大阪サプライズ「要くん、お布団なんやけど、秋斗の部屋の床にひいたんよ。ベットに寝て欲しかったけど、夏彦の部屋がとっちらかっとって、使いもんにならへんから、許したって。あのアホ、連絡ませんと帰ってきて部屋もリビングもめちゃくちゃにして去っていくねん。せやから要くんにはごめんやねんけど、寒かったり、硬かったりしたら、秋斗と代わったらええからっていうか、秋斗!あんたベッドやのうて、あんたが床に寝えや」
「その言い方やったら、フローリングに俺が寝るみたいやんか」
「とりあえず床に転がったら寝れるやろ。それやったら布団を敷かんでもええから、その方が楽やな。そうしよか。秋斗が床に転がったらええやん」
母ちゃんは、ええこと思いついた!的に手を叩いた。皿を洗ってたはずやのに、水飛沫が飛び散らないのは名人芸の粋やと感心する。相変わらずたのしそうや。
「ひどいわあ、可愛い息子をコロコロ転がすつもりやで。この人」
「コロコロは掃除のやつやろ。ゴリラのくせにコロコロ名乗らんどってくれる?」
「コロコロちゃうし、ゴリラでもないわ、勘弁してや」
「あの……」
「あ、ごめんごめん、要くんは可愛いし、イケメンやし、ゴリラとはちゃうから、そこはちゃんと強調しとくな。ほんまなんでこんなシュッとしたええ子が秋斗とバッテリー組んでくれてるんやろな。ごめんなぁ、ウチのゴリラがいっつも迷惑かけて。今晩は要くんはちゃんとベッドでゆっくり寝てな。後で布団にあんか入れて温かくしとくから」
「いや……あの……」
「母ちゃん、さっきから要くんが困っとるやんか。要くんにも、ちゃんと喋らせたって。あと、俺の布団にもあんかは欲しいんやけど」
「あんかは用意したるから、秋斗はちょっと黙っとき。ほんで要くん今日は急に来てもろて、ほんまにありがとうな。晩ご飯あれで大丈夫やった?今、やりずらいことない?それか、ほしいもんある?ちゃんとお腹いっぱいなった?てか、肉ちゃんと食べた?まだあるで?」
「お……いや……ご飯は本当に沢山いただきました。ありがとうございます。この御礼はいつか必ず……」
「お礼は必ず!秋斗聞いた?御礼やって!いやあ、ほんまに義理堅いな。おばちゃん惚れるわあ。イケメンはちゃうなぁ。でも、ほんまに気にせんといてな。正月やのにこんなとこ迄来てくれただけでも、おばちゃんたちめっちゃ嬉しいから。な。あと、お腹空いたら、冷蔵庫から好きもん食べてええからね。冷凍庫にアイスあるし。要くん、抹茶味好き?」
振り向き、早速冷凍庫に手をかける母ちゃんに要が戸惑い手を振った。
「あ……いやもう……」
「なんでそんな次々と食べもんでてくんねん。おかしいやろ、その冷蔵庫。四次元なんか?」
「えー!あんたらが中学生の時に底なし沼みたいに食べるから買いかえたんやんか!これが四次元なんやなくて、あんたらの胃袋が四次元なんやって。なんや?秋斗の胃はもう三次元に減ったんか?」
「俺の胃袋はもとから三次元ですう。おかんが産んだ息子やのにそんなおかしな胃袋持ってるわけないやん。なあ?要クン」
「はあ……」
「ほら、要くんが困っとるやん」
「最初に困らせたんは母ちゃんの方やん」
「最初がどうとかええから、さっさと風呂に案内しいや」
面倒になったらしい母ちゃんは、話をぶった斬り、風呂の方を指差した。
「あー、はいはい、さっさと行こな要クン」
風呂へ向かおうと立ち上がる俺たちは、母ちゃんの元気な声に呼び止められた。
「あっ!シャンプー二種類あるけど、黒い方使こてな!それ、父ちゃんの育毛のやつやから!」
「俺らまだフサフサやからそんなんしらん!」
「ちゃうねん!白い方は私のキューティクルを守るお高いやつやねん!球児の死んだ髪に使わせるわけにいかんもん!」
「せやから俺らの髪はまだツヤッツヤのフッサフサやからそういうのはええねん!」
「いや!どうでもええから白い方は使わんどいて!父ちゃんのにしといて!」
「あー!分かった分かった!白い方な!」
「そう!白い方……ちゃうわ!黒い方使いや!」
母ちゃんのノリツッコミを背中で受け止めながら、俺たちは改めて風呂へ向かった。
「もう寝てるんかと思ってたのに」
風呂から上がって部屋に戻ると、布団の上で要がストレッチをしていた。練習後にシャワーを浴びることもあるし、夏なら水をかぶることもあるから、濡れ髪の要は見慣れているはず。だのに、自分が中学生まだ過ごした部屋で、無防備に風呂上がりを晒している姿を見て、動揺しなかったと言えば嘘になる。気がついたら部屋に好みど真ん中の知らないグラビアが貼ってあったかのような気持ちだ。いや、そんな目にあったことないから知らんけど。
「いや、流石にこの展開についていけなくて、寝れません」
「なんや、意外に繊細やな」
要はストレッチを止め、不満そうにこちらを睨んだ。
「俺は初詣に行こうって言われたから、待ち合わせ場所に行ったんですよ。大阪に来るなんて聞いてないし、ましてや」
「ましてや?」
「桐島さんのうちに、泊まるなんて想定外もいいところです」
言い切ったのち、要は、ふう、と息を吐いた。本当に緊張していたらしい。
「でも、他に泊まるとこなんてなかったやろ」
「大阪だったら、日帰り出来たじゃないですか。正月の朝に『初詣行こう』って誘っといて、待ち合わせ後に無理やり新幹線に乗せるなんてマトモな人間のすることじゃないですよね?」
「ええやん。楽しいやろ」
「楽しいのは桐島さんだけです」
「せやな。要くんが簡単に引っかかって、めちゃくちゃええ気分や。母ちゃんも喜んだし」
「本当に喜んでるんですかね……?」
「あの人が嘘つけると思うか?」
「そういうことじゃないですけど」
「まあ、高校の時から要くんてイケメンやなあって、記録映像見てはしゃいどったしな。今年の夏に野球場で会うた時も喜んどったんやで」
「はあ……いやでも、泊まるところまで必要でしたか……?」
「母ちゃんは泊める気満々やったやん」
要が来ると聞いた母ちゃんは大喜びで飯を作り、要が到着した後もはしゃいで歓待し、一秒も止まることなく話し続けていた。関西人丸出しだ。まあ、今朝までは、俺も夏彦も正月に帰らんて話になっていたから、寂しさの反動で盛り上がったのは仕方ない。それに、父ちゃん母ちゃんが喜んでいたのは要にも伝わっていたらしく、夜には徐々に要も笑顔を見せるようになっていた。
「そうですけど……」
「要くんはうちの母ちゃんが泣いても平気なんか?鬼か?」
納得しきれていない様子の要はあぐらをかいて、頬杖をついた。可愛い。
「でも俺、ちょっと気になっとんねんけど」
「はい?」
頬杖をほどき、要は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。いやだから可愛いねんて。
「要くんちは急に外泊して大丈夫やったん?」
「そんな女子みたいな心配しないでください」
「だって、箱入りっぽいやん」
「箱入りって、そんなはずないでしょ。むしろ喜んでましたよ」
「へ?」
要のうちの要にそっくりな母ちゃんがにこにこと笑っているのを思い出す。試合の応援で会うたびに、愉快で失礼なことを告げ、去って行く人のことを。
「急に外泊するって言いだすなんて、大学生みたいだっつって嬉しそうでした。突然外泊してもしなくても、普通に大学生ですけどね」
「へー、ほな、俺ら二人とも親孝行やん」
「そういう問題じゃないです」
「初詣は明日ちゃんとするから、問題ないって。お詣りは天神さんに行こな。さ、布団、邪魔するで」
要が座っている横から、俺はさっと布団にもぐりこんだ。クローゼットの奥から出されたばかりの客用布団はまだ硬く、隅の方に入れられたあんかの周りだけほんのり温かい。
「ちょっ、桐島さんはちゃんと自分のベッドで寝てください。あなたが風邪を引いたら、俺が一生後悔します」
「えー、じゃあ、風邪ひこうかな。要くんに一生引きずってもらえるんやろ」
「そんな地縛霊みたいな桐島さんは嫌いです」
「えっ、じゃあやめる」
そうして自分の布団から毛布と羽布団を引き寄せた。ズル、という重い衣擦れの音とともに、毛布が布団の上に落ちてきた。客用布団と一緒に包まるついでに、布団の端で怒っている要を引き寄せた。不機嫌なわりに、要は素直に布団に入った。
「ほら、これやったら風邪ひかんから」
「床の上だし、こんな狭いところで寝てたら体痛めますよ」
「くっついたら狭くないし、大丈夫やろ」
抱きつくと要は自分に背中を向けた。抱き込みやすくなったので、ぐいと引き寄せ、足を絡めた。温かい。思いのほか冷えていたことに気がついた。実家ってなんでこんなに寒いんやろう。
ついでに抱えた指先で要の乳首を触った。いや、だって、抱えた指の先にポチっと立っとったし。
「ちょっと、やめてください」
不機嫌そうに制止する声が小さい。囁くような言い方や、その台詞のせいで、変に疚しく感じ、変に興奮する。不倫ってこんな感じだろうか? 不倫もの、もともと嫌いやなかったけど、思っていた以上に燃えるな。
「だから、やめてくださいって」
ジャージのゴムの隙間から手を突っ込むと、要が鋭く抗議した。いや、小声めっちゃ腹にクるんやけど。まんま人妻やん。
「ええやん、減るもんでなし」
「桐島さん、不倫ものみたい、とか思ってる場合じゃないですからね」
ああ、なんや、お見通しか。指摘された瞬間にぐっと頭が熱くなった。さすが要圭。そういう勘のいいところが大好きやわ。
「別に、そんなこと思ってへんけど。それより、ほら、要くんかて勃ちそうやん?」
「だから、触らないでくださいって言ってるじゃないですか」
あくまで小声で怒る要が愉快だった。別に普通に喋ったって、親には聞こえないのに。
「ほな、要くんがもっと人妻感出して? 俺は不倫ものを楽しむから」
「嫌に決まってます」
「ええ……そんな寂しいこと言わんといて」
わざと甘えた声を出しながら体をまさぐる。服を脱がせないまま、布団からもはみ出さないまま、相手の肌を探っていくのは楽しかった。やっぱりちょっと不倫ぽいな。
「ちょっと、ほんとに」
体を傾け、俺の腕から逃げようとする要を引き留める。なおも暴れる要を弄り続けていたが、ふいに要は腕の中から抜け出した。それはいいが、勢い余って要は床まで転がり出し、適当に放置していた鞄やペットボトルにぶつかった。バサバサという大きい音を立て、荷物は崩れる。音に驚いた要がびくりと体を震え、周囲を見まわした後、散らかった荷物を綺麗に整えた。
「はよ、戻っといで」
荷物を直しても、なお呆然としていた要は、ズボンが半分ずれ、腰が丸出しになっていた。暗い部屋に白い肌が光って見える。これが好きなんだけどな、と思ったが、今日はそんな雰囲気でもなくなったので、その欲望は頭から追い出す。
「寒いで。はよ、おいで」
二回呼ぶと要は思い出したように、びょこんと布団に戻ってきた。ごそごそと布団に潜り込む音が愛しい。おがくずに入るハムスターみたいやな。
「ふう」
布団にもぐりこんだ要はは安堵の息を漏らす。今度は俺と向かい合わせだ。引き寄せすぎないように、軽く要を抱きしめた。
「たぶん誰も気づいてへんよ。俺、昔はこの部屋で筋トレしとったから、親もうるさいのは慣れとるって」
「いや、でも、俺が気になるんで」
そう言ったきり、要は黙り込んだ。
実家の知らないシャンプーの香りがする。使うな、と言われると使いたくなるもので、母ちゃんのとっておきをふたりで使ったのだが、やたら甘ったるい香り鼻につく。でも、これも、そのうち思い出になるんやろうな。
「もう、家を出てから五年くらいたつから、俺の部屋感は薄まったと思っててんけど」
「はあ」
「この部屋に要くんがおるのってなんかしっくりせんな」
ふふ、と要は小さく笑った。どこか楽しそうだ。
「俺も、他人の家に泊まる日がくるなんて、思ってもみなかったんで、ちょっとびっくりしました」
ふうん。
要クンの初めてを奪えてうれしいわ、とでも言っても良かったが、その台詞は口から出てこなかった。
代わりに、要の唇に軽く口づける。
「おやすみ」
おやすみなさい。その言葉を聞いた途端、意識は途絶えた。俺も、それなりに緊張していたらしい。
翌日は、きっちり六時に目を覚ました要に起こされ、冬の朝特有の刺すような寒さの中、ふたりで淀川河川敷を走った。中坊の時に長いと感じていたコースは、今では楽々と走れるようになっていた。物足りないと感じるくらいになっているのは、素直に嬉しかった。一人でノスタルジーを感じている自分が恥ずかして、いつも以上にホラばかり喋り倒してしまったが、要は気づいていただろうか。
帰宅後は、朝飯をこれまた山ほど食べ、土産を持たせようとする母ちゃんを振り切って、初詣に出掛けた。
「二十四時間越しにようやく叶いました。今年の初詣」
表門のところで、要は皮肉っぽい感想を口にしていたが、機嫌は良さそうだった。「鳥居じゃないんですね。門が寺みたい」と言って、キョロキョロとあたりを見回していおり、可愛らしい。正月の天神さんは人込みで溢れかえっていた。気を抜くと要が人に埋もれるような気がして、手を繋ごうとしたが振り払われた。
「汚いもんみたいに力いっぱい振り払わんでもええやん」
「俺は普通にしてるだけです。桐島さんに後ろ暗いところがあるんじゃないですか?」
けらけらと笑う要は、楽しそうだった。天神さんの境内で標準語を話す茶髪のダッフルコート男は周囲からかなり浮いていたが、俺にとっては悪くない風景だった。中学三年生の時、思い通りに推薦が決まらず、一般受験まで考えて、ここにお参りに来たことがある。受験の神様だからだ。結果的に関西で受験はせず、氷河に行って正解だった。今でも東京の大学で野球をしているのが楽しいと感じる。あの時、東京に行く覚悟をしたからこそ、およそ大阪にそぐわないこの男とも出会ったわけやし。あの時、天神さんまできて正解だったんだのかもしれない。学問の神様のはずだが、あれか?俺は逆に学問にはお断りされたんか?
「初詣もしたし、嘘ついてへんやったろ?」
「予測不能なことが起こりすぎですし、初詣以外、ほぼ嘘じゃないですか」
「せやけど、試合の遠征とちゃう、普通の大阪もおもろかったやろ?」
「まあ、それはそうですね」
「それは認めるんや」
「事実は事実として受け止めます」
「素直やないなあ」
「受け止めるって、素直にいってるじゃないですか」
「いや、ほら、もっとあるやろ。桐島さん、大阪サプライズありがとう!とか」
「なんですか、それ」
くすくすと笑う要は、楽しそうだった。いや、それ、それを言いなさいよ、君は。
まあでも、笑うだけでもよしとしとこか。
「俺も大阪に帰ってこれて、おもろかったわ。まあ、せっかくやのに実家で不倫エッチができへんかったことだけが、心残りやけど」
「そうですか」
要は笑顔を真顔に急変させ、俺を見つめた。え?言い過ぎた?
「あれに寄って帰りますか?」
遠くに、桜橋の辺りで光るピンクの看板を、要が指さす。その台詞を信じてよいか戸惑いながら、要の指と顔を交互に眺めていると、要の勝気な泣き黒子が、きゅっと上がった。
「俺、一度、地方のラブホって入ってみたかったんですよね。不倫みたいじゃないですか?」
〆