ちょはん 知り合いの知り合い編④ 不機嫌を隠さずに、一錠、彼は水で流し込んだ。500mlのペットボトルを半分以上飲んでテーブルに置く。あらためて右側を下に、ハン・ジュンギは横になった。深いため息とともに目を瞑り、静かになった。それを見届け、スマホを取り出し通知を確認した。春日くんからのメッセージによると、マスターが冷麺振舞ってくれるらしい。俺は、特段やることがないのでスマホでニュースを確認する。これといって目新しいニュースはない。季節に関係なく冷麺を推すマスターのセンスは未だに謎だ。だが、あの冷麺に乗るキムチと料理の相性はとにかく良い。とはいえ、ハンくんを置いていくわけにもいかない。少し考えて、もう30分くらいで戻ると返信した。
そのまま続けて、ネット記事を確認する。昨日のことはニュース見出しにすら無い。SNS上では春日候補の久米候補突撃の様子が書かれているが、幸か不幸かそこまでの注目はまだ集めていない。今回は炎上とまでは至っていないようだが、ただの泡沫候補だった一介の地方零細企業の社長が、飛ぶ鳥を落とす勢いのブリーチジャパンに喧嘩を売っているのだ。今は歯牙にもかけないといった態度のブリーチジャパンではあるが、万が一でも一番製菓に矛先を向ける事だけは防がなければならない。鎌滝えりの顔が浮かぶ。元を辿ると野々宮の死が縁で、春日一行に加わっているという。彼女がこの騒動に巻き込まれているのは、間接的には俺のせいだ。もし馬淵と俺が目の前のコミジュル参謀のように意思疎通ができていれば……いや、俺の言う事を聞く馬淵は馬淵であって馬淵ではない。とはいえ、春日くんの目的は青木遼だ。このままの流れだと一番製菓の株価の方にも影響が出るだろう。もしそうなれば、耐えてもらうしかない。
「何か面白いニュースでもありました?」
目を閉じたまま、目の前の男が話しかける。
「おとなしく寝てろよ」
「無理言わないでくださいよ。どうにもここは落ち着きません」
ハンくんが体を起こして伸びをする。髪を軽く整えるとやや深めに座りなおした。
「そんなに早く効くわけないでしょ。酔い止めじゃないんだから」
「酔い止めですよ。ある意味で」
つい30分ほど前まで、顔面蒼白で軽いパニックに陥っていたとは思えない減らず口である。何となく心配して損した気分だ。
「この時期はどうにも整えるのに苦労するんです。まだ、引きずられてしまって」
「言われてみれば、去年の今頃も調子悪そうだったね」
年末年始といえば、いつもの龍氓と星龍会の小競り合いに加えて別のトラブルも起きる。金も人も多く動く時期だし、取り立てがどうとか飛んだとか騒がしいのだ。当然人探しや制裁関連はコミジュルが担当することになるわけで、俺たちが忙しい時は大抵コミジュルはさらに忙しいのである。
「まぁ、事前に聞いていた以上に忙しかったんですがね。ジングォン派にいた頃とはまた別の忙しさでしたので新鮮ではありましたが」
少し遠くを見ながら、彼はペットボトルを手に取った。蓋を開けて残りを飲み干す。空のペットボトルをテーブルに置いて、静かに話を続けた。
「でも、今回はさすがに不意打ちといいますか。私は、彼本人にお会いしたことはありませんでしたので」
「さっきの君の『知り合い』の知り合いの人ね」
「そうですね。『知り合い』が亡くなったことは夢でなく現実で、事実だと頭では理解していても、さすがに面と向かって言われるのは堪えます」
そうか、彼が異人町に来るきっかけとなった神室町の騒動は12月。来たばかりの頃の彼の様子は、ソンヒから簡単に聞いている。モニタールームで初めて見かけたときも、前よりは随分とましになったと言っていた。このまま『知り合い』の話になると、彼の回復に時間がかかるだろう。春日くんに30分くらいで戻ると連絡した以上、長居はしたくない。それに、さっきの男の言葉で気になることがあった。
「さっきの奴、夜にコミジュルに来いって言ってたけど、それってソンヒは了解済みって事で受け取っていいのかな」
「おそらくそうでしょうね。世間的にはコミジュルは焼失してメンバーも地下に潜ったことになっています。それに、わざわざ一般人が『夜にコミジュルに来い』とは言いませんので」
俺の方にはソンヒからの連絡は入っていない。復旧の見込みがたっていないはず、とハンくんも寝耳に水の様子だった。だがさすがに、今夜の件について参謀には連絡が来ているかもしれない。そう考えて自然に彼のコートに目が行く。
「それ、もう返していただいても?」
その言葉を聞いて、俺は黙って重たいコートを差し出した。どうも、と受け取ると早速ポケットからスマホを取り出し画面を確認する。だんだんと彼の目が細くなり、神妙な顔で首をかしげた。
「ソンヒどころか他のメンバーからも何の連絡も入っていませんね」
それは神妙な顔にもなる。
「実はあの男に制圧されてたりして」
「笑えない冗談はやめていただけますか総帥」
近江連合本部で同じ場で共闘、と呼べるかどうかは置いておいて、大阪の時のあの男はすごかった。一騎当千とはまさしくあれだ。あの男には、今のコミジュル戦闘員が全員束になってもかなわない気がする。少なくとも最も戦力になる男が、こちら側に出払っているのだ。復旧を最優先にしているところを襲撃されたらひとたまりもなさそうだ。
ハンくんは電話を掛けしばらく粘っていたが、諦めて画面をタップした。
「出ませんね」
「まぁ、大丈夫じゃない?大阪では味方してくれたし」
「確かにそうですが……」
困りますね、とぼやきながらスマホをいじっていた手を止め、ついには頭を抱え出した。
「血圧上がるよ」
「余計なお世話です」