暴君様はなぜなぜ期!【暴君様はなぜなぜ期!】
悪魔というと粗暴で気性の荒い者がイメージされ易いのは想像に難くない。事実そういう輩は多い。だが、この人はどうだ。
一人、読み物に耽る姿が美しい。不健康な白い肌に艶やかな黒髪が垂れる。まるで絵画のようにも思える彼も、剣を振るえば剛健そのもの。惜しみなく暴を振りかざす猛々しさは実に悪魔らしく、戦闘の際はしばしばその姿に見惚れてしまう。──この人はオレが忠誠を誓った唯一のお方、暴君ヴァルバトーゼ様。誇り高き我が主。
こちらからの熱い眼差しに気付いていないらしい主が手元から視線を外すことはない。白手袋の指によってページがまためくられる。何に熱心に目を通しておられるのだろう。ふつと湧き上がる興味。
オレがこの人のシモベとなってから日はまだ浅い。きちんと「仲間」となれるよう、主のことを知っていかなければ。そんな気持ちでもう一度、彼の方を見やる。
何やら雑誌を読んでいるらしい。本を読んでいる様子は幾度か目にしてきたが、雑誌のようなライトな書物も読むのかと意外に思う。自然な動線で近寄りそっと手元を窺えば内容が思いもよらぬものでぎょっとする。反射的に声が出た。
「かかか閣下!? そういったものはどうぞお部屋で……オープンが過ぎます……!」
「ん?」
慌てふためくシモベの声に主は顔を上げる。彼の手元、開かれたページには女悪魔の写真。もはや紐と表現して差し支えないランジェリーを纏い、扇情的だ。そう、あろうことか暴君ヴァルバトーゼが手にしているのは成人向け雑誌であった。購入時に年齢確認をされる類の。「あなたは2000歳以上ですか?」の画面に「はい」をタッチしてまで買ったのか。暴君ヴァルバトーゼ様が? そんな地獄のような想像が脳内で際限なく広がりを見せていく。しかし、その妄想を止めたのは意外にも閣下自身だった。
「置きっぱなしになっていてな。女の写真ばかりだが……これはどういった趣向の本なんだ?」
彼が座っているすぐ隣のソファの座面をぽんぽんと手の甲で叩く。そうですよね! まさかヴァル様がエロ本など買うはずもない……ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、「モデルの写真集か?」などと首を傾げる姿に衝撃が走る。まさかこの暴君──エロ本を、知らない──?! 誰だ我が主の目につく場所に下品な雑誌をポイ捨てしたアホンダラは。
動揺するオレはなんとか冷静を取り繕うと、我が主に不釣り合いな雑誌をひょいと取り上げ背中に隠す。
「……こちらは私の方で処分しておきますのでご安心ください」
「何故隠す。それよりも、これが何なのか教えてくれと言っている」
「このように低俗な読み物は閣下には必要のないものです」
「俺の知る機会を奪うのか? 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ」
凛々しい表情でそう告げる閣下はゆらり立ち上がったと思えばすぐさまオレの背後をとる。しまった、そう思った時には雑誌は再び暴君の手に渡っていた。見事な手際に全く反応が出来ず、感服する。さすがは我が主。その一連の動きは機敏であるのに余裕があり、優雅ですらあった。そう、全ては手元の雑誌がエロ本でさえなければの話だが。
「ふむ……女の肢体は確かに芸術になり得るのやもしれんが……」
改めてパラパラとめくられるページに見え隠れする女たちのポージングは芸術とはかけ離れており、当然として性的な興奮を高めるためのものであった。難しそうな顔でそれに目を落としている主があまりにアンバランスで可笑しく……いや、可笑しくない。これは笑い事ではないのだ。
胃がキリキリと痛み出す。何とかしなくては、そう思う。最早閣下が内容を読み取ることそのものよりもこうしてラウンジでエロ本を凝視している図を雑用係のプリニーに目撃される方が具合が悪い。多少露骨な言い方でも構わない、とにかく閣下の「なに?」「なぜ?」をおさめてしまおうと決心し、重い口を開いた。
「……欲の発散のために使うんです」
「欲の発散?」
「……私に意地悪をしているのですか!? そうでないなら、世間知らずにもほどがあります!」
「何を怒っているのだ。勿体ぶらずにはっきり教えてくれ。お前とて、お前の主は世間知らずだと揶揄われたくはないだろう」
ずい、と顔を寄せてくる主は真剣な瞳でオレを見た。整った、綺麗な顔立ち。
「ああ、もう……どうなっても知りませんからね!」
息を吸い、大きく吐いて頭を掻いた。この人には振り回されてばかりな気がする。とんだ主をもってしまった。だが、ついて行くと決めたのは紛れもなくこのオレだ。
雑誌の見開きをこれ見よがしに主に見せる。胸元と口元が強調される構図のグラビア写真。
「この女をどうしたいか、或いはどうされたいのか……ご想像ください」
ええい、ままよ。どうにでもなれ。心の中で叫んでそっと暴君の首筋に触れる。きょとんとした顔の主の唇をそのまま奪うと、驚いた赤い瞳がこちらを見た。
どうしてこんなことをしたのか、自分でもよく分からない。薄い唇を舐めてやればその行為の意味を知らぬ暴君は口を結び、顔をしかめた。けれど、勘違いでなければ……唇をついばむ度に彼の頬は心なしか染まっていく。色が白い肌は透けるようで、僅かな紅潮さえもが目立つ。
「ヴァル様……口、開けてください」
「ン、ぅ」
舌の侵入を乞えば、暴君は素直に従った。感じるのは熱と粘性。絡めた舌はなされるがままで抵抗してこない。
畏れを振り撒く彼の吸血鬼がキスひとつでこんな反応を見せるのか。なんだか可愛い人だと思ってしまう。無知に付け入ってやましいことをしている、そんな罪悪感が一瞬よぎったがそれもこれも主人が望んだこと。後ろ指を指されるようなことはないと開き直る。……この人だって馬鹿じゃない。嫌ならオレのことなんか突き飛ばすか殴るかするだろう。
口を離す。主の唇が濡れている。酸素を求め肩で息をするその口元は床に放り出された雑誌のサキュバスよりも色っぽい。露出した女の肌よりも、着込んだ我が主の方が。
「閣下、」
壁際に追い詰められた主人は、分かったような、分からぬような曖昧な表情でこちらを見上げる。服の上から胸のあたりをなぞってからかえば違和感からか主からくぐもった低い声が漏れた。
「あとはご自身で『発散』していただくだけなのですが……そういう気持ちになれましたか?」
至近距離の狼男の視線が気まずいと言わんばかりに吸血鬼は目を逸らす。男にしては長い睫毛。
「分から、ない……」
この人のことだ、本当に分かっていないのだろう。身体の内の火照りと性衝動とが恐らく未だに結び付いていないのだ。暴君と畏れられる我が主人がこうも性的なことに疎いとは……不安げな顔の主人にオレの理性はぐらりと揺らぐ。けれど、
「だから言ったでしょう。あなた様には必要のないものですと」
重ね合わせていた手を離す。何故なのか、名残惜しいと思う。当然、閣下はオレを引き止めない。だが、それでいいのだろう。もしその白手袋がオレに追い縋るようなことがあれば……その時は、オレまで自分のことが分からなくなってしまうだろうから。
主人と従者が十分な距離をとった時、廊下の向こうから木の棒のコツコツ言う音が響いて来る。数匹のプリニーたちが覗き込むよう控えめにラウンジに顔を出し、何を勘違いしたのか大慌てでこちらに駆け寄った。そして始まったのは見当違いな仲裁だった。
「お願いッス! 喧嘩はやめるッス!」
「ヴァルバトーゼ閣下とフェンリッヒ様がタイマン張ったら屋敷が壊れるどころかあたり一面焼け野原ッス! 勘弁してほしいッス!」
プリニーたちが必死に二人を引き離そうと動き回る様子をヴァルバトーゼはしばらく要領を得ない様子で見ていたが、遂には声を出してそれを笑った。オレもつられてがっくりと肩を落とせば今度はプリニーたちが不思議な顔をする番だった。
「喧嘩ではない。教えてもらっていただけだ」
「フェンリッヒ様がヴァルバトーゼ様に? 何をッスか?」
「うむ。欲の……」
「ヴァル様」
また口を塞がれたいですか? 長身の足りぬプリニーたちには聞こえないよう耳元で囁けば暴君は口をつぐんだ。暴君ヴァルバトーゼ様。この人にお仕えするのはやはり楽ではなさそうだと狼男は心の底からため息を吐いた。
「よくの……? な〜んか歯切れが悪いッスねえ」
「最近『よくのどが渇く』、そう仰るから上質な血を飲むようアドバイスを差し上げたのだ。……ところでお前たち。この辺に雑誌のポイ捨てなどしていないだろうな?」
「そうだったッス! オレ秘蔵の『月刊ハード・オン・デマンド』を探しに来たんス! 確かうっかりこの辺に置き忘れて……」
フェンリッヒが後手に隠していた雑誌がプリニーの脳天をブチ抜くまで、コンマ一秒も掛からなかった。狼男のけたたましい遠吠えが響き渡った直後、プリニーの爆発連鎖によって屋敷は燃えに燃え、あたりは一面焼け野原になったという。
【おわれ!】