泡沫のクリームソーダ「ごめん、ポップ! 待った?」
「いんや。さっき着いたとこだよ」
少女漫画の会話のようだ、と思いながら、遅れてやって来た待ち合わせ相手を迎える。はぁはぁと軽く息を弾ませているところをみると、どうやら学校からここまで走って来たらしい。相変わらず元気なやつだ。
「じゃ、行こうぜ」
ある程度息が整うのを待ち、そう言って手を差し出す。躊躇いもなく重ねられる、自分よりも華奢な少し小さな手。
「うん!」
自然と指と指が絡み合い、二人の距離が縮まる。おれと幼馴染で……彼女でもあるダイは馴染みの喫茶店へと足を向けた。
並んで歩きながら話すのは、お互い今日でようやく解放された期末テストの話。
「どうだったよ? ちゃんと解けたか?」
運動神経は抜群なのに頭の方は今一つな戦績のダイの為に、つきっきりで勉強を見てやったのはついこの間の日曜日。
「……えっとー……そのー」
「おいおい……」
「う……だってさー、考えてるうちに数字がごちゃごちゃしてきちゃうんだもん」
「今からちゃんとやっとかねえと、受験の時困るぜ?」
「いいよ! そしたらまたポップに教えてもらうし!」
「おまえなー……ったく」
口では文句を言いつつも、そうして頼ってくれるのが内心は嬉しく。ニヤけた口元を見られないように、信号が切り替わるのを待つフリをしてそっぽを向いた。
喫茶店の一番奥の席にいつものように二人して向かい合って座る。お気に入りの緑のクリームソーダを前に、ダイはにこにこと笑顔を浮かべていた。
小遣いはそう多い訳でもなく地味に痛い出費ではあるが、デート代を彼女に、しかも三つも年下のこいつに負担させるなど男のメンツに関わるので致し方ない。まあ、ご機嫌のこいつを見られたのだから、そんなものはチャラになるというものだ。
おれはコーラを飲みつつ、クラスの女子との会話をそっくりそのまま話すダイにうんうんと頷いてやる。
長い柄のスプーンでバニラアイスをつつきながら、上目遣いにおれへと話しかけるダイ。紺の襟に赤いスカーフを付けた、定番の白いセーラー服がよく似合っている。
「……なんだって。それでさ……あっ! そうだ……!」
何かを思い出したのか、ダイはそれまで忙しなく動かしていた口を閉じると、頬を染め、俯き加減にちらちらとこちらを伺う。
「ん? どした?」
「あのさ……なんかこの間の見られてたみたいで」
「この間?」
「うん。手、繋いでたの友達が見てて……」
「あー……」
おそらくこの間の日曜日、勉強の途中でコンビニに買い物に行った時のことだろう。
「……彼氏? って聞かれたから……言っちゃった」
「……そっか」
「……うん。ダメ?」
「おれは別にいいけどよ……嘘じゃねえし」
「へへ……そう、だね……うん」
耳まで真っ赤に染め、下を向いてはにかむダイ。おれの耳も同じように赤くなっているに違いない。
まあ、別に? やましいことしてる訳じゃねえし? 隠さなきゃいけないことでも、ねえし?
頬杖をついた手で緩んだ口元を隠しているけれど、今度は多分バレバレだろう。
更にご機嫌になったダイはクリームソーダを食べ終えると、律儀に「ご馳走様」と言って手を合わせる。そんなダイの唇の端に僅かに残った白いバニラアイス。
「口の端、ついてるぜ?」
「え?」
「ここ」
トントン、と自分の指で自分の唇を指して示してやる。
するとダイは紙ナプキンに手を伸ばしかけ、何故か途中で手を止め。
「……とってくれる?」
くい、と少し顎を上げて、おれを見つめるダイ。
「……!!」
ええと……それはつまり……そういう──!!!
チリリリン、とまるでアラームのように風鈴の音が鳴り、ぼんやりと目を開く。ミィーンミンミンと聴こえてくる蝉時雨。
夏休みの課題に取り組む途中で、どうやら少々寝てしまったらしい。テーブルに伏せるように寝ていたせいで、下に広げてあった書きかけのノートは手汗でふやけてしまっていた。
身体を起こすと、向かいには先程のおれと同様の姿勢で惰眠を貪る、幼馴染の少年がいて。
(夢か……)
少々火照った顔を、首振り扇風機の風が冷ましていく。
ダイの旋毛を見下ろしながら、おれは先程の夢を思い出した。心にあるのは「あとちょっとだったのに」と残念がる気持ちと、「終わって良かった」と安堵する気持ちで。
まっさらなノートに涎を垂らし、未だ気持ちよさそうに眠るこいつが、さっきの夢みたいに「女の子」だったら。
きっとそうなるのが当然のように付き合って、最初はお友達みたいな健全な男女交際をして、そのうち親に隠れてこっそり不健全な交際も時々して。そうやって、ただの幼馴染の関係から彼氏と彼女の関係に変わっていって。クラスの友達にちょっぴり羨ましがられたりして。
そんな風に、おれはちっとも悩むことなく幸せな青春を過ごしたんだろうに。
そこまで考えたところで、随分と広げすぎた想像を無理矢理終わらせた。これ以上は、後戻りが出来なくなりそうで。
こんなに仲が良くて気が合うやつが今までいなかったから、一時的にそんな気になってるだけだと、自分に言い聞かせる。
(そのうち、彼女も出来るかもしれねえし)
こいつよりも一緒に過ごしたいと思える相手が、そう簡単に現れるんだろうかと思う心には気づかぬふりをして。
氷がすっかり溶けてぬるくなった麦茶を口に含み、思考と共に喉に流し込んだ。
こいつがおれの幼馴染なのは事実だけど、女の子でおれの彼女だったのは幻。ちょっと勉強が苦手で、クリームソーダが好きなのは本当。だけど、唇の端っこにつけてるのは、バニラアイスなんかじゃなくて涎で。
こいつのことが大事なのも間違いなく本当。でも、こいつのことを特別に好きだと思う感情は果たして幻か、それとも……。
未だ醒めやらぬ夢の中、幼馴染の彼女はおれを見つめたまま何時までも微笑み続けている。