呼んで、俺の名を【呼んで、俺の名を】
抱き抱えた主人を起こさぬよう、寝床の棺へとそっと降ろしてやる。その身はやはり成人男性としては異常に軽く、精神的にこたえるものがある。
深夜の地獄はしんと暗く、冷たい。人間共の思い描く地獄そのものを思わせるほど熱気に溢れ、皮膚が爛れてしまうような日中の灼熱とは打って変わって、夜は凍えるような寒さが襲う。悪魔であれ、地獄の夜は心細い。此処は一人寝には寒過ぎる。
棺桶の中で寝息を立てるのは、我が主ヴァルバトーゼ様。俺が仕えるのは唯一、このお方だけ。それを心に決めた美しい満月の夜からつゆも変わらず、いつ何時も付き従った。
あれから、早四百年が経とうとしている。その間、語り切れぬほどの出来事が俺たちには降り注いだが、こうして何とか魔界の片隅で生きながらえている。生きてさえいれば、幾らでも挽回の余地はある。俺と主は、その時を既に見据えていた。堕落し切った政腐を乗っ取ってやろうというのだ。
しかし、物事には順序がある。腐っても魔界政腐。占拠など、一気になし得るものではない。今宵は、政拳奪取を掲げこんを詰めるこの人を何とか執務室から引き剥がして来たところだった。同じ旗のもとに集う悪魔たちと酷く目障りな天使が仲間に加わったことで、その指揮を取るヴァルバトーゼ閣下に掛かる負担は日毎に増した。
そして、閣下を魔界大統領の座に押し上げようと画策する俺から見ても、今日の仕事ぶりは度が過ぎた。見かねて、スリープの呪文を放ったところ余程疲労が祟っていたのか、基礎的なその魔術を跳ね除けることも出来ず、そのまま閣下は眠ってしまわれたのだ。特に最近はこんなことばかりだ。たまにはゆっくり眠っていただきたいものだと眉間のシワを見て思う。
音を立てぬよう棺桶の蓋を閉めようとしたその時、主の口元がもご、と動いた。
「ん……アルティ…ナ……」
微睡の中、主はとある名を口にした。アルティナ?
気に喰わない。よりによって私の前でその名を呼ぶのですか。貴方はどんな夢を見て、どんな顔でその女に呼び掛けようと言うのです。今まで俺の夢を見てくださったことは一度でもありましたか。俺は何度だって貴方を夢に見ているのに。俺ばかりが、貴方を。
虚しい。俺を見て欲しい。
棺の中で眠るその白い首に手を掛ける。力を込め、押さえ付ける。呼吸がままならなくなった喉がくっと跳ね、瞼が開かれる。
「な、ん…ン…ッ……ゲホッ、ハァッ、ハァ、」
「ああ、ヴァル様……悪い夢でもご覧になっていたのでしょうか」
手元を緩めると、苦しそうに咽せながら主人は細く息をし始める。酸素を取り込もうと鳴る喉を、なぞる。
「何を、する……!」
「うなされておられたので……強引ながら起こしてしまいました。主人の睡眠を阻害した私へ、どうか罰を」
「吸血鬼とて夢ぐらい見るというのだっ」
夢。あの女との、どんな夢を見ておられたのですか? そう聞いてしまいたい自分と、聞きたくない自分がいた。問いを口にするのをぐっと堪えて、狼男は笑う。
「誰かに影響されでもしましたか? 夢を見て良いのはせいぜい、なり損ないプリニーの小娘までではありませんか、閣下」
棺桶を塞ぐように主人を見下ろせば、動揺する赤い瞳が揺らぐ。そこに映るのは俺だけで、それが、ああ、この上なく嬉しかった。
その瞳をもっと良く見たいと顔を近付け、キスを落とす。性急な口付けに互いの歯ががち、とかち合った。嫌がる主を制止して、唇を塞ぐ。舌を差し込み、絡め合い、口内を蹂躙していく。本当に嫌なら力ずくで抵抗すれば良い。弱体化したと言えど、私は到底、貴方には敵わないのだから。貴方には俺を拒絶するだけの力があるはずだ。──貴方は私を、受け入れてくれますか。
今朝自ずから着せたシャツ。それを今度は剥ぎ取って、上半身を露にさせる。華奢な身体つきと、媚びるようつんと勃った胸の先。わざとらしく音を立て舌で舐め上げれば、俺の下で吸血鬼は喘いだ。
「今貴方を犯しているのは?」
「……っ」
視線を逸らし、必死に声を堪える主人が酷く滑稽だった。どうして貴方は、私を見ない。
「ねえ、誰ですか、閣下」
腰元のファスナーを下ろし、下着の上から主人のものに触れると、そこは既に湿り気を帯びていた。ピク、と跳ねる細腰を押さえ付け、起き上がりかけの雄を扱く。その先端からは何かを期待するように液体が滲み出ていた。
「突然襲われて善がるなんて……そういうご趣味をお持ちでしたか?」
「ちが、う…ん……っぁ…」
「ド変態のヴァル様は、後ろもお好き、なんですよね?」
下着をずらし、竿を扱くのとは反対の手を後孔へと伸ばす。指を差し込む瞬間こそ小さく悲鳴をあげたものの、入口さえ越えてしまえば何のことはない、俺の中指を閣下の穴はすんなりと呑み込んでいった。角度を変えて抜き差しを繰り返せばじき、「良いところ」に当たる。主人が快楽に堕ちてしまうまでにそう時間は掛からなかった。
組み敷かれた主人が涎を垂らしはしたなく啼く。もう、口元も、自分で制御出来ませんか。次は誰に、何をして欲しいのですか。……そう、悪い顔で聞けば良い。どうして悪魔の俺が、それを聞けないのだろうか。
「……ひ、ぁあっ ゆるし、」
「許せません」
羞恥を煽るよう、吸血鬼の脚を大きく開かせる。自身も雄を取り出すと「集中しろ」と言わんばかりに門へとそれを擦り付ける。面前の男が切なげに声を漏らしたところで、熱い肉棒をずぷり挿入し、躊躇いなく腰を動かし始めた。肉欲は増していき、欲望のままに、打ち付け続けた。
「は、フェンリッヒ、もうっやめ……」
「そうです、閣下。ようやく名を呼んでくださいましたね……俺は、此処にいます」
ヴァルバトーゼの薄い腹を撫でる。挿入した雄の先端の辺りをトントンと指で弾き、腹の何処まで挿入(はい)っているかを思い知らせてやる。腰を引き、打ち付け、その律動を繰り返す。無理矢理入り掻き回す棒状の異物を腸壁がぎゅうと締め付けるのが分かれば、主はそこに俺を感じているのだと興奮が競り上がり、そのまま容赦なく中に精を吐き出した。
「待、て、どうしたというのだ……今日のお前は何か、おかし、」
「おかしい? おかしいことなんか、一つだってありませんよ」
吐精してなお、勃起したままのそれで中を掻き乱す。腰を掴み直し、背後から強く突けば肌と肌の打ち付け合う音が響く。凸凹を擦り合わせ、粟立った体液を纏う隠部からはぐぷ、と卑猥な音が幾度も立った。
「…も……や、め……フェン…リッヒ……」
許しを乞う吸血鬼の声が枯れてしまうよりも、快楽に堕ちて無抵抗になる方が早かった。仰向けで痙攣するヴァルバトーゼの股ぐらは自身の精で、そしてその僕によって幾度も吐き出された白濁で淫らに濡れていた。快感を与えられ続け、果て、朦朧とする彼に最早フェンリッヒの声は届かない。
それでも飽き足りずに主人を犯し続ける狼男は昏い瞳で耳元へ囁く。
「ああ、どうかそのまま、俺だけを呼んで」
fin.