マフィアパロ? 僕は、今日からドンの影です。
そう言ったヘーゼルの瞳の青年は、いつしか言葉通りドンの影となった。
陽射しも穏やかで、微睡むような昼下がり。ジェイは最近見つけたお気に入りの海辺のカフェで、ゆっくりと珈琲とドーナツを楽しんでいた。一見すると何処にでもいそうな男性市民であるが、裏の顔はニューミリオンで名を馳せるマフィアのドンだ。そんな物騒な名前を背負っているので、本来なら護衛を付けて外出するのが正解なのだが、ドーナツ一つを買うのに黒塗りのベンツを用意して、厳しい顔をした護衛をカフェにまで連れ回すのは気が引けるし、このゆっくりと時間が流れるような穏やかな店に如何にも堅気ではない男たちでテーブルを埋めるのは気の毒だ。何よりも、ジェイ自身が一人で出掛けたい気分であったのだ。たまにはマフィアのドンという姿を脱ぎ捨てて、ニューミリオンとドーナツをこよなく愛するジェイというただの男に戻りたい時もある。いつものパリッとしたスーツもコートも脱いで、シャツとボトムスとサンダルを穿けばあっという間だ。
まあ、ドンがいないという事にそろそろ仲間たちが気付き始めて、ちょっとした騒ぎになっているかもしれないが。それもいつもの事だ。
珈琲を一口、二口と飲んで海のさざ波と反射する光を楽しみ、砂浜で遊ぶ人たちを見つめる。まだそこまで陽射しが強くないので、肌が焼ける心配もないのだろう寝そべる男性や女性。手を繋いでゆっくりと海辺を歩く恋人たち。犬の散歩をする家族。皆それぞれ平和な時間を過ごしている中、ジェイは砂浜を歩くある一組だけを一点に見つめ、眩しそうに目を細めた。
キラキラと反射する海の水面に、足の裏に伝わる柔らかな砂浜。最近グリーンイーストで名を聞くようになった、名探偵と言われるゴーグルを掛けた青年と、ジェイの影や右腕と呼ばれる青年。
同じ歩調で歩き、何かを話しているがジェイには聞こえない。ただ彼らが穏やかに話し、いつもの感情を映さない瞳が優し気なものである事だけが見れて充分だった。
僕は、今日からドンの影です。
そう言ったヘーゼルの瞳の青年は、いつしか言葉通りドンの影となった。
ジェイの影。懐刀。右腕。沢山の呼び名を持つ、グレイという男。
彼が暗い雨なんて似合わない事をジェイはよく知っていた。だけどジェイは何も言わなかったし、グレイ自信も雨に濡れる事を望んでいた。彼が忠誠を誓い、影である事を望んでいたのだ。
しかし彼がもしも光の方へ行きたいと、ただのグレイになりたいと望んだ時、ジェイはいつだってその準備が出来ている。影を切り離す準備は出来ているのだ。
「グレイ、待っているぞ」
陽射しも穏やかで、微睡むような昼下がり。ジェイは店員に会計を頼み、その場から背を向けて去っていった。
砂浜を歩く彼らが足を止める。一人が明るく笑って手を差し出し、もう一人は戸惑う様子を見せ、だけど最後にはその手を伸ばす。海の水面が反射した、眩しい光が彼らを照らしていた。