嵐を待っている「なあ、二人ってどこまで行った?」
久しぶりに5人が揃ったピザパーティー後の和やかな談笑タイムに爆弾を落としたのは叶だった。きらきらと、わざとらしいくらいに輝かせた瞳で村雨に問いかける。純粋を装おうとする意志。しかし、よく見るととても楽しそうな、ちょっと意地悪をしてやろうという顔をしている。
「んなこと、おおっぴらに聞くな!」
キッチンからすぐさま獅子神が大声で牽制するが、叶は全く堪えない様子でにやにや笑って村雨を見ている。問いを投げかけられた村雨は切れ長の目で叶をじっと見返した。
「どこまで、とは?」
「そんなの決まってんじゃん、なあ?ユミピコ?」
「そうだな。おまえたち2人が性交してようがなかろうが、神はどちらでもよいのだが」
真経津と対戦ゲームをしている天堂が事も無さげに言う。
獅子神は頭を抱えたい思いだった。聞かないでくれ、まじで。そっとしておいてくれ。何も言うなよ、と村雨にも念を送る。
というのも、村雨と付き合うことになったはいいが、まだそういったことは何も起こっていなかったからだ。「何もない」という情報すらも弱みになりうる状況で、嘘も誤魔化しも見通される相手への対処はあまりにも負け戦だ。
だというのに、村雨は獅子神の思考は全部わかっているくせに「何も」と簡潔で正直な返答をした。
途端、叶が勢いづいて「だよなあ!」とテーブルに身を乗り出した。鬱陶しそうに村雨が目を細める。
「だから、なんだ。これは私と獅子神の間のことであなたには関係ないだろう」
「でもさあ、オレまじで二人にはいい感じになってほしいわけ!じゃないと、なんか気まずいだろ?」
「それこそあなたに心配される謂れはない」
「てかさあ、遅くね?何やってんの敬一くん!中学生同士じゃあるまいし」
叶は矛先を急転換して、獅子神に質問を投げかけた。今度こそ獅子神は本当に頭を抱えた。叶の本来のターゲットが自分で、その前準備として村雨にまず話しかけたのは分かっていた。村雨もそれをわかっていながら、その策にわざと乗ってやっていた。叶の狙いは端から獅子神のみである。
「タイミングとか……いろいろ、あんだよ……」
何か答えないと意地でも叶は引き下がらない。当たり障りのない返答でどうにかこの場を逃れようとするが、そんな返答で満足できる人間は1/2ライフのギャンブラーなどやっていないのだ。
「もしかして敬一くんビビってんの?この期に及んで?」
「ビビッてねえ!」
「ねえねえ、獅子神さん、パンケーキ作ってー。生クリーム乗っけたやつ」
叶が獅子神をいたぶっていることにもお構いなしの真経津が、いつのまにかキッチンに入ってきて獅子神の袖を引っ張った。序盤は天堂に負けていたが、そのあとで逆転したのだろう。どことなく機嫌が良い。
「わかったから袖引っ張んな!伸びる!」
「やったー」
わーい、と無邪気に喜ぶ真経津に気勢がそがれたのか、はたまた単に興味の対象が移り変わっただけなのか。叶は端末を眺め始めた。
獅子神は真経津のリクエスト通りふわふわで生クリームのたっぷり乗ったパンケーキを作り上げ、それを羨ましがった他の3人分も忙しく作った。出来上がったパンケーキをみんなで食べながら、どうでもいいことをひとしきり喋り騒いで、ゲームをして、日も暮れ切ってからパーティーはお開きとなった。真経津、天堂が帰り支度をする中、叶が獅子神の傍によって耳打ちする。
「礼二くん泊まるんだろ、いいかげん決めろよ」
獅子神の肩を叩いて、叶は去っていった。
残されたのは獅子神と村雨の二人だけだ。騒がしかったのが急に静かになると、途端に部屋がひろく寄る辺なく感じる。村雨と付き合い始め、彼が当たり前に泊まるようになる以前は、その空虚さを持て余していた。今は村雨と二人であるというだけで胸の下あたりがふわふわと温かい。
「今日も世話になる、構わないな?」
「ああ。夕飯、今食べるか?おやつ食べてたし、軽くしとくか」
「いつも通りが良い。腹が減っている」
村雨の言葉を聞いて瞬時に頭の中でカロリー計算が走った獅子神は少し心配になった。いつものことではあるが、村雨の食事量は異常である。ピザだけでもざっと1200kcal以上、パンケーキは800kcal以上(カロリーは控えめにしてあるが)、合間にスナックをつまんでジュースも飲んでいた。朝食は把握していないが、以前しっかり食べる派だと聞いた。その状態でいつも通りの夕食を食べたら、明らかに成人男性の推奨摂取カロリーは超えるだろう。
「問題ない。以前、推奨される食事量で生活をしたらふらついて仕事にならなかった。こういうものは個人差がある」
「お前は極端な外れ値だと思うけどな……」
無理をしていないのであればそれでいい。
作っておいた常備菜を冷蔵庫から取り出し、皿に盛りつける。スープは温めなおし、ホタテとサーモンのテリーヌ、ベーコンとほうれん草のキッシュは少し厚めに切ってやる。この前の夕飯で薄く切り分けたらもっとくれ、とおかわりを要求されたのだ。気に入ったのだろう。村雨は案外子供舌で、どちらかといえば甘めで舌触りの良いものを好む。普段の食生活で野菜をあまり食べていないだろうことは想像に難くない。獅子神が用意する食事の時は、刻んだり混ぜ込んだりして野菜やきのこを食べさせていた。テリーヌにもしめじを入れているし、キッシュにも細かく刻んだニンジンを忍ばせている。少しでも普段の食事を補えれば、と思う。
獅子神がキッチンで用意をしていると、ごそごそと村雨が自分の荷物から何かを取り出して持ってきた。手に持っているのは……赤ワインだ。
「とっておきだ。あの場で出すと、飲み干されそうだったので隠していた」
「ワインセラーに入れとけよ、場所知ってんだろうが」
「何を言う?ワインは常温が一番うまい。あなたも飲むだろう?」
アルコールは久しぶりだがせっかくのお誘いだ。飲む、と答えると村雨はボトルを両手で抱えたままダイニングへ戻っていった。一緒に飲むのであれば早めに料理を揃えて、食卓を共にしたい。メインディッシュであるステーキの調理も並行しよう。
丁寧に焼き色を付けて、そのあとはじっくり火を通す。ミディアムレアになるまで焼いたら、皿にのせ付け合わせも添えてテーブルへ運んだ。
前菜、サラダ、スープにステーキ。彩もよく満足な出来栄えだった。ワインのコルクを抜くと豊かなスパイスのような香りが広がった。ボトルを傾けて静かにグラスに注ぐ。ガーネットのような暗い赤は村雨の瞳の色。淀む血のような赤。
「やけに手馴れているな。よく飲むのか?」
村雨が問うた。
「昔はな。今はたまに。付き合いで飲むぐらい。お前は?」
「私も同じようなものだ。まあ、呼び出しがかかる可能性を考えると中々そのような機会もないが」
村雨が手の中でグラスを傾けぐるりと回す。薄い唇が開いてグラスに口をつけるのを獅子神はじっと見ていた。静かに食べ進める村雨の姿は、暗然とした洋館に飾られる西洋画のようだった。鬱蒼とした森に囲まれた、誰も住んでいないお屋敷。扉を開くととびきり陰鬱で毒々しく美しい絵画が訪問者を出迎える。
そんなイメージが浮かんだが、目の前の男はもりもりとステーキを頬張っている。それがなんだかおかしい。血の通っていないような見た目のくせして、そのじつ生命力に満ちている。村雨の命に自分の作った料理が組み込まれていくのが嬉しかった。……そして、その嬉しさがあまり純粋なものでは出来ておらず、裏側になにか自分でもあまり見たくないものが隠れている予感があった。あと一歩でも進んでしまったら、きっとその隠れている何かが嵐のように自分と村雨を連れ去ってしまう。
もう少し、このまま穏やかな関係で踏みとどまっていたい。けれど、目の前でステーキを食べ終えた村雨にアルコールが回り、先ほどよりくちびるの血色が増しているのを見ると、その気持ちがぐらつく。
「獅子神、グラスが空いているぞ」
村雨が頬杖をつきながらグラスにワインを注いだ。平常であればこのような姿はありえない。どんな時でもまっすぐ背筋の伸びた男なのだ。もしかして、アルコールにはあまり耐性が無いのだろうか。では、なぜわざわざ持ち込んでまで。
「アルコールは前頭葉に影響して自制心を弱めるからだ」
「え?」
「まだわからないのか、マヌケ。いいかげん私も待ちくたびれたのだ。あなたが私に持つ好意が変わっていないことは心拍、体温の上昇から見ても明らかだ。にもかかわらず、なぜあなたは私に手を伸ばすことを躊躇う?」
理解できん。最後にぽつんと落とされたつぶやきは静かな部屋にひろがって消えた。
村雨の視線は鋭く獅子神を見据えているが、強く引き結ばれたくちびるは幽かに震えている。ただその震えを止めたくて、それすらも言い訳で。今すぐ自分の手に落ちてきてほしくて。
はじめての口づけは錆びた鉄の味がした。血がにじむほど村雨はくちびるを噛み締めていたらしい。頭の芯が熱くなる。テーブルに身を乗り出したまま、何度もくちびるを触れあわせた。
耳の奥で血が沸騰するようなごうごうという音が聞こえる。まつげがふれあい、赤い瞳とちかぢかと見つめあう。その目を見てはっきりと分かった。
ゆるされていた。はじめから。なにもかも。
裏側にある醜い欲望もそれがあらわになることを恐れる自分自身も、村雨はとっくに見抜いていて、その上でずっと待ってくれていた。
呼吸のタイミングがつかめずに息を止めていた村雨が苦しそうに身じろぎしたのを見て、獅子神は慌てて顔を離した。
「――なるほど、これが答えか」
あらい息をしながら満足そうに村雨が笑った。胸が苦しくなるほど愛おしい。
今度は抱きしめながらキスをするために、獅子神は立ち上がって村雨のほうへ一歩踏み出し手を伸ばした。