【叔父甥&曦澄】閉関したい「もーやだ! 閉関してやる!」
頭を掻きむしりながら喚き出した金凌に、なんてことをと金氏の側近たちは目を見合わせた。
「い、いけません、宗主。まだ裁決いただかねばならぬことが山とございます」
「私だって疲れる! 疲れるんだ!」
見ろ、こんなに。
金凌は積み重なった書簡を指さした。
「私だって良き宗主として勤め、励みたいと思っているさ。腐敗していた金氏を立て直し、規律正しくやっていきたいと思ってる。でも、だよ?!」
こんなの、陳情とは名ばかりの不平不満の愚痴だらけじゃないか。
やれ、どこそこの連中がズルをしているだの、あいつらの商品は高くて気に入らない、値下げさせろだの。
証拠もろくにない悪意の吹聴ばかり、醜い足の引っ張り合いばかりだ。金凌はうんざりしていた。
「もう、こいつら全員取り潰しにしたい……」
「いけません、宗主」
お気持ちは大変よくわかりますが、そんなことをしては反感が高まります。
主管が渋面を浮かべながらも嗜める。だが、金凌はもううんざりだと筆を放り出してしまった。
「いったんご休息になさいませ。香りの良いお茶を淹れてまいりましょう」
未だ年若い宗主を労りつつ、金氏の主管はこっそり部下に指示を送った。江宗主をお呼びせよ、と。
***
「阿凌! 閉関したいとは何事か?!」
「外叔父上?」
知らせを聞いた江宗主、江澄は伝送符を用いてすっ飛んできた。そして、お決まりのお説教が始まらんとしたのだが。
金凌ももう限界に来ていたのだった。
「なんで? なんで私は駄目なの? 外叔父上だって騒動の後、閉関したことあったじゃん! 沢蕪君だって閉関してたじゃん!」
ふたりとも、修真界が大変なときに閉関してたじゃないか! 食って掛かる金凌に、江澄は咄嗟に返す言葉を失った。
痛いところを突かれた。
確かに金凌の言う通り、自分たちは閉関したことがある。しかも修真界を揺るがす大事件の後、まだ事後処理も大変なときにだ。
だが、閉関が必要になるような心の動揺があった。己の心と向き合い、気持ちに区切りをつけるために必要な修行でもあったのだ。
断じて現実逃避ではない。
まあ、少しくらいは煩わしいことから解放されたいという気持ちがあったことは否めないが。
今はそれを認めるわけにはいかない。
「……」
さて、どうしたものか。
だが、今は金凌を閉関させるわけにはいかない。江澄は内心動揺しつつも口を開いた。
「確かに俺も曦臣も閉関したことがある。だがな、江氏も藍氏も、宗主が閉関してもそれなりに回る体制ではあったのだ。今の金氏は残念ながらそうではない。一枚岩ではないのだ。お前が閉関すれば、これ幸いと良からぬことを企む輩が出てくるぞ。お前が目を光らせていないでどうする」
「そうだけど! でも!」
だってもう、くだらなすぎてうんざりなんだよ、そういう奴らの陳情に目を通すの!
金凌は癇癪を起こした。久しぶりの癇癪だった。
金凌は金凌なりに、至らぬ若輩と自覚しながらも責任感を持って宗主を務めていたのである。だが、そんな金凌の健気な覚悟を汲み取らないくだらない悪口吹聴のような陳情があまりに多く、ぷつんと切れてしまったのだった。
「……そうか」
江澄は思わず甥っ子の頭をよしよしと撫でてやった。
撫でてやりながら、山と積まれた書簡をちらと見る。
それまで脇に控えていた主管が無言ですっと歩み寄り、その中から他家の江澄に見せても支障のない、だが、恥ずかしくはあるくだらない陳情をいくつか選んで開いてみせた。
主管の意を汲んだ江澄はそれらにさっと目を通す。案の定、眉間に皺が寄った。
「……なんだこれは。馬鹿馬鹿しい」
阿呆か、こいつらは。江澄は舌打ちした。
こんなものがずっと続いているという。それは確かに気が滅入るなと江澄は金凌に同情したのだった。
「……こいつら、私が若輩者だから舐めてるんだ。外叔父上にだったらこんなくだらない陳情、上げられないでしょ。怖いもん」
でも、私のことは怖くないから、平気でこんなことしてくるんだよ。私も怖くなりたい。
随分な言われようだなと思ったが、まあ、一理ある。江澄はため息をついた。
「俺のように振る舞ったとて、上手くはやれんぞ。金氏と江氏は違う」
「わかってるけど……」
もううんざり! 一時だけでも投げ出したいと嘆く金凌に、仙子が心配そうに鼻を鳴らして寄り添う。その毛並みに顔を埋めて、金凌はしばらく起き上がろうとしなかった。
「重症だな」
「そうなのです」
同情の余地は多分にあり、しかし閉関はさせられないと、江澄と金氏の主管が顔を見合わせていると、では、息抜きに出かけましょうと朗らかな声が聞こえた。
「曦臣。貴方も来たのか」
「だって貴方が血相を変えて飛び出していくから。大変なことになっているんじゃないかと思って、私も気が気じゃなかったんだ」
身の危険でもあったのかと心配したけれど、そうではないようで安心したよと微笑む藍曦臣は、一泊二日の慰安旅行を提案してきた。
「根を詰めすぎても良いことはありません。幸い急務はないのでしょう? それなら気分転換と慰労をしてすっきり切り替えたほうがお仕事もはかどるというものです。温泉にでも行きませんか?」
「行く!」
金凌が食い気味に飛びついた。行く、絶対行く! の意気込みを見せる金凌に、主管は仕方ありませんねとため息を付いた。
「承知しました。では、支度を整えてまいります。それまでしばしお待ち下さい」
「すまない。ありがとう」
「いえ、お疲れなのは私どももわかっていたのです。気が利かず、申し訳ございません」
「私が戻ってきたらお前も行くといいよ。そうだ、外叔父上も一緒に行くよね?」
「は? 俺もか?」
「私にひとりで行って来いっていうの?!」
酷くない?! 憤慨する金凌に、わかったわかったと江澄がとりなす。
伝送符を使って飛び出してきたのもあり、今夜は泊まるつもりでいた。泊まる場所が変わるだけだ。問題ないだろう。
一応土産は弾もうと思っていると、私もご一緒いたしますねと藍曦臣がにこやかに微笑んだ。
「いいでしょう? 金宗主」
「もちろんです。ご提案いただいて仲間はずれにするなんてありえません。ぜひ」
「よかった。ゆっくりしましょうね」
すっかり機嫌を直した金凌と、家族旅行のようで嬉しいですとにこにこする藍曦臣に、江澄は怒る気も失せ、まあ、金凌の閉関は阻止できたからいいかとため息をついたのだった。