見守る者 屋敷に帰宅した少年は、傍から見てもわかる程に気落ちしていた。
廊下ですれ違う門下の者への挨拶もそこそこに真っ直ぐ自室へと向かう。何かお持ちしましょうか、と心配そうにかけられる声にもただ一言、「何もいらない」とだけ返事をして部屋に篭もってしまう。
――方士であれば普通、剣や札を用いるものだろう。依頼人に言われたことが脳裏に蘇る。
提示された問題は解決できる。しかし、怪異は去ったとどれだけ口で説明しても、傍から見れば何もしていないのだ、実績も無い駆け出しの言葉を信じる人は多くない。
内に渦巻く何とも言えない感情、それらを鎮める為の瞑想も鍛錬も、今は何もする気が起きない。
悔しさに任せて声を上げ泣いてしまいたい衝動すらも堪え、机に突っ伏しぎゅっと目を閉じた。
真っ白い光の空間に一本の巨木が聳え立ち、気付けばその根元で一人蹲っていた。
脳裏に響く謂れの無い罵倒に耐え、両の手を胸の前でぎゅうっと握り込んだまま微動だにしない少年を、背後から見つめる者がいる。
後ろから伸びる人の影に気付いた少年が、涙で頬を濡らしたまま振り返る。白いフードを被った背の高いその人は、逆光の所為で顔を見ることは叶わなかったが、目が眩むほどの光を背に現れた人物から伸ばされた黒い手は少年の目尻に残った涙を拭い、頭を撫でた。
対して立ち尽くすばかりの少年は奇妙な感覚に見舞われていた。――会ったことのない大人の人。けど、ずっと前からこの人のことを知っているような。
悔しさのあまりに流れていた雫はとうに止み、大きな瞳で不思議そうに見上げる少年に、黒い手の男は静かに微笑む。
「……あの」
――どこかでお会いしましたか。
少年が思い切って問おうとするが、刹那に吹く風が大樹を煽り、豊かに茂る色鮮やかな葉が織り成すさざめきに、紡ぐ言葉を遮られてしまう。
舞い散る木の葉が風に流され少年の視界を覆ったほんの一瞬のうちに、目の前にいた筈の男の姿が忽然と消え失せる。辺りを見渡してもあるのは一本の巨木だけ。
今時分、幻でも見ていたのだろうか。そんな考えが過ったが、撫でられた頭に残った大きな掌の感触と、最後に見えた、深く被ったフードの奥に、温かな黄金の輝きを湛えた双眸を忘れられずにいた。
空を染める朱と紫が窓から差し込む頃、少年は目を覚ました。
いつの間に眠ってしまったのだろう。少年は椅子から立ち上がり、大きく体を伸ばした。
一眠りしたことで、頭の中でぐるぐると渦巻いていたものはすっかり抜け落ちていた。誰に何を言われようと一人前の方士となって、いつか世に蔓延る妖魔を残らずこの手で退治する。誰に理解されずとも小さな胸に抱いた大志が変わることは無い。
ひとまずは報酬を貰いそびれたことを謝らないと。短く息を吐き気持ちを切り替えた少年が両親の元へと戻ろうとして、ふと自分の手に違和感を覚え立ち止まる。
――掌の内にすっぽりと収まるそれは、璃月の昼間の空に見る青よりも涼しげな色の輝きを放っていた。