それぞれの道【パターン01:治がまだ自信持って言えなかった場合】
「ばっかじゃないの」
はっきりと言われた。顔を見て、目を逸らすことなく、真っ直ぐに。進路希望調査票。そんな紙切れが配られてクラスがざわつき出した頃、前に座る角名が振り返って訊いてきた。治、もう決めた?と。決めているもなにも、昔から思い続けてきたことだった。飯に関する仕事に就きたい。いつからなんて覚えてないけれど、ずっとずっと胸に秘めてきた。まだ誰にも、家族にも片割れにさえ言ったことのない秘め事。それを初めて口にしたのに、返ってきたのは冒頭の言葉。いや、正確には、違うけども。
もう決めた?と訊かれたから、飯の仕事をやりたいと答えた。やから、バレーは高校で辞めるとも。そう返したら、「ばっかじゃないの」ときた。
「…バカはあかんって、言うてるやん」
「そういうの今はいいから」
「…人の進路にケチつけんなや」
「だから、そうじゃないって」
─── なんで治、そんな申し訳なさそうな顔して言うの。
ひゅっと喉が引き攣れて、声が出ない。そんな顔を、していただろうか。自分のことなのに、ついさっきのことなのに思い出せない。
「そりゃもったいないとは思うけどさ、治が自分で決めたんでしょ?」
「…おん。前からずっと、思ってたことやし…」
「だったらもっと堂々としろよ」
それは治の、曲げられない夢なんでしょ?と、いつもの揶揄いなんて微塵もない、真剣な瞳。きっと、受け入れられないと思っていた。お前はずっとバレーを続けるんだろうという無言の圧力を、感じていなかったわけではないから。当たり前のようなそれを、ふざけんなやと一喝することはできる。できるけれど、そこには確かに信頼や期待があるのを知っているから。だから、ほんの少しだけ後ろめたかったのに、角名はそれでいいと言う。
「他人の夢に口出す権利なんて誰にもないよ、だってそいつの人生じゃないんだから。うちのスローガン、忘れたの?」
はっと浮かぶ横断幕。「思い出なんかいらん」と描かれたそれは、決して切り捨てるということではなく、悔いも未練も残さずに前へ前へと進んでいけという激励であり、叱咤の言葉。
「…忘れてへんよ。ちゃんと、やることやるだけや」
「いいね、調子戻ってきたじゃん」
そう言って笑う角名の手を、ありがとうという言葉の代わりにそっと包み込んだ。
◆◆◆
【パターン02:角名がショック受ける場合】
なにを言われたのかわからなくて、頭が真っ白になった。隣を歩く治はいつもと変わらず、コンビニで買った肉まんを幸せそうに頬張っている。対する俺の足は止まり、治との距離が開いていく。
「…おさむ、本気なの?」
「ん?なにが?」
「バレー…辞めるって…」
「おん」
決めてたことやし、となんてことないかのように笑い、また一口肉まんを齧る治。足が、動いてくれない。なにか言いたいのに、言いたい言葉が出てこなくて沈黙が流れる。なんで、どうして。それだけがぐるぐると頭の中を占めて、視線が徐々に下がっていく。薄ぼんやりとしてきた視界の先に、見慣れた治の靴先が見切れていて。
「…なあ角名、泣かんでや」
ああ、俺は泣いているのか。瞳に溜まっていく涙に気づいて堪えるのに必死で、なに言ってんだよと返すこともできない。治本人はケロッとしてるのに、なんで俺が泣いてるんだろう。
「ずっとな、飯の仕事したかってん。バレーやってても、ずっとその気持ちは変わらんかった。やから、バレーは高校までにしよって決めてたんや」
「…侑には、言ったの?」
「あいつには最後に言う。やいやい言いそうなの目に見えてるしな」
じゃあ、なんで俺には今言ったの?俺はなんにも言わないって思ったの?そうなんだって、すぐに受け入れるって思ったの?…そんなの、思えるわけないじゃん。
「…っ」
「…すな」
治と一緒にプレーして、まだたったの二年ちょっと。だけど、短いなんて思ったことはない。キツい練習の後の自主練、トリッキーなプレーが飛び出す試合。いつだって治がいて、一緒にブロック飛んで、コートの外からレシーブする姿を見たり、侑のトスを打ち抜く姿をずっと見てきた。楽しかったし、引っ張られた。だから、この先も治のプレーが見れるものだと信じて疑わなかったのに。
「…っ、さび、しい…っ」
もしかしたら同じ大学に行ったりするんじゃないかなんて、少しでも思ってた自分が馬鹿みたいだ。治の夢を応援したいのに自分の気持ちを優先させるとか、自分勝手にも程がある。治はもう決めてるのに、俺の言葉なんかで覆るわけもないのに。でも、どうしても止められない。
「角名。俺な、バレー辞めても離れたりせんから」
「…え?」
「飯の仕事する言うたやん。コートでは一緒におれんけど、飯で支えたるから」
「めし…?」
「俺の作った飯で、角名を内側から支えたんねん」
─── 他の誰にもできることやないで?これだけは譲らんって決めとんねん。めっちゃ贅沢やろ?
◆◆◆
【パターン03:角名が感情爆発させる場合】
いつもの練習、いつもの自主練、いつもの帰り道。そのサイクルも、時によっては狂うこともある。今日は練習だけと決めていた。今日だけじゃなく、ここ一週間くらいの話だけど。練習が終わり、自主練をするやつらを残してするりと体育館を抜け出して部室へと足を進める。早く帰って、早く寝たい。眠れる気なんて、さらさらないけれど。強豪校の稲荷崎は自主練する人数も多く、この時間の部室はガラガラだ。今日も一番乗り、と心の中で呟いてロッカーを開ける。タオルで乱雑に汗を拭い、身体が冷えないようにジャージを羽織ったところでガチャッとドアの開く音に視線を向ければ、少し息の切れた治の姿。
「…お疲れ」
すぐに視線を逸らしてリュックを取り出し、バタンッと少しだけ錆びついたロッカーを閉める。足早に治の横をすり抜けようとすると、腕を掴まれて先に進めない。仕方なく見た顔はどこか自信なさげで、それでも俺は表情を緩めることはしなかった。
「すな、あんな…」
「…ごめん治、離して」
振り解いた腕は簡単に外れ、早く部室を出ようとドアノブに手をかけたところで今度は肩を掴まれる。まだ冷静に話なんてできないから、早く離してほしいのに。
「すなっ、待ってや。話しよ」
「話せる状態じゃないから…、離して」
「嫌や。もう一週間もまともに話してへんやん」
「離せってばッ!!」
振り向いた先には、苦しそうな治の顔。そんな顔させたくないのに、でもそうさせているのは他ならない俺で。でも俺だって、まだいっぱいいっぱいで整理できてないんだよ。
「…進路のこと、怒っとるんやろ」
「別に、…怒ってるわけじゃ」
「怒っとるやん」
「ッ、悔しいんだよ!!」
治の顔が見れなくて、視線を外したまま声を荒げる。こんなの、治のためじゃない。自己満足のためだってわかってるのに、もう気持ちの収拾がつかなくて、止まらない。
「高校でバレー辞めるなんて聞かされて、平気なわけねーだろ!?急にそんなっ、平然と言われて、はいそうですかなんて言えるかよ!!」
「…俺の進路で、なんで角名がそこまで悔しがるん?」
「もったいないからに決まってんだろ!!」
言いたくなかったのに、これだけは。せっかく治が誰よりも早くに教えてくれたのに。きっとこれから言われ続けるであろう言葉なんて、治には言いたくなかったのに。
「お前自分の才能わかってんの!?ただ上手いってだけじゃないっ、今までたくさん、頑張って、きたくせに…っ」
それを捨てて、食の道に進みたいのだと治は言った。冗談なんかじゃない、もう決めたのだと意思の強い瞳は語っていて、それがどうしようもなく悔しくて。
「俺は…っ、卒業してもずっと…、…ずっと、バレーで、繋がっていられるって…っ」
バレーがなかったから、きっと紡がれなかった縁。だから、その繋がりだけは持っておきたかった。じゃなかったら、ぷつりと切れてしまいそうな繋がりが怖かった。その他大勢になるのが、同等の扱いをされるのが嫌だなんて、自分勝手な気持ちを抑えられなくて。どこまでも自分本位で、治のことなんてなにもわかってない。治の実力を認めているからこそ、楽しそうに燥いでた姿を見てきたからこそ、もったいないと心から思うのに。それよりも、治との縁が切れることの方が怖いなんて。
「…別に、バレー辞めたからってそんな変わるわけでもないやろ」
「…はあっ?お前今なんて」
「お前こそなんやねん、バレーで繋がっていられるって。それだけしか繋がってなかった言うんか。バレー辞めたら俺がお前から離れるて、そんな薄情ちゃうわ」
強い言葉に思わず涙が引っ込み、鋭い眼差しが言葉を紡ぐのを躊躇わせる。
「俺がそう簡単にお前のこと離すと思っとるんか。離すわけないやろ、手に入れるのにどんだけ苦労した思てんねん」
「…おさ」
「…もうちょっと俺のこと信用してや。角名のこと手離すなんて、そんなアホなことせえへんよ」