酔いも甘いも紙一重 獅子神は酒に強い。どれだけ飲んでも酔っている素振りを見せない。
見る「目」のあるものが微細に観察すればアルコール摂取していると分かるが、普通に生活する人間には全く悟らせないレベルだ。
「昔からそうなのか?」
「ん?何が」
ゆったりとした晩酌の時間、ふと気になって尋ねてみた。
「あからさまに酔っているところを見たことがない」
「あー……前は強くもなく弱くもないって感じだったな」
「酒の強さは遺伝子によって決定されている。アルコール分解能が年齢とともに低下することはあっても、上がることはないはずだが」
「そうなのか?」
獅子神は鷹揚に首をかしげた。
「ああ。訓練によって酒に強くなるというのはまやかしだ」
「でも、お前から見て今のオレは酒に強いだろ?」
首肯する。世間では往々にして「飲み慣れる」という概念が飲みの席の会話で登場するが、科学的には起こりえない。では、なぜなのだろう。
「何か秘訣があるのか?」
「言いたくねえ」
「では、身体に訊こう」
「やめろ!」
こぶし一つ分の距離をにじり寄りぴったりと腿をくっつける。両手で獅子神の顔をはさんで覗き込もうとしたら、上半身だけのけぞって逃げられた。
触れ合える距離からは離れていかないのが実にかわいらしいが、ブラフに引っ掛かりやすく多少心配でもある。触れ合っているだけで情報量は格段に増えるのだ。わざわざ覗き込む必要はない。
「ふむ、私には言いたくないと。やましいことでもあるのか?」
「そんなんじゃねえよ」
身体反応からするとこの言葉は真だ。私に言いたくはないが、やましさはない。最悪バレてしまっても良いができることなら隠しておきたい、ぐらいか。であるならば、押していけば折れるだろうな。本当はあまり言いたくなかったのだが、致し方あるまい。
「もし何か秘訣があるのなら教えてほしいだけだ。私もあなたのように、アルコールを摂取しても眠くならずにいられたら、もっと長くあなたと楽しい時間が過ごせると思った」
本心であるとわかるように、顔を上げてじっと獅子神の目を見つめる。表情も心拍数の上昇も隠さずに。獅子神はこれで伝わらないほどのマヌケではない。
「お前、それは、ずるいだろ……」
獅子神の体温が上昇し、動揺が伝わってくる。言う、言わないの天秤が思い切りぐらつき、そのままの勢いで言葉が押し出された。
「秘訣なんかねえよ、ただ単にカッコつけて隠してるだけだ!これでいいか?!」
「そうか、あなたはカッコつけたかったのか」
「復唱すんな!」
言いたくなかった……とむくれる獅子神がかわいくて、今度こそ両手で男の顔を挟んで思う存分撫で回した。
*
村雨礼二は酒に弱い。いや、弱いというよりは酔い方の問題かもしれない。事実、見た目では酔っているのかどうかわからないぐらいだし、どれだけ飲んでも二日酔いをせず朝にはケロッとした顔をしている。
では実際どう酔うのかというと、心臓に悪いタイプの絡み酒なのだ。現に今も、オレの言葉が琴線に触れたらしい村雨に両手で顔を挟まれわしゃわしゃと撫でられまくっている。これは第二段階だ。とにかく距離が近くなる。ちなみに第一段階は質問責めだ。気になったことがあると追及の手が止まない。今回も村雨の好奇心に振り回された。
なんというか、好きなやつに触られるのは嬉しいし、もっと触ってほしいとすら思う。さっき村雨がとんでもなく可愛いことを言ったときはこのまま押し倒してしまおうかとも思った。しかし次の第三段階で村雨はスイッチが切れたように眠ってしまう。そうなったら生殺しだ。それが分かっているので理性を総動員して自分の手綱を握っている。
「あなたの肌は手触りが良いな」
「はいはい」
「髪は絹のように柔らかいな」
「そうかよ」
細く繊細な指先が輪郭を確かめるように顔を撫でて、髪を梳く。眉をなぞり、まぶたに触れて、くちびるをふにふにと押された。村雨の指先から慈しみが伝わってきて、胸の奥がこそばゆい。
自身の見た目が人並み以上であることはこれまでの人生で有利に働いてきた。ただそれだけ。それ以上のものではなかった。でも、こうして村雨がオレの顔を撫でて満足げにしていると、自分の形にも意味があったんだな、と思う。それが素直にうれしいと思えるぐらいには、この男に惚れている。
ぺたぺたと顔を触る村雨の手の動きがだんだん鈍くなってきた。そろそろ眠くなってきたようだ。肩に手を回して、自分のほうへもたれさせる。村雨はしばらく眠気に抗っていたが、やがてすうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。
村雨の身体を抱えて寝室に運ぶ。成人男性の身体を問題なく運べる程度には鍛えている。村雨は一度眠るとほとんど動かなくなるから、暴れた拍子にうっかり落としてしまうなんてこともない。
ふかふかのベッドに横たえて布団を掛けてやる。「おやすみ」と、額にキスをしてリビングへ片づけに戻った。
村雨に酒を飲ませると必ずこうなるとわかっているのに、それでもたびたび晩酌に誘ってしまうのは、酔っている村雨が普段見せないやわらかな表情をしているのが嬉しくて。緩んだ表情筋が見せる笑みがかわいくて。村雨の心の中の一等地、とびきり親密でやわらかな場所に自分が置かれていることが分かる瞬間、アルコールなんか比にならない酩酊感に襲われるからだ。癖になっていると自覚しても、やめられる気はしなかった。