かスペースも足りないし何となく寂しい。
だからこうして桜を家に招いたのに、すっかりこたつの魅力に取り憑かれた桜の様子からしてもはや勉強どころではなさそうだった。
ふぅ、と肩を竦めた杉下はひとまず自分も暖を取ろうと桜の隣に腰を下ろす。
そうしてこたつに突っ込んだ杉下のひやりと冷えた足が中を陣取るように伸ばされていた桜の足に前触れもなくぺたりと触れて、そんないきなりの冷たさに驚きぴゃっと身体を跳ね上げた桜の口からは思わず小さな悲鳴が転び出た。
「っひ!?お…っ、お前足冷たすぎんだろ…!」
熱を奪われたことへの怒りより驚愕の方が勝ったらしい桜がまるで信じられないものでも見るような顔をして杉下を見る。
杉下はかなりの低血圧だ。
そのせいか冷え性でもあって、秋冬の寒い時期になると手足の先が氷のように冷たくなってしまう。
芯から冷えた手足の先はこたつやヒーターに縋ったとて早々温もってくれることはない、ということを自身の体感として杉下は十分理解していて、だからこそ先にこたつで温もっていたのを差し引いても一瞬触れただけで温かさを感じることのできた桜の方は、きっと標準的か、もしかしたら子供体温と言えるほどの熱を普段から持っているのだろうなと推測できた。
「…足だけじゃねぇぞ、ほら」
す、と桜の眼前に外気に晒され冷えたままの手を差し出す。
まるで警戒心の強い猫のようにしばらくその手をじっと見つめていた桜は、やがて徐にこたつの中に引っ込めていた両手を抜き出して差し出された杉下の手を恐る恐る両手で包むように握り込んだ。
「うっわ……冷た……」
にぎにぎと杉下の手を揉むように強弱をつけて握る桜のぬくもりに満ちた手から杉下の冷えた手肌にじわじわと熱が伝わってくる。
指先まで熱を行き渡らせようと懸命に動く桜の手を見つめていると、次第に杉下は身体の芯からぽかぽかと温かい気持ちになってきた。
「…ぬくいな、お前は」
じんわりと染み入るような声でぽそりと呟いた杉下の声はしっかりと桜に届いたらしい。
その声にふと桜が杉下の手に注いでいた視線を上に向けるとそこには柔らかく目を細め心から和いだ表情を浮かべた杉下がいて、桜の顔はボッと瞬時に熱を持ち、その熱は一気に桜の全身を駆け巡った。
(何つー顔してんだコイツ…!)
自惚れだと、気のせいだと受け流すことさえ許してくれない、心底愛おしいものを見るようなその顔を直視し続けることなど桜にできるはずもない。
勢いよく視線を下に戻して、そこに未だ自身の両手で包み込んだままの杉下の手を見つけてハッとする。
桜の全身を駆け巡る熱やバクバクと激しく鳴る胸の鼓動が杉下の手を包み込んだままの桜の両手から全て伝わってしまうのではないかという荒唐無稽な焦燥に駆られて、逃れようのない気恥ずかしさが込み上げてくる。沸騰したように茹だる頭は冷静になる余地すら与えてくれず、気づけば桜は弾かれたかのように杉下の手からパッと両手を離していた。
「あ」
名残惜しさの滲んだ声が杉下の唇から零れ出る。
互いに持ち上げた目線が宙でバチリと絡み合い、一度気まずげに逸らされてまた戻った。
「…もう、温めてくんねぇの」
ひら、と桜の手に包まれていたのとは反対の冷えたままの手を軽く振る。
先程まで桜の手に触れられて確かにぬくもりを取り戻していた手も桜から与えられる熱を失った今急速に冷えきってしまった気がして、余計に恋しく感じてしまうその体温を再び求めずにはいられなかった。
甘えるような杉下の言葉に桜の瞳がゆらりと揺れて、その唇からは小さな呻き声が漏れ出した。
「…桜、」
ねだるように名前を呼んで、もう一押しとばかりに言外に目で訴える。
冷たい。寒い。だからもう一度、ぬくもりがほしい。桜の熱を分けてほしい。
「~~~っ!!ああもうわかったよ!!」
自棄になったように声を張り上げた桜がこたつから抜け出て杉下に近づき、ぐいぐいと杉下を押し退けるようにこたつとの間にスペースを作る。
何をするのかと思いきや、スペースを確保した桜はぼすりと杉下の両足の間に収まって背を凭せかけ、自分より一回りは大きい杉下の両手をまとめて自身の両手で挟むように包み込んだ。
まさかこうして全身ぺたりと寄り添ってくるとは思わなくて、予想外の桜の行動に杉下はぱちくりと目を瞬かせる。
「…何で、ここ…」
「…こうしてた方が、手握るだけよりぬくい、だろ」
無意識に零れ落ちた疑問に答えた桜の両耳の先はすっかり赤く染まっていて、相当気恥ずかしい思いをしているのだろうにそれを押し殺して健気にも杉下に応えようとしてくれる桜がいじらしくて愛おしくて堪らなくなり、杉下は自分より下の位置にある桜の頭にのしかかるように顎を乗せ、決して逃がすまいとできる限り最大限ぴったりと桜に身体を密着させた。
ほとんど杉下に押さえ込まれるような形になった桜が重い、と文句を飛ばしてくるが、言葉とは裏腹に桜は杉下から離れようとする素振りも見せずただすっぽりと大人しく杉下の腕の中に収まり続けている。
一度は離れていった桜のぬくもりがその温度を増して再びじわじわと杉下へ伝わり始め、杉下はその心地よさに身を委ねるように目を閉じた。
もう桜も杉下も、勉強会のことなどどうでもよくなっていた。
今はただ、身も心も満たすようなぬくもりを静かに交わし合っていたい。
そうしてしばらくの間、言葉を交わすこともなくただじっと寄り添いぬくもりを分け合うだけの静謐な時間が優しく二人を包み込み、やがてゆったりと穏やかに流れ去っていった。