夢中さ、みんな。体育会系の部活に所属する野郎ども御用達の飲み屋とくれば、安くて早くてとにかく量が多いことが最優先最重要事項だが、広い座敷があることも欠かせなかった。何をするにせよ、集団で行動するのが基本なうえ、食って飲めば暴れるのが必定であったため、デカい男どもが揃って騒ぐための空間が必要なのだ。結果的に野球部が選ぶ飲み屋の座敷には、騒ぐ奴ら向けの設備が揃うのも当然で、今日の座敷にも上座にステージ状の段差が用意されていた。
後輩たちが順番に芸を披露するのを、桐島は後方からぼんやりと眺めていた。どれもこれも見たことがあるような芸ばかり。もっとおもろいことやらんかい、と思いつつも、五十人を超える場所で、二年生の自分がどうこう言ったとしても、主張がとおるわけがない。結果として、全体をただぼんやりと眺めるしかなかった。
部屋の隅では、一年生がひとり、体を傾け机にもたれかかっていた。あいつ、飲んどるんか? 不自然な体勢を訝しみ、桐島はゆっくりと席を立った。暴れる連中を効率的に避けながら、音をたてず要に近づく。要は人けのないテーブルで、ぼんやりと箸で唐揚げをつついていた。食べるわけではなく、持ち上げることもなく、ただリズムをとっている。駄目だ。こりゃ本当に酔ってるな。
「要君、今日は余興当番ないの?」
「ああ……原が二回やります」
代わってもらったらしい。どうせ、うまいこと言いくるめてやらせたんやろうな。
「パイ毛ー!ていうやつ、やったらええやんか」
「あれ、桐島さんが気にいっているならあげますよ」
「勝手にもらったらアホの子の方に怒られるやんか」
「ちがいない」
くっくっく、と小さく笑う要の顔は眉も目尻も垂れ、柔らかく可愛らしかった。なんやこいつ、酔うと隙だらけやな。
「じゃあ、今日は暇なんや」
「そうっすね」
「前の方でみんなと遊ばへんのか?」
「いや、面倒くさいでしょ」
面倒、というわりに、口元は緩み、目尻は柔和に垂れていた。どうやら同期のことは好きらしい。ただ、騒ぐのが本当に合わないだけで。そういう楽しみは、もう一人の方が担当しているから、こいつにとっては必要ないものなのかもしれない。
「アホの方が良かったっていう意味ですか?」
「アホか。それこそ阿呆の発言やろ」
「じゃあ、俺が余興してるのが見たかったってことですか?」
違う、と即答しようとしたが、喉が詰まった。うまく答えられず「さあ、どうやろうな」と意味ありげに言って、その場を誤魔化したが、果たして誤魔化しきれていただろうか。
賢い要は、避けられない余興当番が回ってきたとき、ほとんどの場合を女装で乗り切っていた。初めて見たときは衝撃だった。桐島自身が、要に劣情を抱いていることに気がついてしまったからだ。
前々から、自分が要に興味を抱いているとは感じていた。同じ大学になった時は、正直なところ嬉しくて踊りながら叫びたいくらいだった。でも、それは、選手としての関心だと思っていたし、バッテリーを組む可能性に興奮しているのだばかり思っていた。まさか、要の細腰に興奮しているとは。自分でも思いもしなかった。
しかし実際に、要がチアのミニスカートを履き、短いTシャツを着て、仏頂面で登場したとき、桐島は、今こいつを押し倒さない限り、この先ほかの誰も抱けないと確信した。他の誰も要らないのだ。捕手のくせに妙になまめかしい腰つきと、短いスカートから覗く白い太もも、きゅっと締まった足首をさらしながら、表情はこの世の終わりが来たような愁いを帯びていた。そうや、こいつは睫毛が長いんや。高校時代に観戦で気づいた特徴を思い出す。あの時から、本当はこいつのことが好きだったんだろうか。
気がついてしまうと勝手なもので、エロく可愛いらしい要に対し、厳つい野郎どもが盛り上がり囃し立てることにいら立ちを覚えた。いやいやそいつのことを昔から目えつけてるのは俺やから。三年前にこいつを発見したのも、生で対戦したのも、この部屋におるやつやったら俺だけちゃうか。昨日今日知り合った連中がひゅうひゅう言うなや、頭が高い。
その日の桐島は興奮と怒りで席を立とうとしたが、体勢を変えたところで隣の同期にぶつかった。そうや。今日はただの新歓や。二年生の自分がどうこう言える場所やない。仕方なく桐島は二回目以降がないことを念じることでやり過ごすことにした。半年前のことだ。
「ところで要クン」
「はあ」
いつもなら冷たいトーンで「はい」と返事が返ってくるところなのに、今日はどうも様子が違う。タイミングが悪い時の要は、こちらを冷たくあしらうだけではない。「それ以上話しかけんな」といった空気を漂わせることも少なくないのだ。なんやねん。「はい」って言ったんやから、ちゃんと応対せえや。憤りながらも、そういう気まぐれに見えるところも猫みたいで可愛い、と思ってしまう自分が、すっかりハマっているのは認めざるを得なかった。くそう。
「酔っぱらってるやんな?」
「は?」
溶けそうなほどのんびりと唐揚げをつついていた男は、急に目を丸くして驚きを浮かべた。鳩が豆鉄砲を食った場面に出くわしたことはないが、小動物が驚いた時の丸目が可愛いというのは間違いがない。それはそれとして、明らかに酔っぱらっているのだが、こいつは大丈夫なのだろうか。
「いやいや、どう見ても酔っているやろ」
「でも、自分は飲んだつもりはないです」
酔っぱらっていることを否定し続けるところは、要らしいといえば、らしい。いやでも、こんなところで負けず嫌いを発揮せんでもええねん。さっさと俺の指摘を認めえや。
「なんでやねん。貸してみ?」
要の手元にあった茶色い液体を唇に当てる。見た目は普通のウーロン茶だったが、傾けるとほのかにアルコールの香りがした。たぶん、ウーロン茶とウーロンハイを間違えて飲んでいる。
「なあ?」
「はあ」
要は相変わらず間の抜けた返事をした。変な負けん気を見せているが、体は隙だらけで可愛らしかった。
「これ、ウーロン茶やと思ったん?」
「うーろん茶いがいの色じゃないでしょ?」
眠くなってきたのか、ところどころ呂律が回っていない。それでも、酒を飲んだと認めないところが面白かった。そうやな。要圭はこうでないと。
「俺は、ちょっと臭いなって思うんやけど」
「きりしまさんの鼻がおかしいんとちゃいますか」
アクセントの全く違う関西弁で返す要に思わず胸が震えた。これがキュンというやつか?そもそも関西弁なんてどこで覚えたのかと思えば、影響元は自分しか思い当たらない。この半年、練習なり試合なりで組んできた結果がこれやと思うと、可愛らしさで頭をぐりぐりと捏ね繰り回したくなった。今、こいつは酔っぱらってるし、そのくらいしても怒られへんのちゃうか。そう迷っているうちに、要の方が口を開いた。
「だいたいね、酒を飲んだことなんてないんだから、わかるわけないでしょ」
「ああ、そうね」
冷静を装って返事をしたが、心臓が試合の時よりも早く鼓動していた。
こいつ、初めて酒を飲んだんか。初めて酔っぱらった姿を、俺に晒して、意地張ってんのか。初めて、腑抜けた笑顔を自分の前に晒しているのか。そんな愛らしい生き物を目の前にして、正気を保っていられる男がこの世界のどこにおんねんおらんやろ。
昔は体育会系と言えば入学後は飲み会飲み会一気飲みだったらしいが、今や未成年飲酒が表沙汰になると大騒ぎになる時代だ。だからといって真面目に全く飲まないかと言えば、そんなことはなく、少人数になれば目立たぬようにたしなむのが普通の大学生だった。だってそうやろう。若いんやから。
だというのに、こいつは今日にいたるまで真面目に一口も飲まんと来ているのか。そうして間違ったウーロンハイでへろへろになり、酔っていないと言い張っている。
不満そうに口を尖らす要が可愛かった。このまま、あの尖がったつやつやの唇にキスしたら楽しいんやろうな、と思いつくと、そればかりが気になった。どうしよう。このままここにいたら、本当に顎を掴んで引き寄せてしまいそうや。
焦った桐島は勢いをつけてその場に立ちあがった。もういい。とりあえずこの場を離れれば、事故が起こることはない。まだ理性が残っているうちに、対処しないと。
意を決して踏み出した瞬間、指先にふわりとした感触が伝わった。要だ。酔った男の指先は熱く、弱々しく、汗ばんでいた。
「行かないで」
返事をしたかどうかも覚えていない。気がつけば、要の隣にあぐらをかいて座っていた。左手は、まだ要に掴まれたままだった。どうしていいか分からない。目の前には先ほど確かめたウーロンハイのグラスが、汗をかいて鎮座していた。こいつのせいだ。こいつが要をおかしくしたんだろ。
「あ、ちょっと、それ、俺のです」
要のためにウーロンハイをこの世から抹消しようとしていたのに、横から腕を伸ばすなよ。これ以上酔っぱらってキス魔にでもなったら俺はどないしたらええねん。死ぬんか。気が狂うんか。そこの窓から飛び降りろっていうんか。
戸惑う桐島を気にすることなく、要は掴んだグラスを傾け、茶色の液体を一気に飲み干した。アホ。ボケ。ぷはあ、なんて言うな。エロいやろ。
「…………かなめ、大丈夫か?」
ウーロンハイを飲み干した要は、満足げにげっぷをした後、すみやかに突っ伏した。気を失ったかと焦った桐島は顔を近づけて様子を窺ったが、特に危険な様子はない。小さく頭をゆすっていたので、落ち着く場所を探しているらしい。眠たいのかもしれない。
「かなめ?大丈夫か?」
再度尋ねると、伏せた腕の奥から「きりしまひゃん」とくぐもった声が聞こえた。まったりしているが、気は確かなようだ。危ないことはない、と安心し「はいはい、なんや?」と返事する。自分の声がし甘ったるい気がしたが、部の連中は騒ぐのにみんな夢中で、座敷の隅で酔っぱらっている一年生と二年生に気を配るものがいるとは思えなかった。
「きりしまひゃん」
要が顔を横に向けた。ふわふわの前髪が跳ねていたが、それに構う気もないらしい。顔が見たくなり、要の髪をそっとかき分けると、眦がふにゃりと垂れた。酔って少し赤くなった瞳が、じっとこちらを見つめている。
「キスしませんか?」
はあ、俺、本当に今日が命日なんか?
部の連中は騒ぐのにみんな夢中で、座敷の隅でキスしている一年生と二年生に気を配るものがいるとは思えなかった。
〆