恋しのぶ 今年から担当している生徒らがアインヘル小要塞に用意された階層を攻略していくのを、モニタールームでシュミット博士とともに見学していたときだった。
「よっ。リィン久しぶり」
モニタールームに突然入ってきた銀髪に目を見開く。まるで行きつけの喫茶店に立ち寄るような気軽さで現れたクロウ・アームブラストと会うのは、実に半年振りだった。
「クロウ! 本当に久しぶりだな。半年振りだぞ」
「もうそんなになるか?」
リィンの隣りに並んだクロウは、リィンの眺めていた画面を見下ろし懐かしいなと目を細めている。その横顔が、見ていないうちにまた一段と逞しくなったように映る。
「これがリィンの新しい生徒か」
「ああ。ユウナたちに負けず劣らず、なかなか面白い取り合わせだ」
それからしばらく生徒たちが攻略していくさまを眺めていたクロウは、昼飯食ってくるからと食堂へ行ってしまった。
◇
小要塞での実戦テストを終えた生徒たちにそれぞれアドバイスをして、クロウより半刻遅れで食堂へ向かう。すでに食後のお茶を飲んでいるところだった彼の向かいに腰を下ろした。
「それで、今回はどうしてこっちに?」
「あー、そろそろ夏至祭があるからな」
頼まれごとかと問えば曖昧な返事が返ってくる。またどこからか何かを請け負っているらしい。クロウはリィンをお人好しだと揶揄するが、彼も彼で面倒見の良さならなかなか負けていないなと頬を緩めた。
「ところでリィンは今年も姫さんのエスコートか?」
この話は終わりだとわざとらしく話題を変えてきたクロウに乗っかってやる。
「いや、今年はもう別の候補の方がいらっしゃると伺っている」
夏至祭に合わせて開催される園遊会には、皇太女殿下のエスコート役ではなく、担当クラスの生徒たちとともに警備として参加する予定になっていた。アルフィン殿下によればもうすでに相手役には話を通しているらしいが、詳細まで聞いていない。
「そうだ、放課後までいるなら渡したいものがあるんだが」
「ん? 暇っちゃー暇だな。今回はお前の顔見に来ただけだから」
「はは。冗談はそれくらいにしてくれ。少し前に家族旅行でカルバード共和国へ行った時の土産があるんだ。もらってほしい」
「んな、俺にまで用意しないでも」
呆れたように肩を落としているが、満更ではない様子にほっと胸を撫で下ろす。卒業していった生徒たちと同僚、それから仲間たちへの土産に紛れてリィンが特別に選んだものだ。クロウへの特別が薄れるように、誰には何を買ったのか事細かにあげていく。
「ったく物好きなやつめ」
「まあ、そう言わず受け取ってくれると嬉しい」
そう言って放課後に宿舎前で落ち合おうと食堂で別れたリィンは、放課後はやばやと仕事を片付けて待ち合わせ場所の宿舎へ向かった。
「んで、土産って?」
宿舎内にあるリィンの自室へクロウ招き入れ、家族写真の前に置いてある小袋から組紐を取り出した。渋い色合いの、灰色と青の紐で編まれたそれは、きっとクロウの銀髪に映えるに違いないと露店でついつい手に取ってしまったものだった。二色のなかに一本だけ赤が混じっているのもリィンの目を引いた。
それにしてもこうして再会するまで、彼が長く伸びた襟足をばっさり切ってしまっていたらどうしようかと気を揉んだものだが、その心配が杞憂に終わってよかった。クロウには言えないが、気軽に撫で梳くような間柄であったらよかったのにと歯がみするほど長く艶やかなそれを気に入っていた。
「共和国の龍來で見つけたんだがな。クロウに似合うと思って」
編み方に東方の気配を感じさせる組紐を差し出す。受け取った彼は物珍しそうに眺めてからその場で生え際を括るように髪を結んでくれた。束ねられた銀髪に添えられた灰と青の組紐がとてもよく似合っている。彼の旅路についていけない代わりにリィンの分身が組紐となって彼のお供をしている気分が味わえそうだ。
「どうだ、似合うか」
「ああ。似合う。その、よかったら使ってくれると嬉しい」
邪な考えが伝わらないよう、視線を外し組紐に向かって話しかける。改めて見ても彼の髪はずいぶん伸びた。襟足以外は定期的に散髪しているのか整えられているので、ここだけわざと伸ばしているのだろう。クロウならば煩わしいからとさっさと断髪してしまいそうなものだが、何か伸ばす理由でもあるのだろうか。
「それで、これで用事が済んだんなら一緒に夕食どうだ? いつものバーニーズでもいいし、お前の導力バイクで帝都まで出るか。どっちでもいいぞ」
思考の海に潜っていたところをクロウに話しかけられて瞬く。クロウが髪を伸ばす理由なんていくら考えても思いつくはずもない。意外と好意を持っている相手に褒められたからかもしれないし、それなら墓穴を掘るのは間違いなくリィンだ。
「そうだな……、たまには帝都まで出るのもいいかもしれない。でも導力バイクなら帰りの運転は俺に任せてクロウだけ飲むつもりか?」
「おいおい。どうせ明日はお前、自由行動日だろ。宿酒場の上に部屋とってふたりで飲みまくろうぜ。明日になって酒が抜けたら帰ってくりゃいい」
適当だな、と笑うとお前が細かすぎるだけだと言い返されたので、クロウが適当すぎるんだとさらに切り返した。
「なあ、リィン。ずっと気になってたんだが、得物。変えたか」
それまでの空気が瞬く間に鳴りを潜め、二人のあいだに静寂が落ちる。
「――ああ。その、色々あってな。太刀を新しくしたんだ」
内心いつ聞かれるのかとひやひやしていたので、食事前に話してしまえるなら気が楽だ。なるべくクロウが重く受け止めないよう、なんでもない風を装う。
「へえ。あたらしく、ねえ。前のはどうしたんだ。手に馴染んでたろ、あれ。てっきり部屋のなかに置いてあるのかと思ったらねえし」
さすがクロウ、目敏い。痛いところを突かれてしまい、室内のあちらこちらへ視線を投げる彼にどう説明したものか思案する。しかし、下手に隠せば面倒なことになりかねない。結局、家族旅行で訪れたカルバード共和国にある温泉郷、龍來での事のあらましを洗いざらいぶちまけることとなった。
リィンの前に突如現れた敵が双刃剣の使い手で、しかも二刀流だったと伝えたときはクロウの眉がぴくりと震え、太刀が折られてしまったと、己が未熟だった所為なのだと伝えると彼はいよいよ片手で目元を覆い、深いため息をついてしまった。
「ええと、クロウ?」
「言ってやりたいことが山ほどありすぎて、何から言ったらいいのか分からねえ」
ほとほと困り果てた声色にリィンはなんと声をかけたらいいのか分からなくなってしまった。呼べよやら、俺がついていっていればなど漏らしていたが、あくまでリィンの都合で訪れたのだからクロウを巻き込むつもりは毛頭なかった。そもそも敵が現れたのも想定外だった。それに太刀が折られたのは、自身の力量不足でもあるし、相手が格上だったからだ。むしろ、折られてしまった太刀に申し訳なささえある。相手に有利であっただろう宵闇であったことや慣れない立地であったことを加味しても、まだまだ未熟なのだといやでも自覚させられた。剣聖の名に恥じぬよう、さらなる鍛錬が必要だ。
「確かにあの太刀には俺も思い入れがあったから、折れてしまったのは寂しい」
無意識に真新しい太刀の柄を握る。長年握り続けて手に馴染んだあの感触ではない。
あの太刀は、老師から授かり、トールズ士官学院に入学したときも、クロウを取り戻すために彼と戦ったときも、黄昏を乗り越えたときも、いつもリィンとともにあった。役目を終えたヴァリマールは去り、クロウもまた旅に出てしまった今、唯一長年の相棒と呼べるものだった。
「――なおんねえのか」
クロウの問いに首を振って答える。今さら目が熱くなってしまい、ぐ、と目元に力を込めて溢れないよう努めた。
「一度折れてしまった刀は復元できない。たとえ打ち直したとしても脆くて武器には向かないんだ。いっそ溶かして金属を再利用するくらいかな」
「そっか」
つらかったな。抱き寄せ、リィンの頭を肩に乗せたクロウがぽつりとこぼす。背を優しく叩く手が、泣いてもいいんだと促してくれているようだ。
新しい太刀は仲間が手配してくれたおかげで随分前から手元にあったが、やはりまだ手に馴染んだとは言い難かった。握った柄の感触、振るったときの重さ。異なる間合い。ひとつひとつを身体に染み込ませていかなければならない。真新しいそれを振るうと同時に愛刀だったそれを忘れていくようで、胸に痛みを覚えたのは一度や二度ではない。
「あれを金属の塊にしてしまうのは忍びなかったから、二本の守り刀に仕立て直してもらったんだ。よかったら受け取ってくれないか」
「貰うの、俺なんかでいいのかよ」
「クロウが、いいんだ。あれを持つならクロウがいい。折れてしまったあの太刀とクロウがいたから今の俺があると思うから。折れた刀で守り刀なんておかしいとは思うんだが」
「貰う」
背中に回った彼の腕が殊更強くなる。
守り刀に願ったのは、クロウの旅の無事を祈ったのと、もう一つある。元は一本の刀だものだ。もしかしたら、彼をリィンのところに引き寄せてくれるかもしれないなんて浅ましい欲も含まれていた。
「ありがとう」
瞬きでこぼれ落ちた熱い雫はクロウのコートに吸い込まれていく。クロウは何も言わない。無言の許しにますます涙が溢れた。
「無理に話させて悪かったな」
「いや、俺もすっきりしたよ。こちらこそありがとう。でも、誰にも言わないでくれると助かる」
秘密か、と声を潜めて囁くのでリィンは内緒話をするように秘密だと目を細めた。
「念のためにもう一度確認させてくれ。連中と遭遇したのは龍來で、《斑鳩》、《黒神一刀流》の使い手って名乗ってたんだな」
「ああ。東方のものなのか珍しい装束だった」
「ふーん」
クロウの抱擁から抜け出すタイミングを逸してしまったリィンは肩口でなにやら思案している様子のクロウにされるがまま、じっとしているしかなかった。
「ところで俺の信条覚えてるか。楽しみだなあリィン」
ようやく抱擁から解放されたものの、リィンの肩を掴んだ彼ににっこり微笑まれる。
不思議だ。ウインクしているだけなのに、彼の笑顔で背筋が寒くなる。きっと自分以上かもしれない双刃剣の使い手に闘志を燃やしているのだろう。彼から漏れ出る怒りのオーラにたじろいだリィンは本能的にここは頷いておいたほうがいいと察知し、同意を示した。
「さてと。これから忙しくなりそうだから、今日はゆっくり飲みまくるぞ」
「そうなのか。クロウと飲むのは結構好きだから、こうしてたまには顔を見せてくれると嬉しい」
「気が向いたらな」
一瞬身を固くした彼がリィンの頭をぽんぽん叩く。優しい声に頬が緩むのを止められなかった。
結局、時間も時間だからとリーヴスにある宿酒場バーニーズで酒を飲むことにしたふたりは、酒を飲み交わしながら近況報告しあった。クロウといることで気が緩んだのか、したたかに酔ってしまったリィンは彼に連れられてどうにかこうにか自室のベッドに身を投げ出した。
「なあリィン。俺は俺の大切なもんが傷つけられんのが嫌いなんだわ。やられたらやり返す。まあでも、お前は自分でやり返したいだろうしな」
どうすっかな、と楽しげな声が遠くに聞こえる。眠くてもう瞼を開けることも叶わない。髪を撫でる手が与えてくれる心地よさに身を任せ、リィンはそのまま眠りに落ちた。
◇
それから暫くして。偶然クロウとともに訪れた共和国で彼らとの再戦を果たしたリィンが、無事折られた太刀の仇を打つことができたのはまた別の話だ。
了