リョータずきんとオオカミさんここは緑の深い森の奥。
リョータずきんは、赤木おかあさんのお手製アップルパイを手土産に、湖畔のほとりにあるおばあちゃんのお家にやってきた。
ーーー日が沈む前に帰って来い。暗くなるとオオカミが出るからな。
赤木おかあさんの言いつけだ。ここに来るまで、暗い棘の道でお腹を空かせたクマを助けたりして時間を使ったが、日が沈むまでにはまだ十分猶予がある。
自分の好物でもあるアップルパイで、おばあちゃんの誕生日を祝うのだ。
スウとゆるく息を吸い、バスケットを持っていない方の腕を上げ、厚い木の玄関扉を叩く。
「ばーちゃーん!!俺っす、宮城っす。誕生日祝いに来たんで開けてくださいー!」
ドンドン
「ばーちゃーん!」
ドンドンドン
「ばーちゃーん?」
ドンドンドン!
「三井さーん?!開いてるな、入りまーす。」
挨拶もそこそこに扉を押す。存外軽い音を立てて開いた。
鼻腔を木の良い匂いがくすぐる。敷居を越えて家の中を見回す。
天井が高めで、暖炉の前に揺れる椅子。食事や手仕事をするテーブル。生活道具がほどよく整頓された、台所と一体化した居室だ。
リョータずきんのよく知るおばあちゃんの家。ひとついつもと違うのは、決して多くはない窓のカーテンがすべて降ろされ、薄暗かった。
「お邪魔します・・・っと。ばーちゃん、俺です。居ないんすか?」
出かけたのだろうか。リョータずきんが家へ向かうと、赤木おかあさんが小鳥の手紙を飛ばしたはずだ。
おばあちゃんのことだ、リョータずきんを迎えるために気合を入れて森に美味しいものを収穫に行ったのかもしれない。ならば茶の準備でもして待っているかと、テーブルにバスケットを降ろし、ゴソゴソと道具を取り出す。
ーーーゴホ、ゴホ。
聞こえた。寝室の扉の向こう、低い空咳が。
「ばーちゃん?いんの?」
やましいことなど無いが、慎重に扉の前に近づく。この家の寝室で咳をする人物など、家主のおばあちゃん以外にいるはずもないのだが、スタミナはほどほどでも滅多に風邪もひかない健康優良児のような人なので、リョータずきんにすこしの不安がよぎる。
扉の前で問いかけた。
ーーーゴホン、ゴホン。
「ばーちゃん?どうした?寝てんの?」
ーーー宮城か?待ってたぜゴホン。
「うん、俺だよ。咳どうしたんすか。風邪でもひいた?」
ーーーああ。情けないがそうみてえだゴホン。起き上がれそうにねえゴホン。
「ええ、アンタにしちゃ珍しいっすね。そっち行ってもいいすか?」
ーーーああ。お前の顔をはやく見せてくれ。ゴホン。
ドアを開いて、こんもりと膨らんでいる寝台へ近寄る。
「ばーちゃん・・・。」
寝台の上に何枚も重ねた毛布が、人の大きさ程の山をつくっている。苦しいだろう呼吸に合わせ、早いペースで上下している。毛布から出た頭部のシルク帽子だけが、視認できるおばあちゃんの一部だ。
寝台脇の椅子をおばあちゃんの顔が見えやすい傍まで持っていき、腰かけた。
ーーーせっかく来てくれたのに悪いなゴホン。
「いいって。珍しいなばーちゃんが風邪なんて。声すげーガラガラじゃん。」
ーーーお前が来ることがわかって、張り切って準備したらこのザマだゴホン。
「俺が来ることそんなに楽しみだった?ハハ、飛んだり跳ねたりでもしたんすか。」
ーーーああ。お前にしたいことがあれもこれもありすぎてよゴホン。いてもたってもいられなかった。
「なんだよ、じゃあ看病してやらねーとな。赤木のダンナのパイがあるけど、それはあとか。俺なんか作ってくるわ。台所かりんね。」
ーーー待て。
椅子から腰を上げかけたリョータずきんの腕が、毛布の下から伸びてきた手にガシリと掴まれる。鍛えているリョータずきんの腕を簡単に一周する大きく逞しい手指が、これ以上動くことは許さないとでも言うようにきつく食い込む。
おばあちゃんは熱も出ているようだ。肌に触れている面のすべてが、焦げ付くように熱い。
ーーーここにいろ。
手は万力のように締め付け離れない。やれやれと、上げかけた腰を寝台の端に降ろす。2人分の重さのきしみを感じながら、毛布を被る膨らみにそっと己の手を置いた。
「仕方ねーな。あとちょっとだけな。なんだよ、弱って人恋しくでもなった?添い寝でもしてやろーか。」
加減が出来ないほど不調らしいおばあちゃんに、普段の口調よりも穏やかに聞こえるよう意識して話しかける。心もち、すこし優しく、強張った力が抜けるように。
今の自分は棘の道で出会ったクマのように、柔く眦が下がっているかもしれないと思った。
見下ろした先で、頭部を包むシルクのフリルから、隠れていた瞳が現れた。カーテンをしめきったこの部屋よりも暗い、夜のような両目がこちらをジッと見ていた。
ん?と、首をかしげ、ゆっくりと撫で擦ってやる。
長毛の感触が気持ちいい。
(ばーちゃんこんな良い毛布使ってんのか、そういやシルクキャップかぶってるし、意外に女子力たけーなこの人。フフ。)
感心すると同時に、普段とのギャップがすこし可笑しくて、笑いがこぼれた。
ーーークソかわムカつくピョン。
「ピョン?・・・いっつ!ちょ、腕!」
ーーー今のは咳ピョン。添い寝してほしいピョン。さあここに入れピョン。
「ピョンって咳なの?あ、ちょっと捲くらなくていいって!さみーでしょ。」
病人には重すぎないかと思う程に重ねた毛布を下から捲りあげようとするので、上からいっそう深く腰かけて抑える。上半身が膨らみにだいぶもたれてしまっているが、グイグイ押し上げる力強さから、まあ負担にはならないだろうと判断し、遠慮なく体重をかける。
未だに片腕を掴む握力が、寝込んでいる人間のものとは到底思えないほど強い。
ーーー伝染る風邪じゃないピョン。安心して添い寝しろピョン。
怖いことはしない、さあ入って来い。
「ばーちゃんさあ・・・・・・。」
膨らみに押し付けていた頭を注意深く向けて、昏い両の目と見つめ合う。
口からなにかか飛び出そうな程、己の内が激しく鼓動しているが、気づかないふりをして話続ける。
「どうして、耳が大きくフサフサになってんの?」
ーーーお前のかわいい声をすべて聞くためピョン。
「どうして、目がすわってんの?」
ーーーお前の小動物みたいに素早い動きを捉えるためピョン。
「どうして、口より牙が大きいの?」
ーーーそれは・・・・・・
「かわいいお前をまるごと食べるためピョン」
大きな塊が、毛布を跳ねのけ勢いよく襲いかかる。シルクのフリル帽と相性の良さそうな愛らしいネグリジェを纏っているが、自分より余程逞しい上半身だ。
既に片腕は相手の掌の中。捕まえた獲物を絶対に逃がすまいと折れるほどに力が込められている。
それなら、やることはひとつ。
相手の懐に潜り込み、自由の片腕を素早く引き寄せた勢いで、拳を宙に突き上げる。
固く尖らせた拳は襲いかかる獣の顎下を難なくとらえ、猛然と起き上がった上半身は、再び寝台へと逆戻りした。
「っしゃおらあ!切り込み隊長なめんな!!!」
すかさず獣に乗り上げ、沈溺した胴をまたぎマウントをとる。フリルの襟元をつかみ上げ、顔面にもう一発お見舞いする。最初のアッパーで既に大きなダメージを与えたようだが、念のためだ。
「テメー、オレを喰おうとしたな?クソオオカミ、ばーちゃんはどうした?!」
ーーーっぐ・・・。
「答えねーならよ・・・・・・!」
追撃の拳を振り上げた、その時。
「待てリョータ!!!!」
木っ端微塵にでもなったような衝撃音とともにドアが開かれ、暗い空間に威勢の良い男の声が響く。
リョータずきんは、拳を止めて何事かと振り向いた。
つづく