好奇心は猫を殺す 。眩しいと感じて目を開けば青空が広がっているのが見えて、僕はゆっくりと起き上がる。
「此処は……?
僕はユの作ったちゃ……いや、炒飯と言うには些か語弊がある……」
見た目こそ確かに炒飯であることは変わりなかったのだが、食べた後が思い出せない。
ただ、あれは炒飯ではなかったと記憶が訴えている。
おかしい、辺りを見渡すも何時もの薄汚れた事務所でもなければホテルの室内でもない。
何処だろうか、立ち上がって遠くを見る。
川のせせらぎ、何処までも続く花畑。
見たことがない景色だ、そう思っていると後ろから何かが走ってくるような音がした。
速い、そう感じて振り返ると同時に僕は目を見開いた。
栗毛で耳は垂れ下がり、僕を見つめる丸い目。
「君は」
瞬間蹴ろうとした足を下ろし、膝を着く。
「……マロンか?」
僕が住んでいた家の隣にいたゴールデンレトリバーの名前を呼べば、元気そうに一度だけ吠えて僕の前でお腹を見せてくれた。
「僕の事を覚えているのか」
偉いぞ、と撫でればパタパタと長い尻尾が地面を撫でた。
「元気に」
していたか、と聞きかけて僕は言葉を止める。
マロンは確か僕が学生の頃に老衰で亡くなっている。
この場にいるという事は。
「……死んだのか?」
何故?とマロンを撫でる手は止めれなかったが一瞬思考が止まった。
何があったかわからないまま死ぬなんて。
いや、大抵の事故死はそうなっている。
だとしても、直前の記憶を思い返しても事務所でいつもの様に所長の椅子に座っていて、ユーマが作った炒飯を食べて。
「……まさか、毒が?」
有り得ない、と直ぐに否定はできなかった。
多額の借金をする中には、毒やバットで僕を殺そうとする奴もいた。
だとしても、いや、だからこそ。
少しだけ寄せていた何かが崩れるような感覚に、僕は目をつむる。
きゅーん、小さく鳴いた声に薄く目を開いて「マロン」と呟き頭を撫でる。
目をつむって浮かんだユーマは、僕を慕っているかのように見えた。
裏切られることは慣れている。
慣れてはいたが、まさか。
「馬鹿だな、僕は」
マロンを抱き締めれば体温こそは感じないものの、確かにふかふかとしていた。
「……行こうか、マロン」
力無くも立ち上がって、僕が歩もうとした時だった。
「ハララさん!!」
突如後ろから聞こえた声に、振り返れば息を切らしたユーマが立っていた。
「どうして」
驚いている僕の足元でマロンが伏せをする。
「すみませんハララさん!!
早く帰りましょう!」
歩いてきて、僕の手を掴む温かい手。
「なんで、此処に」
「ヴィヴィアさんの能力で霊体にしてもらったんです!」
まさかここで能力共有を使うとは思わなかった。
マロンの方を見れば、僕に向かって尾を振っている。
「……まだ、待っていてほしい」
あの時、もっと沢山遊びたかった。そう言えばマロンが嬉しそうに大きく鳴いた。
ユーマに手を引かれ、僕は明るい場所を歩く。
「帰ったら説明してもらおうか」
僕の言葉にユーマが振り返ったが、どんな表情をしていたかわからないまま目を閉じた。
大きく噎せて、僕は上半身を起き上がらせた。
「ハララさん!!」
良かった、とユーマが僕を見て安心したように息を漏らした。
見慣れた薄汚れた事務所、普段ユーマが寝ていると言っていたソファに僕は寝かされていた。
一瞬マロンはと探しかけたが、やはりいなかった。
夢、だったのだろうか。
だとしたらもっと眠っていたかった、と思ったが一気に血液が身体を巡って汗をかいている。
「ハララくん、起きた……?」
何時もの暖炉の中から声がして目を向ければ、相変わらずといった体勢でヴィヴィアが寝転がっていた。
いつの間に来たのだろうか、息を吐けば少しだけ頭の痛みが和らいだ気がするも胸の不快感は取れなかった。
「ありがとう御座います、ヴィヴィアさん」
ユーマが僕に水の入ったコップを差し出すので躊躇う。
「ハララさん?」
普通の水ですよ、と心配そうに見つめられるも首を横に振る。
また毒が入っていたらと考えてしまい、手が伸ばせない。
しかし、だとしたら何故ユーマは僕を引き戻しに?
僕に死んでほしかったのなら、何故?
「……なんで僕は死んだんだ?」
毒じゃなければなんだと言う。
身体の異常が見られない、少し怠さを感じるくらいだ。
「……怒らないで聞いてくれますか?」
場合によっては、と返せばユーマは一瞬迷ったあと、カチャリと目の前に差し出したのは僕が臨死体験をする前に見た炒飯の皿。
中身は既にどこかへやったのか、綺麗に洗われたそれを見せられて「それがどうした」と眉を顰める。
「……ボクが作った炒飯で、ハララさんが意識を失ったんです」
「私がきた時には既に魂が抜けてたから、もうフブキくんを呼んでも意味が無いなと」
炒飯で、魂が、抜けた?
理解し難い言葉が飛び交うが、所長の言葉を思い出せば。
『ユーマの料理を食うか、金輪際酒も煙草も止めるかと聞かれたら、オレは迷わず酒も煙草も捨てるよ』
そう言っていたのに、何故思い出さなかったのか。
「ユーマ」
僕の横でしょぼくれているユーマの頭を撫でる。
確かに食べたいと言ったのは僕だ。
小腹が空いたなと言った僕に「あれから練習してて。よかったらボクが作りましょうか?」と聞いたのを少し気を許してしまって承諾したのは、僕だ。
「ハララさん……っ!」
嬉しそうにユーマが僕を見つめる。
この笑顔に、僕を殺そうと思っている事は感じられない。
「……僕の命に値段を決めることは出来ないから、一生かけて償ってほしい」
ユーマは皿を持ったままぽかんと口を開けていたが、やがて小さな声で「それって、プロポーズですか……?」と馬鹿な事を言ったので額を弾き、眠ってしまったヴィヴィアを見ながら机の上に置かれたコップを手にして水を一気に煽った。
(了)