「どうしたんですか!?」「どうしたんですか、ポップ」
アバンは弟子に呼びかける。ポップがマトリフの洞窟の入り口の前で正座していたからだ。いつもは開いている洞窟の岩戸はピッタリと閉じていた。
「えっと……」
ポップは誤魔化すような笑みを浮かべる。どうやら言いにくい事が起こったらしい。
「マトリフは中にいますか?」
「はい。いるにはいるんですが、開けてくれなくて」
「……彼を怒らせたんですか?」
その可能性は低いだろうと思いながらアバンは言った。マトリフは昔よりも気難しくなったものの、ポップには甘いところがあった。たとえ表面上は厳しいことを言ったとしても、本心から怒るようなことはないと思ったからだ。
「えへへ」
ポップは気まずそうに頬を掻く。その表情から、どうやら言い当ててしまったようだとわかった。
「いったい何をしたんです」
「ナニっていうか……その……」
ポップは奥歯にものが挟まったような言い方をした。しかもアバンとは目を合わさない。昔からポップは言いにくい事があるとこんな態度を取るのだ。
「しょうがないですね。マトリフー、私です。ちょっと開けてくれませんか?」
アバンは口の横に手を当てて大きな声で言う。しかし洞窟からは何の返事もなかった。
「……困りましたね。良い薬草を手に入れたのでお裾分けに来たのですが」
ちょっと開けてみますか、とアバンは言いながら岩戸に手をかざす。破邪の呪文を極めたアバンにとって、呪文で閉ざされた扉はほぼ無意味だった。
だがアバンの唱えた呪文を岩戸は跳ね返してしまう。アバンが注意深く岩戸を観察すると、そこにはいくつもの呪文が重ねてかけられていた。
「……これは、ポップ。あなた相当に彼を怒らせましたね」
呪文を使う者を徹底的に拒んだ様子に、マトリフの意思が伺えた。ポップはしゅんと項垂れる。アバンが来るまでにポップも相当に色々試して失敗したのだろう。
「……謝りたくても入れてくれないんです」
「謝る気持ちがあるんですね。じゃあ大丈夫ですよ」
昔のように甘えた弟子に戻っているポップの頭をくしゃりと撫でる。アバンもマトリフのことを言えないほどにポップには甘いところがあった。つい第一印象が強く残っていて、守ってあげたいと思うのだ。
「それで、何をしたんです。修行をさぼったくらいでここまで怒るマトリフではないでしょう」
友人と弟子の喧嘩の仲裁くらいいくらでもしよう。これこそ平和の証のように思えた。
ところがポップは俯いて手を弄っている。やはり言いたくないらしい。
「言いにくいことなんですね。では無理に聞くのはよしましょう。ですがどうやってマトリフにここを開けてもらうかですね」
「何を言っても開けてくれないんです」
ポップは何時間もここで開けてくれと呼びかけていたらしい。そしてそれは聞き入れられなかったようだ。
「……具合を悪くしてないといいのですが」
最近のマトリフは調子が良さそうだが、こんな時に発作でも起こしたら助けたくても助けられない。さてどうしたものかとアバンが考えを巡らせていると、ポップから熱気を感じた。
「……先生、危ないから離れててください」
ポップはメドローアを構えていた。アバンはぎょっとして後退る。
「いけません。中にはマトリフがいるんですよ」
「大丈夫です。岩戸だけ削るんで」
そんな器用な調整が出来るのかと訊ねる前に、メドローアは見事に岩戸の半分だけを消し去っていた。どうやら通常のメドローアではなく、アレンジが加えられたものらしい。
「師匠ー!」
ポップは削られた岩戸から中へ飛び込んでいく。アバンもその後を追った。
ポップは迷わずに寝室の扉を開けた。アバンも後に続いて中に入ると、マトリフはベッドでいびきをかいて眠っていた。
「よかった、眠っていただけでしたか」
安心したアバンはふと鼻につく匂いを感じた。それは覚えのある匂いで、なぜそれがこの部屋で匂うのだろうかと疑問に思う。それは精液の匂いだったからだ。これほどはっきり匂うのは、随分と濃厚な性行為をしたからだろう。
「師匠〜無茶してごめんよ〜!」
ポップは眠っているマトリフに抱きついて謝っている。マトリフは嫌がるように身を捩っているが目は覚まさなかった。
「……待ってください」
状況を整理しようとアバンは頭を働かせる。これまで見た出来事を順番に並べて導き出されたものが、たとえどんなにありえない状況だとしても、それが真実だ。
「ポップ……あなたが」
そこまで言いかけてアバンは口を閉ざした。いくら友人と弟子に起こったこととはいえ、他人が踏み込むことではないだろう。
ポップは叱られるのを待つ子供にようにアバンを見上げてくる。そんな目で見られると何も言えなかった。第一、マトリフが許しもなく身体を開け渡すとは思えない。ということは、合意の上での行為なのだろう。
「薬草は置いていきます。ポップ、岩戸を消滅させたことを謝っておいてください」
「はい」
ポップはしおらしく頷いた。アバンはもう何も言わずに洞窟を出た。背後にポップが何やらマトリフに呼びかける声が聞こえる。それを聞く限り、二人の仲は心配なさそうだ。
「どうして、なんて野暮ですかね」
アバンは空を見上げる。綺麗な青空が広がっていた。