ホラー映画のようなか細い音をさせて執務室の扉が開く。
中から音もなく中から出てきたドクターは、ゆっくりのっそりとその一歩を踏み出した。
密閉性と防衛のためにその数は少ないながらも通路に備えられた窓から差し込む日差しが、徹夜明けのドクターの視界を焼く。
加えてトイレと水分補給以外ほぼ椅子に座りっぱなしであった身体は限界が近くはあったが、それでもどうにか亀の歩み程度の歩行はできた。
気を抜けば小鹿ちゃんのような歩行になりそうな足取りで、ドクターはどうにか作り出した休息のために自室へと向かう。
先に軽く腹に何か入れて、いやまて食べてすぐ横になるのは良くない。
先にシャワーで身を・・・・・・だったらもう寝て起きてさっぱりしてからなにか食べよう。
いつもならばすぐに下せる判断もゆるゆると揺らいでいた。
トボトボと今にも倒れてしまいそうな歩みを続けていたドクターは、ふと耳に届いた騒がしさに顔を上げる。
徹夜明けには非常につらい騒ぎ声。
いったいなんだ何事だ、とふらふらとした足取りのまま聞こえてきた喧騒の方へと向かう。
「―――なんですよ!!」
「こういう状況でしか貴方ここに来ないじゃないですか!」
「……」
「もぉおおおお!すぅううぐだんまりになる!!」
喧騒というよりも発狂。
そんな声が聞こえてきてドクターは一度入口で自分がたどり着いた場所を確認する。
『医療部』。
場所が場所だというのに聞こえてきた発狂に「どうしたの?」と、ヨレヨレと近くにいた医療スタッフに声をかけた。
「え……えっ?!ドクター?!」
「うん……まってごめん、徹夜明けで、だからちょっと、声おさえて……」
「また徹夜したんですか!!」
「響くひびくぅ・……」
「どうして此処のみんなは医療部泣かせなんですか……もぉ……」
「ごめんごめん。それでなに?なんの騒ぎ?」
ちらりとフェイスガード越しに騒がしい室内へと視線を流せば、医療用のベッドの上に珍しい姿を見つける。
夜明けが近づく夜空のような深い藍色の髪。
その間から伸びる角と、刃のような鋭さと高熱の炎を宿したような双眸のサルカズ。
頬と、いつもの普段着の替わりに上半身に巻かれた痛々しい包帯姿にドクターの眉が顰められた。
「―――で、怪我をされまして。そのついでとは言い方が悪いですが、普段できない鉱石病の検査と抑制剤を服用してもらえたら、と」
「……」
「・・・・・・その、ドクター?」
まさかここまで他者と会話が成り立っていないなど思ってもいなかった。
いつも自分に対する饒舌なまでの皮肉やら揶揄やらはどうした、とは頭の片隅で思ったがそれよりも巻かれた包帯の多さと、そして左半身の体表に露出した鉱石に目がいく。
治療に非協力的だと、医療部からの報告にはあった。
入職以降まともな検査を受けていないとも。
フェイスガードの下、溜息を飲み込んで包帯に巻かれたサルカズと医療部のやりとりを一瞥する。
なんだかんだと頭の良い男だ。
このまま無言を突き通し、医療部が諦めるのを待っているのだろう。
頭は回るのに、誰よりも血に塗れるような死闘を望むのだから手に負えない。
目を閉じすべてを遮断するような在り様の男の姿に、ドクターは静かに動き出した。
医療用ベッドの横。
サイドチェストの上に置かれた鉱石病抑制の錠剤。
フェイスガードをずらし、覆い隠していた素顔を晒す。
声を荒げていた医療部のスタッフも、ようやくドクターがこの場にいることに気づいたのだろう。
だが、それよりも先にドクターはサイドチェストの上の錠剤を己の口に放り込み、錠剤の傍に置かれていたペットボトルの水も同様に口に含んだ。
いつの間にか押し開かれていた瞼から炎を宿したような双眸がドクターを射貫く。
どうせこの部屋に足を踏み入れたときから気づいていただろうに。
この男がロドスに来てからそれなりの月日がたった。
多くはないが皮肉や揶揄の応酬がそれなりに楽しいと思う位には、周囲には危険だと注意を促されているこの男が気に入っている。
その戦闘スタイル、生き様もまた・・・・・・この男らしいと感嘆を覚えるくらいには。
こんな場所に何をしにきた、と鋭い双眸がドクターを見据える。
向けられた視線ににっこりと、今の自分が出来うる限りの慈愛を込めた笑みを向けて深い藍色の髪へと手を伸ばした。
「……ッ!!」
後頭部の髪を掴み強く引く。
仰け反り、上向くその唇をもう片手でこじ開けて己の唇を押し当てた。
どこかで高い声の悲鳴が聞こえた気がしたが、いまはそんなこと気にしていられない。
抵抗される前に、口に含んだ水と共にエンカクの口内に流し込み、忍び込ませた舌先で錠剤を喉の奥へと送り込んだ。
コクリと動く喉の動きを視界に収めて、ドクターは合わせていた唇を離す。
苛立ちを込めた双眸に笑みを返し、精悍なその頬を指の背で優しくなぞる。
「ちゃんと飲めたな。いい子だ」
「ゲホッ・・・・・・くそッ」
「私の『武器』ならば研ぐことも必要だろう」
「っ、おまえ・・・・・・ッ」」
「君の満足する死合とやらがいつ訪れるかは知らないが、そう簡単に折れてもらっては困るんだよ」
だからちゃんと検査を受けること。
出された薬を可能な限り服薬すること。
「私の『武器』であるならば、ちゃんといい子で守りなさい」
エンカクの濡れた唇を指で拭い、ドクターは曝した顔を再びフェイスガードの内へと覆い隠す。
掴んでいた髪を優しく撫でながら揺らぐように距離を取れば、包帯が巻かれた腕がドクターがいたところに伸びてきた。
だが相手は身動きとれないベッドの上。
今のエンカクの行動パターンならば容易く先を読むことが出来た。
故に捕らえようと伸びてきた腕などドクターでも避けることが出来る。
「それじゃあお大事に、エンカク」
ヒラヒラと手を振って医療部を出て行く。
背後から聞こえてきた舌打ちに小さく笑みを漏らして、通路に戻ったドクターは……そのまま意識を手放した。
音もなく焦りを滲ませて走り寄ってきた護衛の気配を感じながら。