深夜は君の幻雨上がり特有の匂いが流れ込んできて一気に涼しくなる。ここはディズニーキャッスルの最上階、3つある客間の一番大きい部屋だ。
クローゼットやソファーなどの調度品や、絵画などが散らされている宝石箱のような部屋。だが不思議と、圧迫感を感じさせない落ち着いた造りだ。煌びやかではないが、無機質でもない、どこか暖かみのある雰囲気をたたえている。ミッキーの趣味がいいんだな、きっと。人柄が出てるのかもしれない。
その中で一際存在感を放つ宝石が、俺とソラとリアが大の字になって寝てもまだ余るほど大きいベッドだ。程よい硬さのマットレスに、皺一つ無い、吸い付くような手触りのシーツが敷かれ、もふもふした掛け布団の海が広がっている。
だが、どれだけベッドが大きくても男3人川の字で寝るのは流石に抵抗がある。そこで、俺とリアの相談の結果、ソラはベッド固定で、リアがソファー、俺がソラとベッドという形に収まった。少し申し訳ないと思ったが、それが一番良い。
まぁ、それはそれだ。俺たちがソラを初めからベッド固定にした理由は、何もソラがベッドを切望したからではない。ソラもそれなりに遠慮はしていた。
とにかく暴れるのだ。寝ていても起きていても変わらないくらいに。俺たちの考えは、そんな猛攻撃から自分を守りつつ、ソラの落下を防ぐというものだった。
だが、甘かったのだ。フィールドが大きいほど行動範囲も広がるというのが自然の摂理。ソラの寝相の悪さを舐めていた。深夜のかかと落としで目を覚ましてみれば、枕や掛け布団は全部床に落ちているし、本人はなぜかシーツの中で寝てる始末。無論俺がまともな睡眠を取れるはずがない。
このままでは一睡もせずに朝を迎える恐れがあるため、一旦ベッドから抜け出す。この野郎と、一発蹴りでも入れてやろうかと思ったが、当の本人はシーツの中から首だけ出して、間抜けな顔で眠っている。ちょっと笑えるので、放置する事にした。
南側の窓のせり出しに腰掛け、奥行きを吟味すると、以外と広々としている。細い窓枠に切り取られた星空を見ながら、横になると案外落ち着く。少し硬いが、まぁ眠れない事はないだろう、と思ったその時
コンコン
しん、と部屋の空気が張り詰める。心臓がバクバク煩い。ひゅっと、腹の中身が冷たくなるような、そのくせ血液が沸騰する様な。聞き違いならいいんだ、それで。
コンコン
もう一度。誰かいるのか?そうだ。聞けばいい。応えがないなら、放っておけばいい。
(ヤバイ怖い怖いマジか本当心霊体験とかマジ勘弁
きぃ
「…え。どうしたの、リク。」
扉の隙間から問いかけた小さな黒い影は、するりと部屋に入ると、心配そうな面持ちで早足に俺に近づいて、せり出しによじ登り、上から顔を覗き込んだ。
「いやなんでもない見なかった事にしてくれ」
恥ずかしい。こんな事でビビるなんて。ましてや咄嗟の判断でとった行動が死んだふりなんて。手で顔は覆っているものの、耳が真っ赤になってるのがきっと、丸わかりだろう。
俺が居心地の悪さに押し黙っていると、それまで俺の肩やらをさすっていたミッキーが、何かに気がついたように、顔を綻ばせた。そして小さい子供にするように、頭を撫でる。
「ごめんね、びっくりしたよね?こんな真夜中に。」
結局、全部見透かされてる。俺はやっぱり、全然子供だ。
温かい手が、依然俺の頭を撫で続ける。月明かりに照らされ、逆光気味の輪郭が、ぼんやりと白く光っている。その様子は、僅かに口許に浮かべただけの薄い微笑みも相まって、神秘的でありながら、どこか虚ろな美しさを醸し出していた。
「そういえば、俺かリアかソラに用があるんじゃないのか?」
そう問うとミッキーは、うん、と息を吐くだけの返事をした。
「リク起きてないかなって。」
寂しかったのかも、とぽつりと話し始めたミッキーの手は、もう止まっていて、俺の頭に軽く添えられるだけになっていた。
「苦手なんだ。昔から、こうゆう雲ひとつない夜。」
なんとなく、察した。理由じゃない。何かあったのかな、位の曖昧な推察なら誰にでも出来る。俺は、ミッキーの過去を全然知らないし、自分から積極的に知ろうとも思わない。過去がどうであれ、今まで彼が積み上げてきた物の全てが、彼を構成している事は事実なのだから。そこを深く穿つ気は無い。俺が察したのは、誰しも心に持っている、柔らかくて仄暗い部分の痛み。誰にも立ち入ることのできない、絶対不可視な領域に、たった一人で取り残されるあの瞬間。俺にだってある。そして、ミッキーにもきっと。
「思い出すんだ。ぼんやりとだけど」
「とても懐かしいこと。」
「そんなに昔じゃないはずなんだけど、とても大切な人がいたんだ。」
でも、今はもう何処にもいない。
その言葉の本当の重みを、俺はまだ知らない。ミッキーの気持ちも、わからない。全てを受け止めきれない自分の無力さが、憎かった。自分が苦しんでいた時、彼に与えてもらった優しさを、返すことができない。何もできない。今、いや、彼はずっとずっと、苦しんでいるのに。
だからせめて、目だけは逸らさなかった。
「…ふふっ。何でそんなに見つめるの!」
浮かない顔をしていたミッキーが笑った。そんなに長い間見つめていたのかと、少し気恥ずかしい。でも、元気になってよかった。
「ねぇ、リク。ベッド…。」
ミッキーの視線に釣られて、ベッドの方を見る。
「…くっ、何だあれ。」
シーツから首だけ出して寝ていたはずのソラが、上半身をこちら側にでろんと出している。しかも白目で。
あまりの不意打ちに二人して腹筋崩壊する。もちろん、ソラとリアを起こさないように。ひとしきり腹を体を抱えて悶絶した後、顔を見合わせた。
「ねぇ、一緒に寝てもいいかな?」
と、ミッキーがおずおずと切り出した。若干の上目遣い。
「うん。おいで。」
ソラに奪われた布団の質量を埋めるため、そしてかわいい親友が、夜の闇が創り出した甘い幻想で無いことを確かめるために、俺は両手を広げた。