夏夜に咲いた花 常ならば辟易する人混みも、この日ばかりは気持ちを高揚させてくれるものになる。
「何食べよっか? あっ、焼きそばあるよ! あ、でもあっちにたこ焼きもあるね。迷うなぁ……」
並んで歩くダイの言葉に、ポップは口角を持ち上げた。そんな言葉を、三年前にも聞いたような気がしたからだ。
「オレは何でもいいから、おまえ好きなモン食えよ」
「そう? じゃあ焼きそばとー、たこ焼きとー、あとかき氷でしょ……あっ、ベビーカステラの匂いがする! ちょっと買ってくるな!!」
「はいよ。この辺で待ってるからなー!」
(相変わらずよく食うなぁ……)
甘い香りを周囲に漂わせている屋台へとまっしぐらに向かうダイ。その背を見送りながら、ポップは三年前の夏を思い出していた。
八月第一週目の土曜日。ポップとダイの育ったこの地域では、毎年この日に花火大会が開催される。
幼馴染で小さな頃から家族ぐるみでの付き合いもあった二人は、ほぼ毎年この日を共に過ごすのが慣例であった。
昔は二家族が一つのレジャーシートに座り花火を見上げていたのだが、ダイが中学に進学するのをきっかけに、子供達だけで出かける許可が下りて。それから二度は、二人だけで花火大会に出かけていた。
そして三度目の夏。ポップが十八歳、ダイが十五歳を迎えた夏のことだ。
来年都会にある大学への進学を予定しているポップにとっては、もしかするとこれが最後となるかもしれない地元の花火大会。
かき氷のストローを口に運びながらスターマインを眺めるダイ。その横顔をちらりと見やりながら、ポップは内心で溜息をついた。
(本当は……一緒に来るつもりなかったんだけどな)
ポップがそう思うのも当然だった。というのも、ポップはつい先月失恋したばかりだからだ。この、真横にぴったりとくっついて座る幼馴染に。
密かに恋心を抱いていたダイに呼び出され、ポップは少しだけ期待に胸を膨らませながら待ち合わせの喫茶店へ向かった。しかしポップが聞かされたのは、ダイが中学時代の知り合いの女子と付き合うことになったという話で。
「おまえさ、姫さんと来てやらなくて本当に良かったのか?」
『姫さん』とは、ダイの彼女『レオナ』のあだ名だ。彼女のことは、ポップもよく知っている。中学時代に、生徒会活動で一緒だったからだ。地元でも有名なその家柄と、ハキハキとした物言いから、彼女を『姫』というあだ名で呼ぶ者も多かった。
そんな彼女と付き合うことになったダイ。当然、花火大会はレオナと行くのだろうと、ポップは思っていたのに。
「なんで?」
当のダイは、ポップの言葉にきょとんとした表情を浮かべた。
「『なんで?』って……そりゃ付き合ってるんだから、こういうのは彼女と来るもんじゃねえのか?」
「そうなのか? でも毎年おまえと来てるしなぁ」
ポップの密かな恋心のことなど露知らず、ダイはあっけらかんと答える。
「……来年は、ちゃんと一緒に来てやれよ。おれは、地元にいねえだろうし」
「……うん」
ダイはそんなポップの言葉に、少し寂しそうな表情を浮かべると、ぱくりとまたかき氷を口にした。
来年の夏、きっと自分はこちらには戻らないだろうとポップは思った。今年の花火大会だって、ポップはダイと来るつもりなんてなかったのに。
ダイはそれまでと何も変わらぬように、ポップを誘った。ポップは一度は断ったのだ。けれど、ダイが「花火大会は、やっぱりおまえと一緒がいいから」と言うものだから。今年が最後だから、と自分に言い聞かせ、結局ポップはこうして今年もダイと花火を見上げている。
フィナーレを飾る定例の音楽に合わせ、大輪の菊の花が夜空に浮かぶ。いつもならば歓声を上げて楽しんでいる二人。その年は言葉少なに夜空を見上げていた。
「始まっちゃうとさ、結構あっという間に終わっちゃうよな」
静かに花火を見ていたダイが不意に呟く。
空には星やハートなど様々な型物花火がポンポンと打ち上げられ、その度に小さな歓声がちらほら上がる。
ダイの言葉通り、三年ぶりの花火大会も気づけばもう終盤で、間もなく見どころのフィナーレに差し掛かる頃合いであった。
「ん? ああ。そうだな」
ぼんやりと過去を思い出しながらではあったものの、それはポップも同じように感じていた。
失恋し、ダイと見るのもこれが最後だと思っていた三年前の花火大会。一昨年は地元に帰省することすらせずに。去年は帰省はしたものの、それは花火大会が終わってからのことで。その数日後、ダイと再会し、想いが通じ合って。
そして今年は三年ぶりに、ダイと花火を見ている。今は恋人の、ダイと。
遠距離恋愛ゆえ、毎日連絡を取り合うことは出来ても直接会うことが中々出来ない二人にとって、こうして二人きりで会うことのできる機会は貴重なものだ。ポップも密かにこの日を楽しみに待ちわびていたのだが、それはどうやらダイも同じらしく。
「おまえと見るのが久しぶりだからっていうのもあるんだろうけど」
花火から目線を外し、ポップを見つめるダイ。三年前よりも大人びた、少しだけ寂しさを覗かせたその笑顔に、ポップはドキリとする。
「もう今年も終わっちゃうな」
そう呟いたダイが視線を空へと戻すと、賑やかな型物花火が終わり、定例のフィナーレのBGMが流れ始めた。
ドオンドオンと連続して打ち上げられる、橙色の見事な花々。周囲の歓声とは裏腹に、二人は黙ったままだ。
また来年も当たり前のように一緒に見るのだと、そう思っていた幼い頃。
来年、自分達はまたここで同じように花火を見ているだろうか。ここで、こうして二人で、まだ見れるのだろうか。大きくなった今は、色々な可能性が頭をよぎる。それでも──。
ヒュルルルと甲高い笛の音が響く。その音が一瞬途切れた後、空を覆わんばかりの大輪の花火が咲き、大きな歓声が上がった。
「見れるといいな、来年も」
そんな言葉がポップの口をついて出た。来年の夏、自分達がどこで何をしているか確証なんてないけれど。
ポップの静かな声は、腹の底に響くほどの、けれど心地の良い迫力ある音に混ざり、けれどもかき消されずにダイの耳へと確かに届いた。
「……見ようよ、来年も」
レジャーシートの上についたポップの掌を、ダイの掌が上からきゅっと包み込む。
思わずポップは横を向き、煌々とした花火に照らされたダイの横顔を見つめた。
「おれさ、ちゃんと頑張るから。頑張って勉強して、そっちの大学行くから」
夜空いっぱいに咲く火の花を見つめるその瞳は、明るい光を映し輝いて見えた。
「だから見ようよ、来年も。地元じゃなくったって、いいからさ。一緒に見よう」
ドドドドドドンと響き渡る地鳴りのような音。割れんばかりの歓声と拍手が周囲から沸き起こった。
「……ダイ」
「……あーあ! 終わっちゃったね、花火!」
たちまちに火の粉が消えると、それまでの雰囲気を打ち消すように、ダイは殊更明るく言った。
大会の終了を告げるアナウンスが流れ、周囲の人々はざわめきと共に皆一斉に帰り支度を始める。
「おれたちも、帰ろっか」
「あ、ああ……」
ダイは屋台で購入したもの達の残骸をまとめ、立ち上がる。中身はすっかり二人の胃の中だ。
ポップもダイに倣い立ち上がると、敷いていたレジャーシートを畳んだ。
「ダイ」
帰路につこうとする人混みに向かって歩き出そうとしたダイを、ポップは引き留める。
「ん?」
「来年も……見ような。必ず」
そんなポップの言葉に、笑顔で応えるダイ。それはつい先程まで夜空に浮かんでいた、見る者を釘付けにするような大輪の花のように、ポップには思えた。
「ああ!」
「あと、忘れねえからな。『頑張って勉強する』って言葉」
「う……! わ、わかってるってば! 本当に頑張るよー……」
一転して困り顔になるダイの様子が可笑しくて、ポップも釣られて笑う。
「それとさ、帰る前にお前の部屋寄ってっていいか?」
「いいけど……?」
不思議そうなダイの耳元に口を寄せると、ポップは囁いた。
「すげえ……キスしたくなった」
「……っ!」
「ほら! 早く帰ろーぜ」
「あ! ま、待てってば」
帰路に就く二人の足取りがやけに軽いのは、来夏の約束が出来たからか、それとも──。