覚めて、秘めて① 的に向かって銃を構えながら、妙に絡む視線を四季は感じていた。頭のてっぺんから爪先に至るまで、一挙手一投足を逃がさず捕らえるような強いそれ。
複数人での訓練だが、視線の主はわざわざ探さずとも分かっていた。三宙だ。つい先日、休戦してからというもの、戦技訓練場での訓練となると四季は三宙から射撃勝負を持ち掛けられていた。
これから負かそうと思う相手を観察するという点で考えれば道理だろう。ただそれだけではないものも含んだような重さがあるのは気のせいか。左なら大きく外すことはないだろうが、引き込まれそうな気配が色濃く漂っている。
提示された今日の勝負条件はやけに強気の設定で、動く的に対して交互に撃っていき中心に五発先に当てた方が勝ちというものだ。ただ今日は四季も三宙もお互いにかなり調子がよく、ここまでニ発、続けて外さずにきていた。逆に言えば、ここからが正念場だった。
乱れかけた流れを切るべく、四季は構え直した。軽く呼吸を整えてから息を止めると、狙いを定める。
そうして事も無げに、いつも通りの流れの動作で四季が引き金を引く。発砲音がして、動く的の真ん中の赤に狙ったとおり弾丸は命中していた。
隣からの視線は変わらず。その虚勢を散らすように四季は交代を顎で示して、優勢を上乗せした眼を三宙に向ける。それでも、隣からの視線は変わらず。時間が止まったように、三宙はじっとそこに突っ立っている。
「ほら。次、お前の番」
声を掛けても反応は希薄。三宙が持っていた走り書きのスコア表を四季がひったくると、そこでようやく自分の番が回ってきたと気づいたらしかった。赤紫が瞠目して、何かを企んでいるように……もとい、きまりが悪そうに遠くの的を見遣る。
「対策練ったんで、負ける気しねーっす」
「はっ。怪しいもんだな」
スコア表に視線を落としてみれば、四季の三発目の欄は空欄のままだった。仕方がないので自分でマルをひとつ書き足す。不正だとか三宙が文句を言おうものなら、ボンヤリしている方が悪いと一蹴してやればいい。
それにしても本当に負ける気がしないのか怪しいもので、的を前にした構えからも集中が分散しているのが見て取れた。これは四季にも勝つか負けるか以前の態度に思えた。
「三宙、勝つ気あんのか? 言い出したのお前だろ」
「……っ! ありますって!」
改めて三宙が構えを正す。四季から一喝されて多少はマシになったように感じられたが、ここからの結果などやらなくても見えているようなものだった。そして案の定、精度の落ちた三宙の射撃は真ん中に命中するには遠く、的を少し掠めて虚空に呑まれていった。
「晩飯、なんでもいいっすよ。ほんと、なんでも」
結局、三宙のバツが三つ並んだまま、最後は四季が決めて今回の勝負がついた。勝者は晩飯を奢るという話だった。
「まあ、考えとく」
そう言ったものの、どうにも気分は乗らない。今となっては晩飯を三宙と共にすることが嫌なわけでもない。もちろん四季の勝ちは勝ちなのだが、こんなものでは勝った気がしないからだった。
それは三宙も察しているらしい。何より、先日の対甲型の侵食防衛でどちらがデッドマターを倒すかの賭けをした際に「四季サンに庇われたから刺せたトドメだったし」と言って賭けの勝ちを反故にしていたのは他でもない三宙だった。あれは別に、四季としても勝てる勝負をわざと譲ったわけではなかったのだが。
何も言わずに各々の訓練に戻っていく。四季も自分の訓練をしつつなんとなく三宙を横目に見ていれば、元々調子が良かったのは本当だったようで、連続して動く的のど真ん中をしっかりと撃ち抜くような場面もあった。
だったらどうして……、と訓練が終了し片付けをしながら考えが四季の頭を巡る。射撃勝負の勝敗自体は気にならないが、こんなことで襲来するミラーズに対抗しうる結合術にまで強化できると思うのか。三宙には果たすべき事があるはずで、休戦だってしたというのに。
昨日の訓練中に三宙と話したことが、不意によぎる。四季は人をダメにする才能があることを自覚した方がいいとか。あとは、もう騙されないとか何とかという話。
だとしても、さっきの射撃勝負の時のような上の空な態度は望んでいない。
片付けを終えて四季が顔を上げると、よく目立つ紫の癖毛は見当たらなかった。出入口に向かって歩いているのは朔と六花。他に一緒に訓練にあたっていた栄都の姿も既に見えないところから、三宙と連れ立って昼飯にでも行ったのだろうと推測できた。
心の内に、折り重なる層のようにわだかまりが溜まる一方だ。その理由が判然としないまま、四季はとりあえず昼飯を済ませに食堂へと向かうことにした。
食堂でメニューから適当に昼飯を選んで席を探す。入り口付近の席には知った顔もいないのでそのあたりに席を取った。
そうして食べ終えた頃になって、扉を開けて入ってきた人物に思わず目が留まる。一人で歩いてくる姿に、ささくれ立っていた四季の気分がいくらか凪いだ。
そのまま視線を逸らさずにいると、相手――三宙も気がついて控えめにひらりと手を振られた。昼飯はこれからなのか、注文をしに列に加わっていた。
少しして三宙が四季の着いているテーブルまでやってきた。表面が赤みがかったフライドポテトが盛られた容器を手している。確か新商品とメニューに書かれていたような気がした。
「お前。昼飯それだけかよ」
呆れと、無意識の疑念が問う言葉にこもる。
それに微かに三宙が怯んだようにするものだから、つい後が続いてしまう。
「栄都はいいのか?」
「栄都? なんで? つか、いいんすよ! そんなことは!」
まるで言い合いのようになりながらも、三宙は四季の向かい側の席を陣取った。それから一転して、声の調子が落ちる。
「……いや。なんか、今はあんまり昼飯って感じしなくて……。ってことで、四季サンちょっといります?」
「……なら、まあ」
腹具合を考えれば足りていたが、首を傾げながらおずおずと差し出されるそれを無碍にすることも何となく気が引ける。曖昧に同意をして一本だけつまむと、見た目どおりの辛味がした。
「あと、これもどーぞ」
口調と同様、テーブルの上を滑らせるように渡されたのは、白い紙に包まれた何か。視線で中身についての言及を促せば、三宙は赤みがかった塊に伸ばそうとしていた手を止めた。
「食堂のおばちゃんが焼いたビスケットらしいっすよ。オレがこれしか頼まなかったらオマケしてくれたんすけど」
「へー。良かったな」
「こういうの、四季サン好きそうかなって。だから、どーぞ」
言いながら三宙の視線は彷徨って、動きを止めたままの手元に結局は着地させていた。
「そりゃどうも。ありがたく貰っとくよ」
おおかた射撃勝負での酷い体たらくへの詫びというところだろう。正直これだけでは釣り合わないとは思いつつ、それでも突き返すほどの物でもなかった。包みを手に取ると四季はそれをポケットにしまい込んだ。
「もういいか?」
三宙からの返事はない。それを了承と取り、食器を下げてしまおうとして立ち上がる。するとなぜか三宙も続いて立ち上がった。
二、三歩進むと足に僅かな負荷がかかる。どうやら上着の裾を引っ張られているようだった。
「何だよ」
緩慢に振り返る。三宙は意を決したような顔をして四季を見ていた。
「やっぱり、ちょっといいっすか?」
重たい切り出しをして、そこで詰まる。食欲の無さと併せると、要するに悪い話をするつもりだろうか。だとすると多少は場所を選んで欲しいものだった。
四季が軽く溜め息をつくと、慌てたように三宙は話をし始めた。
「言わなかったら言わなかったで気になるんで。だったら言っちゃった方がいいかなーって……」
「そのわりに、随分ともったいぶるんだな。僕に直接言いづらいんなら鐵さんからでも話通してもらえば?」
わざと冷たい言い方をしているな、と他人ごとのように考えながらも四季は改めることをしなかった。だというのに、三宙の反応は想定していたどれとも違っていた。
「え? いやいや。ちげーし。なんかすっげー深刻な話だと思われてるみたいっすけど。うわ。これ逆に言いづれー。まあオレにとっては深刻なんすけども」
「は?」
なにやら勝手にごちゃごちゃ言い出されてしまえば、察しが悪くないはずの四季でさえ状況がよく呑み込めない。
「じゃなくって! オレもっと大事な用があって四季サンのこと探してたんすからね」
「さっきから何なんだよお前は」
先にさっさと訓練場から帰っていたのは誰なのか。急な話の触れ幅に、思わず声に棘が出る。それにも構わず、なぜか三宙はするりといっそう距離を詰めてきた。
「午後からの休み、ちょっと付き合ってくれません? 行き先は、ナイショで」
含みを持った耳打ちの申し出に瞬く。その間に、何事もなかったように、距離は普段のものへと戻っていた。
三宙が湛えている生意気な笑みは四季を試しているようにさえ見える。そして、三宙が騙されないと言ったのなら望むところだと四季も思う。心の内の層の深く、知らない場所が呼び覚まされるようだった。
「行かない」
またも冷めた口振りで言い放つが、これで三宙がまともに食い下がれなければ面白くもない。
「もう。そんなこと言わないでくださいって! オレ、待ってますからね。四季サンのことずっと」
くるりと回るように軽やかに踵を返して、とっくに冷めきっていそうなフライドポテトが置かれた席へと三宙は座り直した。
「ったく。僕との勝負に集中できないヤツが、わざわざ一緒にどこ行きたいんだ?」
「だから、それはまだナイショっすよ。てか何か言いました?」
顔を背けて後ろ頭を掻くように振り上げた腕の向こうに、むっとして膨らませた頬がうっすらと見える。こうなったら追及してもこれ以上言う気はないと分かる。
「まあ、いいけど」
けれど、行き先や理由を告げられなくても悪い気はしていない。
「で、時間は?」
「十五分後、正門のとこで」
合わせた目で了承を伝え、ようやく四季は食器を下げに返却口へと足を向けた。食堂に来たときとは違って足取りが軽いのは、上着の裾を引いていた手の主が四季の別のところを引いているからなのだろう。