バレンタイン記念 大失態。
頭にその三文字がぐるぐる回る。堅い床の上に正座してそろりと後ろをうかがえば、さっきまでの僕と同じ様に床で寝息をたてるKKが目に入った。
昨晩はそう、依頼が無事終わった後に誰もいないアジトに帰ってきたら、KKが「依頼人が良い酒をくれてな。付き合え暁人」って言い出したんだ。KKに晩酌に付き合うように言われるのは珍しい事じゃない。もしかしたらKKは僕が作るツマミが目当てなのかもしれないけど、誘われるのが嬉しいからつい付き合ってしまう。
僕は家の事情があったからあまりお酒を飲む機会がなかったのでいまいち詳しくないんだけれど、KKが飲ませてくれるお酒はいつもおいしい。それでも昨日のお酒はKKが『良い酒』というだけあっていつにも増しておいしかった。
「おいしいね、これ」
「……オマエ、けっこういける口だよなぁ」
「そうなの?」
「オレとしちゃ晩酌に付き合ってくれる相手が出来て嬉しい限りだが……これはうまいが、度数も高いからな。気をつけて飲めよ」
うん、と頷いてそれから……それから?
言われた通りそのお酒が強かったのか、それとも依頼で思った以上に疲労がたまっていたのか、僕はいつもよりも酔うのがはやかった気がする。
おいしくて、ふわふわして、横にいるKKの存在が嬉しくて、ふわふわして。なんだか妙に気が大きくなって、ああ、この人が好きだなぁと思ってしまって。
――つい、その頬にキスしてしまった。
KKと僕は男同士だし年も離れてるしだいたい彼は元既婚者だ。相棒とは呼んでくれてるけど、それだけ。僕の片思いだ。
そんな相手に頬とはいえ無許可でキスをするなんて、怒られても仕方ないことをしたのに、KKは驚いたように目を見開きはしたけど「なんだ、今日はずいぶん出来上がるのがはやいじゃねぇか。この酔っぱらいめ」と柔らかく笑って許してくれた。
それが嬉しくて、ちょっと悲しかった。慣れてるのかなぁとか、それ以前に意識されてないんだろうなぁとか、KKから見たら僕はでっかい息子みたいなもんなんだろうなとか。
ぐるぐる巡る想いをまたお酒で流し込んで……酔っ払いとは恐ろしい。僕のお酒で茹だった脳みそは「最初で最後のチャンスでは?」とよくわからない理論を導き出して、さらにKKの顔中にキスの雨を降らせた。KKも酔っ払っていたからか、ちょっと文句を言ってたような気はするけれど僕を押しのけることはなかった。
それで僕はご機嫌になって……そこからの記憶がない。
もうなんというか。言い訳のしようがないくらいやらかしてる。目が覚めたKKに何を言われるのか、というかまずもって正面から顔を見れる気がしない。起きたKKが全部忘れててくれたらと思うけど、今までの飲み会を思い出せばそれはどうにも望み薄だ。
……とりあえず、一度家に帰ろう。このまま申し訳なさといたたまれなさを抱えながらKKの覚醒を傍で待つのはあまりに拷問すぎる。
横に落ちていたブランケットを拾い上げ、そっとKKにかけた。多分先に寝落ちた僕のためにKKがかけてくれたものだろう、なんだかんだで面倒見がいいのだ。
でも素面に戻ったKKが、あの出来事をどう思うのかわからない。ひょっとしたら僕の気持ちもばれてしまったかも。軽蔑したような顔をされたら立ち直れないなぁ。
通用するかわからないけれど、まずは覚えてないふりをしてみようか。いや、元々嘘をつくのは得意じゃないしKK相手じゃしどろもどろになってしまってすぐばれそう。
となると、あとはあれか。限界まで酔うとキス魔になるとか。実際今回ははからずもそうなってしまったわけだし。KK以外にそんなことしようと思ったことないけど、嘘ではないからまだごまかせる気がする。
「――よし」
方向性は決まった。ハンガーにかけておいた上着を着込み、ボディバッグを身につけた。玄関に行く前に年上の相棒をもう一度振り返る――と、目がばっちりあってしまった。
「っ!」
「…………」
無言のまま、大あくびをしてKKが起き上がる。そのままあぐらをかくと僕をじろりと睨みつけ「オイ、暁人」と低い声で呼んだ。機嫌が悪そうなその様子に、自然と体がかたくなる。
「オレは今、素面だぞ」
「え、うん」
だから怒ってると、昨日の醜態はなんだと言われるのだろうか。
「オマエも素面だな?」
よくわからないまま、でも確かに酔いは醒めてしまっているのでこくりと頷くとこっちに来いと手招きされる。
やっぱりお説教かな。恐る恐る近づいてKKの前で身を縮こまらせると、大きい手のひらが僕の後頭部に回り気がつくとまつげがわかるぐらい近くにKKの黒褐色の瞳があって――。
がぶりと。かみつかれたのかと思うぐらいの勢いで唇が重なった。
「?!」
間近にあるKKの瞳に、情けなくも呆然とする僕が映ってる。重なった唇は一度離れ、すぐに角度を変えてまた覆われる。ちょっとかさついた感触がくすぐったい。
パニックで動けない僕に何度もキスをして、やがて大きくため息をつくと少しだけ顔を離して「オマエが言ったんだろうが」と苦々しげにささやいた。
「え、なに……」
「覚えてねえのかよ。こんだけ顔中にキスするなら口にもさせろって言ったオレに、唇は恋人じゃなきゃだめって言いやがって」
「え、えぇ……」
――覚えてない。何それ知らない。
「オマエが好きだ、それならいいかって聞けばそれは酔ってるせいだって言うこと聞かねえし」
す、好き? 今KK僕のこと好きって言った??
「だから起きて、素面でもオマエが好きだって気持ちが変わらなかったら今度こそキスするぞって言ったらオマエ……わかったー! とか言ってたくせに」
なに勝手に帰ろうとしてるんだよこのバカ、と続けられて夢を見てるのかと思った。それとも。
「僕、まだ酔ってる?」
「だから素面なんだろ」
後頭部にあった手のひらが背中に下がり、ぐいと引き寄せられる。そのまま一度抱きしめられた後に、喉元を軽く食まれてぞくりと背中に何かが駆け上がった。
「け、KK?!」
見知らぬ感覚に身を震わせる僕に、KKはふんと鼻を鳴らして「今日はこんぐらいにしといてやる」と言ってニヤリと笑う。どこか獰猛さを感じるそれから目を離せなくて、小さくうめくことしかできない。
「逃げられると思うなよ?」
おちょくるような口振りだけれど、僕を見つめる瞳はどこまでも真剣で。
ああ僕はとっくの間に。
「……今更だよ、バカKK」
あんたから離れられるわけない。
自然とこぼれたセリフに、KKはよくできましたとでも言うように僕の輪郭をなでた。