公私混同御法度注意報「ご奉仕してあげよう、あんずちゃん……♪」
眉目秀麗なメイドにそんなふうに言われて、嬉しくならないはずはない。あんずはそう思っていた。
だからキラキラと輝く淡い金色の髪をリボンでひとつくくりにしている英智に、『潮干狩り』に参加した時に作ったメイド服を着てほしいと頼んでみたのだ。
中性的な顔立ちの英智のこと、絶対かわいいメイドさんになると見込んでのことだった。
しかし実際この目で見てみると、どうも――違和感がある。
台詞が俗っぽいせいなのか、それとも英智が生来もつ高貴さがそうさせるのか――とにかく、似合っていないのだ。
「うわぁ」
あんずは英智に失礼だとは思いつつ、若干どころかドン引きして苦笑した。相手が英智だろうと容赦なく、発案者が自分だろうと慢心せず、素直な反応を見せるのがあんずという女の子だった。
そんなあんずの様子に呆れたのか、英智はやれやれと首を横に振っている。英智の結んだ髪が肩の高さでさらさらと揺れるから、あんずはそこから目が離せなくなった。
「なんだい、そのつれないリアクションは。リクエストしたのは君だろう? 君が見たいっていうから着てみたというのに」
そう言いながら、英智は物珍しいものでも見るように、白いエプロンのフリルを指でつまんで持ち上げている。
あんずは英智のメイド衣装姿を下から上になめまわすように見ると、しばらく黙って思案した。
ふりふりの衣装はかわいい。それはあんずの見込んだ通りだった。
だけど、仕草がどうにも優雅だし、男の人だから体格がやっぱりしっかりしている。あんずお手製のメイド衣装とはいえ、それだけでは変わることのできない部分がある。たとえばちょっとサムい発言とか――と、そんなふうに感じてしまったのだ。
まるで物語のお姫様が、王子様のいる城に潜入するため変装してみたはいいものの、美しすぎて同僚たちから反感を買い城から追い出されてしまうようなーーそんなたとえばの物語を夢想してしまうほど、ちぐはぐさと危うさがあった。
英智がメイド服姿を見せてくれたのは、あんずも同じ衣装を着ることと、手作りクッキーを持参することを交換条件にしたからだ。
それを承諾したあんずもまた同じくメイド衣装に身を包んでいる。
英智の仕草を見て、あんずはもしかしたら、自分の方がまだ似合っているかもしれないとすら思った。
とはいえ、どうして英智が乗り気なのか疑問だった。こうした趣味に目覚めたとか? などと深読みしたが、もちろんそんなはずはなく。
むしろ実際に目覚めていたのはあんずの方だった。
客観的に見ればお互いメイドの姿をしているのだけれど、視線をさまよわせ、もじもじしながら返事をした。
「すみません、なんか、急にイケナイコトしてる気持ちになってしまって」
「イケナイコト、って?」
あんずは言い淀むが、英智の興味津々だと輝く碧色の瞳に観念して白状した。
「いわゆるコスプレ、です」
すると英智は、ああ……、とつぶやいて、得心がいったというように頷いた。
「なるほど。コスプレ、ね。コスチュームプレイの略称らしいけれど……つまりあんずちゃん夜の営みにおける特殊な性癖を自覚して背徳的な気分になったと」
「そこまで思ってません…!」
嘘である。本当は少し想像して興奮しかけていた。
「ふふ。わかってるよ。ごめんね、狼狽えてるあんずちゃんを見るのが久しぶりで、あまりにかわいかったから、揶揄ってみたくなったんだよ」
後ろめたい気持ちがあるあんずは、話の流れを戻そうと必死になる。
「メイド服を着ていてもやっぱり英智さんは英智さんですし、そんな英智さんに奉仕されるのはやっぱり慣れないので……」
呆れたように英智はため息をついた。英智に言葉で勝つにはあんずにはまだ早かったようだ。
「どうやら僕の恋人は根っからの『プロデューサー』気質みたいだ。僕に甘えることを未だに覚えてくれないだなんて。しかもメイドによる奉仕は『甘える』なんて事柄ではなく、それ以前の生活の話だ。日常を送るために必要なことをしているだけなのに」
「うぅ」
「なんて、庶民の出の君には難しい生活だよね。自分のことは自分でできる、そんな自立してるあんずちゃんの方が僕は好きだけど……でも、あんずちゃんもメイド服を着ているから、どちらかというとこれは職場恋愛になるね。ふふっ、メイド長と新人メイドというのはどうかな」
「はい?」
急に妄想を膨らませて設定を広げて笑いだす英智を訝しんで、あんずは英智の顔を覗き込んだ。
「職場恋愛というと、普段の僕たちと変わらない関係性に見えてくるから、おかしくて、つい」
「はぁ……」
「そうだ、今日はこのまま事務所に出向いてもいいね」
「やめてください」
「冗談だよ。お詫びにクッキーを食べさせてあげよう。はい、あんずちゃん。あーんして、あーん」
それってどういう理屈ですか、という疑問を口にする前にあんずの唇に差し出されたチョコチップクッキーが接近した。おとなしく口を開けて待つ。懲りないなこの人も、と思う。
それにしても綺麗だな、と、あんずは英智の髪に見とれていた。だから英智が顔を寄せて近づいてきていることに気づかなかった。気づいた時はすでに遅く、サクッとした軽やかな音が耳に届いて、事態をようやく察した。
「!?」
あんずではなく、英智があんずのくわえたクッキーをかじっていた。
「ひゃにするんですか!」
半分になってしまったクッキーを口の中で転がしながら、あんずは反論する。英智がクッキーをかじった瞬間、唇を掠めた気がしてドキドキした。驚いたのもそうだけれど、当然、胸の高鳴りもある。
「あんずちゃんもメイド服を着ているからね。ご奉仕してもらおうと思って」
一瞬ムッとしたあんずだったが、しかし英智がそういうつもりなら、と気合いを入れ直した。
奉仕精神の塊のようなあんずだが、しかし英智の表現する『ご奉仕』はつまり性的接触のことを指すのだろうことは理解していた。だから表情は緊張してやや固い。
「ご奉仕いたします、英智さま」
あんずは鈴を転がしたような軽やかな声でお皿の上からクッキーを取り、その端を唇で軽くはさみながら英智に顔を近づけた。その顔はきっと茹蛸のように真っ赤だろう。けれどあんずはさらなる勇気を出そうと奮起する。身を乗り出して英智の肩に手を添えるまでしたのだ。
(誘ってるみたいで恥ずかしい!)
あんずの突然の行動に英智は面食らっていたようだが、でも悪い気はしないらしく、クッキーごとあんずの唇を喰むようにした。
驚いてわななく下唇を甘く噛んだり舌でつついたりされて、こうやっていると自分が食べられているみたいだとあんずはヘンな気持ちになる。果たして食べられてしまうのは奉仕なのか? などと、次第に思考がまばらになっていく。
不意に離れた唇を少し名残惜しいとあんずは思った。英智も同じように感じているのか、熱っぽい吐息とともにあんずに問いかけた。
「はぁ……ん、美味しかった。ねぇ、君はどうだった?」
「ぅ……」
溶けた飴玉みたいな甘い声で感想を言われたら恥ずかしくてたまったものではない。間近で見える英智の唇も普段より色素が濃い。あんずだって軽く触れただけの唇が熱くて油断すると全身の力が抜けてしまいそうだった。
ああ、金髪碧眼のメイドさんより、やっぱり王子様のほうが似合うよな、当たり前だけど、と、そんなふうに思った。
結んだ毛先が視界に入るとあんずはあることを思い出した。
あんずは英智にことあるごとに髪を触れたがる。とくにあんずの髪を梳かすのがお気に入りらしい。
それはいったいどんな気分なのだろうか。
「あの……髪を梳かしましょうか。英智さんにはいつもやってもらっているので、今回はわたしがご奉仕いたします」
いつもより饒舌で積極的なあんずが、心のうちで赤い顔を見られずに済むと考えていることを、英智は気づいているのかもしれないけれど。
「ありがとう、嬉しいよ」
それでもやられっぱなしでいるよりずっといい。奉仕されるよりするほうが性に合っているし、とあんずは自分で自分に言い訳をする。
結局あんずはまだ、英智に奉仕してもらうことに――甘えることに抵抗があった。メイド服を着てもらうというリクエストをしたはいいものの、シチュエーションをうまく使えずに苦心していたけれど、出された交換条件が功を奏している。
そう考えると英智の手のひらの上で踊らされているような気がして悔しい。だからどうにか一矢報えないかと策を巡らせるのだが、でもこのままでも構わないと思う自分もいて、絆されているなと感じるあんずなのだった。