四足歩行のライバル 休日のファストフード店は客で賑わっていた。助房はすぐに目当ての人物を見つけ、ボックス席へと横柄に腰を下ろす。
「で?」
ぶっきらぼうに言ったのは、有無を言わずに呼び出された苛立ちのためだ。向かいに座る将監は、ビックサイズカップのストローに口をつけていた。ジュースなんて甘いものを大量に飲んでるから腹が出るんだろうと言いかけて口を噤み、やはり言わない理由がないと気づき、言った。将監はニコリと笑みを浮かべるが、目は笑っていない。
「ジュースではなく、シェイクです」
「聞いてねえよ。要件は?貞宗さんのことで大事な話ってなんだよ」
将監は貞宗のことで大事な話があると電話してきた。詳しく聞き出そうとしても、会ってからじゃないと話さないと言われて、電話を切られた。
助房は前世から貞宗を想い続けている。今世こそ振り向かせようと奮闘中だが、手応えはない。将監もまた、同じ立場だった。
その将監から、貞宗のことで話があるという呼び出し。まさか将監と貞宗に何か進展があったのかと助房の胸はざわついたが、そんなことはあるまいと思い直す。前世でも今世でも、貞宗が惚れるなら俺だと助房は思っていた。
「実は」
もったいぶった様子で将監が口を開く。助房は気のない顔で髪の毛を弄っていた。
「貞宗さんに好きな人ができたらしく」
「俺か?」
「違います」
「は?」
助房は髪を弄る手を止めた。
「貞宗さんに好きな人ができましたが、あなたではないです」
キッパリと言われて助房は首を傾げた。
「じゃあお前か?」
なんだってこんな熊みたいな奴がいいんだと、助房は顔を歪める。貞宗さんは時々趣味が悪い。しかし一時の気の迷いということもある。助房は窓の外を見て長く息をついた。しょうがない。貞宗さんが傷つかないように将監を嫌うように仕向けよう。
助房が将監を見ると、将監は世界が三回滅んだのを見たような顔をしていた。
「俺じゃない」
「は?」
「貞宗さんが好きなのは俺じゃないし、あなたでもない」
「三回も言うな!!な……なんなんだよ、最初から話せよ!」
「あれは一三三四年の冬。大殿が初めて俺を訪ねて来た朝のこと」
「お前の恋の始まりじゃねえよ。貞宗さんに好きな人ができたって、どこで知ったんだよ」
「貞宗さんご本人から聞きました」
「本当に俺じゃないのか」
貞宗さんが惚れるのは俺のはずだ。それ以外は認めない。前世では些細なことですれ違いもしたが、今世での関係になんら影響はなかった。
「しつこいですね」
将監が一蹴する。馬鹿にしたような顔を向けられた。
「なんで相手が俺じゃないとお前が知ってんだよ」
「貞宗さんは俺に恋の相談をしてきたのですよ。相手の名前は出しませんでしたが、お相手のことは少し聞きました。相手はあなたじゃない」
「どんな話だったんだ」
「それは……貞宗さんは俺を信用して話してくれたのに、あなたにペラペラ喋るわけないじゃないですか」
「張り倒すぞ」
「おそらくですが、俺もあなたも知っている相手かと」
助房は一瞬、頭が真っ白になった。その一瞬の後は頭が高速で回り始める。何人かの顔が浮かんだが、問答無用で斬り捨てた。
「我々の共通の知人なんて限られてます。その中で貞宗さんが惚れそうな相手ですよ」
将監は魂が抜けたような顔で呟いた。助房は沈痛な面持ちで口を開く。
「常興……か」
赤沢常興。あのチョロ毛兄。助房や将監と同じく、前世から貞宗に片想いを拗らせているが、積極的なアピールをすることもなく、前世と同じように貞宗に尽くしている。一見健気なようだが、貞宗に対してエグい執着を持っていることを助房は知っていた。
「おそらく」
将監も頷いた。常興め。無欲そうに見せかけて虎視眈々と貞宗さんを狙っていたのか。
すると将監は苦悶の表情を浮かべた。
「そのお相手は優しくて誠実な人だと、貞宗さんが」
「それは常興か」
「笑顔が魅力的で」
「じゃあ常興と違うだろ」
「運転席に座ると性格が変わるらしく」
「じゃあ常興か」
「そんなところも可愛いと」
「じゃあ常興と違うだろ!!」
あの運転を体感して可愛いなんて感想が出るはずがない。貞宗も常興の運転には毎回苦言を呈していた。
「じゃあ誰だって言うんですか」
将監が噛み付いてくるかのような顔で言った。知らんがな。知ってたらこんなところでお前と駄弁ってないでそいつのところに行って貞宗とのことを問い詰めている。
「たとえばほら……新三郎かもしれないだろ」
「貞宗さんは二十歳を過ぎた新三郎の頭をいまだに撫でてるんですよ。恋する相手にそんなことしますか」
「じゃあ本人に聞けばいいだろ!」
すると将監はニヤリと笑った。
「じゃあ、聞いてみてください。貞宗さんに」
「は?俺が?」
「言い出しっぺでしょ」
「ふざけんな。そもそもお前が呼び出したんだろ!」
醜い押し付け合いをしていると、二人に近付いてくる人物がいた。助房はげえっと声に出して顔を歪める。
「やかましいですよ」
現れたのは常興だった。呼んでもいないのになぜいるのか。すると常興の影からすっと新三郎が顔を出す。新三郎はこの店の制服を着ていた。どうやらこの店でバイトをしているらしい。
「ごゆっくり」
新三郎はいたずらっぽく口角を上げながら、ポテトの山をテーブルに置いた。おおかた喋っている将監と助房を見た新三郎が面白がって常興を呼び出したのだろう。
「こいつがバイトしてるって知ってたのか」
将監に言うと、すでにポテトを口に頬張っている将監が頷いた。
「それがなにか」
「この話題でよくこの店を指定したな」
「シェイクが飲みたくて」
すると将監はこれまでの経緯をかくかくしかじかと常興に言って聞かせた。すると常興は思慮深く頷いてから、三白眼をカッと見開いた。
「つまり貞宗さんは俺のことを愛していると」
常興は真剣に表情で言うと勝利の拳を握りしめていた。助房はその拳をはたき落とす。
「全然話聞いてないぞコイツ」
「俺にはわかっていた。貞宗さんが最後に選ぶのは俺だということを」
「コイツを止めろ」
それだけで止まる常興ではない。常興は目を輝かせて遠くを見ていた。
「新婚旅行は貞宗さんが喜びそうな場所にしないと」
「だったらフランスとかどうですか」
悪ノリをする将監が適当なことを言う。新婚旅行のプランについて語り始めた常興を誰も止められない。新三郎の笑い声が店の奥の方から聞こえた。将監は常興の話を聞かずにひたすらポテトを食べている。助房もつられてひとつポテトをつまんだ。塩の味がしない。なんで塩抜きを持ってきたんだあいつ。嫌がらせか?
助房は思考を放棄してポテトを食べた。常興の話はフランスでルーブル美術館へ行く時のランチは何がいいかについてまで進んだ。将監は腹が膨れて眠くなってきたらしい。幼児か。
「おぉ、やはり助房か」
その声に助房は慌てて顔を上げた。貞宗がいた。トレーニングウェアを着ている。
「貞宗さん、どうしてここに」
「この店の前がジョギングコースでな。助房たちが見えたから」
うつらうつらと舟を漕いでいた将監の足を蹴って起こし、フランスの夜景を見ながらロマンチックなムードが云々と語る常興の足を踏んで目を醒させた。二人とも貞宗がいることに驚いている。
すると新三郎が颯爽とやってきた。
「貞宗さんも何か飲んでいく?」
「せっかくだが、汗をかいておるからな。このまま座っては迷惑だろう」
「そういえば、例の子とはどう?」
新三郎はニヤリと笑った。途端に貞宗の顔が綻ぶ。
「おお、可愛くてしょうがないわ」
照れたように笑みを浮かべる貞宗に、助房は胸が痛んだ。貞宗のこんな笑みを見たのは初めてだった。すると新三郎がさらに貞宗にたずねた。
「そんなに?」
「この歳になってこれほど浮かれるのも恥ずかしいが、目が合っただけでも幸せでな」
満面の笑みを浮かべる貞宗に、助房は唇を噛み締めた。貞宗はそれほどまで愛する人を見つけたというのに、その相手は俺じゃない。そう思うと悲しみが波のように押し寄せてきた。
「貞宗さん、あの子に夢中だもんね」
「ふふ、そうかもしれん。誰かの寝顔をこれほど愛おしいと思う日がくるとはな。そうだ、今朝も一緒に散歩してな。写真も撮ったのだぞ」
寝顔だの朝に散歩だの、それは好きな相手というより恋人ではないのか。すでに恋人ということか。
貞宗は相好を崩しながらスマートフォンを取り出していた。指をすいすいと動かすと、こちらに画面を向けてくる。
「これがその写真だ」
貞宗が向けてきたスマートフォンに写されていたのは犬だった。元気いっぱいの、犬だ。
「……は?」
助房の脳が、一瞬すべての思考を停止した。目の前にいるのは、可愛らしい犬。元気いっぱいの、間違いようもない犬。
「……ちょっと待てください」
「可愛いだろう?」
「かわいい!かわいいけどちょっと待て!」
タメ口?と首を傾げる貞宗の背後で、新三郎が肩を震わせて笑っていた。瞬時にこれが盛大な勘違いであったと気付く。
「かわいいワンちゃんですね」
元凶である将監が言った。何を言っているんだお前は。この馬鹿な勘違いはお前が始めた物語だろう。
助房は驚きと安堵と脱力を、精一杯の笑顔で誤魔化した。わ〜かわいい〜と言いながらなんとか調子を合わせる。貞宗はかわいいと言われて嬉しいのか、いくつも写真を見せてきた。その中にスケートボードに乗る姿がある。
「特にこれに乗るときが可愛くての。こう、顔がキリッとしておるだろう」
満面の笑みを見せる貞宗であったが、助房はそれどころではない。運転すると性格が云々と将監が言っていたのはこのことか。将監を睨むが、将監は貞宗に見えないように親指を立てて見せた。良かったじゃねえよ。その指へし折るぞ。
「そんなことよりフランス旅行の準備を」
「ほんとコイツ話聞かないな!」
まだ一人で暴走を続けると常興に、助房はぐったりとしながらポテトをつまむ。まるで今の心境を見透かしたような、味のないポテトだった。