陽が沈む 戦に明け暮れて、日が沈めば怪我人に手を貸しながら麓の城へ帰る。常興は夏の遅い日暮れを見ながら、いつまでその赤い光が続くのかと思った。足が重い。疲労よりも、先に見えない戦いに心が疲弊していた。
遅れていた兵舎もようやく建ったが、そこへ詰める兵でまともに戦える者は少なかった。怪我と疲労、さらには残り少ない兵糧のために減る食事。そのために士気は著しく低く、兵舎は暗い空気の中で不満の声がそこかしこで上がっていた。常興は激励の言葉をかけるが響かない。向けられる視線に不満が滲んでいた。
倒れた貞宗は未だ回復の兆しがない。常興は鎧を脱ぐと汚れた直垂を着替えて、貞宗の部屋へと向かった。良い報告は一つもない。
部屋の前まで行くと貞宗についていた者が頭を下げた。今日の様子を手短に聞き、戸を開く。部屋の中央で貞宗は寝かされていた。
常興は貞宗のすぐそばに腰を下ろした。貞宗は眠っている。常興は幼少の頃から貞宗のそばにいるが、貞宗がこれほど長く床に臥すのははじめてだった。枕元に水と椀があり、水は減っているが椀に入った柔らかい米は手付かずだった。
常興は長く息をつくと、片手で目元を覆った。体が重い。矢の残りの確認を失念したと気付いたが、立ち上がるのが億劫であった。いや、先に追加の兵糧を催促する文を書かねばならない。しかし秋まではどこも残りの米を気にして出してはくれないだろう。いっそ兵に酒を振る舞うか。しかし全員に配れるほどの量はなく、半端に配ればかえって争いの種になるだろう。
常興は考えを巡らせていたが、いつの間にか眠気に誘われていた。座ったまま目を閉じていたが、ふと自分が眠っていることに気付き、顔をあげる。
すると眠っていたはずの貞宗がこちらを見ていた。貞宗の手が、膝に置く常興の手に重なっている。
「申し訳ありません」
常興は慌てて貞宗の手を取り、掻巻へと戻そうとする。触れた手は熱かった。まだ熱が下がっていないらしい。
「常興」
「はっ」
「戦況報告をせい」
貞宗の額には汗が滲んでいた。常興は濡らした手拭いを取って貞宗の額を拭う。貞宗が微かに眼差しを和らげた。
常興は淡々と戦況を報告した。損害ばかりが増えていくのを伝えるのは心苦しかった。言葉にすれば尚更不甲斐なさが募る。自分は貞宗のような大将の器はなく、多くの者の命を背負うことの重荷にも耐えられない。これほど心を削っても成果を得られないまま、終わりの見えない戦の采配を振るう。これまで貞宗が一人で耐えてきたものの大きさに気付かされていた。
「以上です。矢の残りはこれより確認して参ります」
「兵糧は」
「残り少なく、援助の文を書きます」
貞宗は小さく頷くと、身動ぎした。そのまま体を起こそうとするので背を支える。貞宗は常興を見るとその頬に手をやった。
「疲れた顔をしておるな」
熱い貞宗の手に触れられて常興は何かが崩れそうになるのを感じた。思わず奥歯を噛み締める。
「いえ、私はなにも」
「儂のせいだ。すまん」
「貞宗様のせいではありません」
では誰のせいなのか、と口が不満の捌け口を探していた。誰でもない。それでも憎しみはここにいない人物へと向いてしまう。無意味なことだ。
「腹が減っただろう。そこに飯があるから食わぬか」
貞宗が枕元の腕を見た。手付かずだったものだ。貞宗についていた兵も、貞宗の食欲がないと言っていた。
「少しは食べて頂かなくては」
「腹が減らぬ。米の残りは少ないのに儂のために使うな。勿体無いから常興が食ってくれ」
空きっ腹は米を食べたいといっていた。だが、食べねば貞宗の体はもたない。常興は椀を手に取ると、匙ですくって貞宗に向けた。
「では半分。貞宗様と私で分けましょう」
貞宗は目を細めると音もなく笑う。まるで風に揺れる柳のようだった。
「半分こか。ならばそうしよう」
結局貞宗は一口しか食べなかった。常興は残りをかきこむ。体は飯を喜び、力が少し戻ってきたように思えた。
常興は貞宗が眠るまでそばにいた。その眠りが少しでも穏やかであることを願う。夜の静けさの中で時間が止まっているように感じて、ふと、明日は晴れるだろうかと思った。遠くで鳥の声がする。風もないのに蝋の火が揺れた。灯火はいつまでもつのだろうか。